不穏な紙芝居
王宮へと続く道沿いには、様々な露店が並んでいた。
甘い蜂蜜菓子の香りが周囲には漂い、スパイスの効いたソーセージを持った子どもが笑い声を上げて走っている。露店の一角には、金属の小物や陶器が棚に積まれ、遠くからは楽器の音や歌声が響いてくる。
「まぁ、素敵ですわ」
灯りが揺らめくその情景を目にしたカティスは、夢でも見るように、うっとりとした表情を浮かべる。
「お祭は初めて?」
カティスの反応があまりにも大袈裟だったため、レーネが思わずそう尋ねた。
「はい」
返ってきたのは、意外にも肯定だった。ライカは驚いてカティスを見た。
「初めてなんですか? 本当に?」
「ええ、ずっとお屋敷の中にいたんです」
「お屋敷の中って……」
続けて尋ねようとしたライカを、ロウザが肩を叩いて止める。はっとした顔をして、彼女は口を閉ざした。
――詮索するのは良くなかったな……。
カティスには何か事情があるのだろう。しかし、それはこんな人混みの中で聞くべきことではない。
反省するライカの頭上に不愉快な声が降り注ぐ。
「これはこれはクラシェイド伯爵」
声を辿ると、小太りの男が護衛を引き連れて立っていた。こちらを見下したような目をしている。
「ケインズ伯爵……」
収穫祭の宴会で、ライカを陥れたアドルグ・タキアスだ。祭にしては落ち着いた格好をしている。
「楽しそうで何よりだ」
アドルグはライカたちをぐるりと見回すと、何が嬉しいのか、にやにやと笑みをこぼした。ゼナイという目上の貴族がいながら、彼の態度はどこか不自然だ。
ライカは探るようにアドルグを観察した。
「ケインズ伯爵も祭をご覧に?」
「少し王宮に用があってな。その帰りだ。
――シルヴィス侯爵も大変ですな。子どもの守りは」
挑発するような発言だったが、その言葉に乗るものはいない。せっかくの祭だからだ。レーネですら怒りを抑え、事を荒立てないように我慢している。
「今晩もずいぶんと口が軽やかですね。
ですが、同じ過ちは繰り返しませぬよう、お気をつけなさった方がよろしいかと」
ライカはにこやかに笑って言った。彼女にしてはささやかな嫌味を込めて。
アドルグはにやにやとした笑みを取り下げると、不機嫌な表情を浮かべた。
「相変わらず口が回るやつだ。
収穫祭の宴の夜もそうだった。口先だけは祖父譲りだ」
アドルグは再び馬鹿にしたようにライカを上から見た。彼は失意のまま王立裁判所を去ったケオニールさえも見下しているのだ。
けれど、その程度でライカは動じない。
「それはどうも、ケインズ伯爵。
祖父の言葉は、今でも多くの人の元に届いているようです」
「なっ……!」
ライカの発言にアドルグは顔を歪めた。
「ふふっ……! そのようね……!」
後ろで聞いていたレーネがおかしそうに笑った。つられて他の三人も笑い始める。
「――用事があるので失礼する」
アドルグは顔を真っ赤に染めたが、怒鳴ることもできず、低い声をもらすだけだった。
肩を怒らせながら立ち去る彼を遠くに見送る。
ライカは静かに溜飲を下げた。
「よく言ったわ、ライカネル」
「尊敬する祖父のことですから」
ライカは誇らし気に胸を張った。昔の自分ならば、きっと何も言い返すことができずに俯いていただろう。
ライカは心配そうにこちらを見るカティスに微笑んだ。
「気を取り直してお店を回りましょう。
――どこに行きたいですか、カティス?」
「そうですね。私、あのお店に行ってみたいです」
カティスが指差したのはパンの店だった。動物や人の形に模されたパンが並び、華やかで目を引いた。
「確かに可愛らしいですね。どれにしますか?」
様々な形のパンの中から、カティスはうさぎ、レーネは犬、ライカは鳥を選んだ。
「ゼナイとお父様は良いのですか?」
「僕はいいよ」
「……いい」
二人は正反対の表情で断った。
――確かに大人が食べるような形ではないかな。
ライカは無理に勧めるのは止めることにした。
パンは噛むたびに柔らかな甘味が舌に広がった。どこか懐かしく感じるのは、昔、同じように祭で口にしたことがあるからだ。
――そう言えば、お祖父様と来たこともあったなぁ。
その時、ケオニールに買ってもらったのだ。彼はたくさんのパンの中から鳥を選び、ライカに手渡した。
男装させた孫娘に思うところがあったのだろうか。
ライカはパンを食べながら、ぼんやりと考えた。
遠くで子どもたちのはしゃぐ声が響く。不安など知らない彼らの笑顔は、自分とは違って無邪気そのものだった。
「――暗い」
冷たい声が矢のようにライカに突き刺さる。
はっとして顔を上げると、腕を組んだネイゼンがこちらを見下ろしていた。
「せっかくの祭が醒める。
そんな顔をするなら他所へ行け」
相変わらずの態度に、ライカはむしろほっとする。強張った顔の筋肉を緩めると、頭を下げて挨拶を述べる。
「ご挨拶申し上げます、ネイゼン第二王子殿下」
ライカの挨拶に他の四人も続く。彼は下げた頭をすぐに上げさせると、ライカに向かって鋭い目線を向けた。
「護衛が二人だけとは不用心だな」
ゼナイとロウザのことを言っているのだ。彼は最初からライカなど数に入れていない。
「私は入ってないのですか、ネイゼン殿下?」
レーネが不満気に頬を膨らませる。
「……まぁ、自分の身くらいは守れるだろうな、お前は」
ネイゼンは面倒そうにこぼした。けれど、レーネは少し満足したのか、機嫌を取り戻してにっこり笑う。
「そのくらいはできますよ、そりゃ」
「レーネ、何かあったら逃げるんだぞ。間違っても……」
「わかってるって、もう!」
ゼナイが小言を挟みかけたので、レーネはうるさそうに止めた。
「ネイゼン第二王子殿下は警備の確認ですか?」
ライカの質問にネイゼンは頷く。
「当日はあまり顔を出せないがな」
ユイレンの生誕祭の日、ネイゼンの所有するフレンダル騎士団は王都の警備隊と連携して、何事も起こらないよう警戒にあたるという。
「露店付近の警備が主な管轄だ」
雑多な露店が並ぶ場所の警備は、決して楽な役目ではない。それを任されているという事実こそが、ユイレンからの信頼の厚さを物語っていた。
――お二人は後継者同士だけど仲が良いなぁ……。
ユイレンとネイゼン。
歳の近い二人は何かと比べられることも多かったはずだが、蹴落とす相手として謗り合っているわけではなかった。それが王国を安定させている。
「さぁさぁ、お立ち合い! 紙芝居が始まりますよ!」
広場の方から明るい声が響き渡る。
子どもたちがわっと走り寄っていく。
「紙芝居ですって」
カティスが興味を惹かれたようだ。
「少し見ていきますか?」
「紙芝居ねぇ……。何の話かしら」
レーネはあまり関心がなさそうだ。紙芝居は子ども向けと相場が決まっているからだ。
「――とある国に二人の王子がおりました」
よく通る声が広場を風のように突き抜ける。子どもたちは、わくわくした顔で紙芝居の絵を凝視する。
「兄王子には妻がおり、彼女は花のようにとても美しい顔の持ち主でした。
弟王子は賢明な青年で、兄をよく支えたため、王国は安定し、穏やかな時代を迎えます」
紙芝居には花が咲き誇り、人々が笑い合う絵が描かれている。誰もが望むような王国の姿だ。
「しかし、事件が起こります。
兄の妻と弟が愛し合っていると噂が流れたのです」
ライカとレーネは思わず顔を見合わせる。内容が突然、過激になったからだ。横でカティスがはらはらとした表情で紙芝居を見ていた。
「怒った兄は弟と妻を王宮から追放しました」
紙が捲られ、追放される二人の絵が現れる。激昂した兄はまるで悪役だ。
「でも、本当に賢い彼がそんなことをしたのでしょうか?」
再び捲られた絵には膝をつき、涙をこぼす弟が描かれている。
――こんな内容の紙芝居を公開していいの?
そう思い、ライカは紙芝居を読み上げている人物の顔を凝視した。線の細いその人は、若い男性のようだったが、よく見ると女性にも見えた。
――あれ……?
どこか、その顔に見覚えがあった。
その瞬間、ライカの背筋は凍った。
気がついたのだ。
歪んだ色を湛えたその瞳。
「ルーカ……ディ……」
ライカがそう言いかけた時、側にいたネイゼンが、背後に控えていた騎士たちに命令を下す。
「こんなものは許可していない。――捕えよ!」
「はっ!」
ネイゼンの部下たちが紙芝居の一団を捕まえようと近づく。すると、彼らは小道具を脇に抱えてさらりとその場から駆け出した。
広場はあっという間にもぬけの殻となった。
演者を失い、辺りはひっそりと静まり返る。子どもたちはどうしてよいのかわからず、呆然とした顔のまま固まっている。
「ほら、紙芝居は終わりだ。
他にも出し物はいっぱいあるから、楽しまないと損だぞ」
ゼナイがぱんぱんと手を叩く。
その音に反応して、子どもたちは弾かれたようにあちらこちらへと分散し、広場は再び喧騒を取り戻した。
「お上手ですわね、シルヴィス侯爵様」
カティスが感心したように褒める。
「……まぁ、下に二人いるからな」
ゼナイはため息混じりに答えた。
その目は一団の消えた方を向いている。どうやら彼らの行き先が気になるようだ。
「奴らのことはフレンダル騎士団に任せるしかないな」
「そうね」
しかし、そう返すレーネもネイゼンの後ろ姿を追うように、夜の暗闇を見つめていた。
「通りに戻るぞ」
ゼナイの提案により、ライカたちは広場から露店の並ぶ道へと引き返した。
「どうした、ライカ?」
ロウザが心配そうに振り返る。
「今の紙芝居……あの人かもしれません……」
あの人。
それを聞いて、ロウザは察する。
自分たちの敵の名を。
「まさか、そんな……」
けれど、そう言いながらも確信へと変わっていく自分がいた。ロウザはライカに近づくと、そっと耳元で囁く。
「先ほどの紙芝居、あれは王弟殿下が追放された理由と同じだ」
「あれが追放された理由?」
意外な理由にライカは驚きを隠せない。
――お母様が教えてくれない訳だ……。
ルーカディアスについてセイランに尋ねたことがあったが、なぜか彼女は口籠るばかりだった。若いライカには伝えたくなかったのだろう。
「少し脚色されていた。都合が良いように」
ロウザの言葉にライカは納得する。彼女はそうやって人心を掌握するつもりだ。
――紙芝居をするなんて。
こんな形で出会うとは思わなかった。ライカは改めて警戒する。敵はいつどこにいてもおかしくないのだ。
「大丈夫だよ。そのために僕たちがいるんだ」
ロウザが安心させるように微笑んだ。
その表情に、ライカは小さく頷いた。
いつぶりだろうか。こんな風に素直な態度で父と接するのは。父娘の蟠りがなくなっていることにライカは気がついた。
「見てください、宝石も売ってますわ」
カティスのはしゃぐ声で、ライカは現実に引き戻された。彼女の示した先には、きらきらと輝く宝石や、加工された宝飾品が並んでいる。
「宝石なんていっぱい持ってるでしょう?」
レーネが呆れたように言った。
「今日の思い出に買いたいのです」
露店の商品など、普段、宝石商で買う品に比べれば値段も価値もはるかに劣る。それでも、カティスは楽しかった証拠を形として残しておきたいらしい。
「私はいいかなぁ……」
レーネは隣の刀剣の店に興味を引かれている。明らかに粗悪品が並んでいたが、こちらの宝石類よりは関心が向くようだ。横に立つゼナイも同じだった。
「私は買いますよ」
残念そうな顔をするカティスに、ライカは慰めるように言った。途端に彼女は曇らせていた顔を輝かせる。そして、おずおずと窺うように提案をした。
「その……良かったらお互いに交換しませんか……?」
ライカは快く頷いた。
「いいですよ。どれにしますか?」
「本当ですか! ありがとうございます!」
カティスはしばらく悩んだ末、ペリドットの埋まった指輪を二つ、お揃いで選んだ。柔らかな緑色――新緑の木々を連想させるその宝石は、カティスの雰囲気によく合った。
「では、どうぞ」
ライカは自分が買った指輪をカティスに手渡した。カティスも同じように指輪をライカに渡す。
カティスは指輪を人差し指にはめ、嬉しそうに手をかざした。そして、再び視線をライカに向けると、目尻をゆっくりと下げた。
「本当にありがとうございました、ライカ。
――私、今日のことを絶対に忘れません」
今は夜だというのに、まるで朝日が差し込んだような微笑みだった。




