最後の言葉
ケオニールの真実を見抜く目によって、ギヨームの嘘は暴かれ、アドリアンは救われた。世間は彼を高く評価し、裁判官として深く讃えた。けれど、その名声もこの時が頂点であった。
――この後、王立裁判所を辞職することになる……。
失策を繰り返す先代国王・ラウドニウドを、ケオニールは<王国の天秤>の特権を用いて、王国裁判で断罪しようと試みた。しかし、その裁判は開廷されなかった。なぜなら、その日の明朝、ラウドニウドが崩御した知らせが報じられたからだ。
その後、ケオニールは王立裁判所から離れ、クラシェイドの屋敷で余生を過ごした。
〝私は明らかにしたかったのだ。
陛下の罪が謀られたものであったことを〟
日記には苦しそうな筆跡でそう綴られていた。
ライカは何度も同じ箇所を目で見返した。文字は変わることなく、そこにあり続ける。
〝温厚であられた陛下が、かようにも乱れ、判断を誤るようになったのには訳があるはずだ。
顔は蝋で固めたように蒼白で、正気を失ったかのように怒鳴り散らされることが増えていった。
手指は震え、ペンを持つのもおぼつかない様子であられた〟
怒りに満ちたように文字が歪む。その想いがありありと伝わり、ライカは大きく息を吸った。
――もしかして……毒……?
ライカはとある少年の言葉を思い出す。
体に溜まり続けるという毒。
それがもたらす症状と、あまりにも似通っていた。けれど、確信を持つには手がかりが少なすぎた。
――確かなのは、何者かが先代国王を害したこと。
ケオニールはその罪を暴き、先代国王の不名誉を晴らすために王国裁判を開こうとしたのだ。
――でも、できなかった。
先代国王陛下がご崩御されたから……。
<王国の薬杯>の〝銀杯〟によって。
なぜ、王国裁判が開かれる直前になって、先代の<王国の薬杯>がそのようなことをしたのかはわからない。
しかし、結果として、ラウドニウドは失政の王として崩御し、彼を追い詰めた謀略は闇に葬られた。
――だから、お祖父様は失意に飲み込まれたんだ……。
ライカは愕然とした。
その事実に。
日記をめくる手が微かに震えた。震えながらも、次のページを開く。
〝――ヴァレンス伯爵は見捨てられたのだ。
彼はそれが理解できず、裁判の最中、あの方に寄り縋ろうとした……〟
ヴァレンス伯爵とはイリディアン・ダルクメルのことだ。〝うさぎにでもペンを取らせた方が領地民も顔を綻ばせましょう〟と、カリヴェル伯爵ラザール・エルヴァルトを侮辱し、裁判でケオニールに重い判決を言い渡された男だ。
〝あの後、例の晩餐会を開いたモルデンフェル侯爵は失脚した。
彼らはまとめて切り捨てられたのだ〟
誰に、とは書かれていなかった。
ただ、ケオニールの太く力強い文字は、日記の後半になると細く掠れていった。
〝私は真実へと辿り着けなかった〟
日記はそこで途切れていた。
白紙のページが続く。
ぱらぱらとめくり続けると、最後のページに何かが記されていた。
〝親愛なる我が孫、ライカへ〟
ライカの手がぴたりと止まる。
急ぐ視線が次の文字を追った。
〝お前は間違ったことによく気がつく子だから、真実を見抜くことができるだろう。
それ故に、いつか私のことを恨む日がきっと来る。
けれど、どうか――……〟
震えるような文字は次第に元の力強さを取り戻し、ライカの心に訴えかける。
〝お前だけは、正義を諦めないでくれ〟
ライカは祖父の文字を指でなぞった。
――正義。
託されたその文字を。
どれだけ重い意味を持つものなのか、ライカにはよく理解できた。安易に語れば陳腐な言葉へと成り下がるそれを、とてもライカに果たせるとは思えなかった。
――諦めるな、か……。
ケオニールの最後の言葉。どれだけの想いを込めて記したのだろうか。
――曽祖父様ですら、自信を持つことはできなかったのに……。
イドル・クラシェイドは正義について悩んでいた。『エルドガール法大全』の最後に、〝法は正義である〟とは書けず、〝法は正義であるべきだ〟としか記せなかったように。
――なんて重い願いなんだろう。
ライカは日記を閉じると、そっと胸に引き寄せる。まるで大切な人を抱きしめるかのように。
――きっと、歴代の<王国の天秤>も追い求めてきたこと。
正義。
法律と深く関わるクラシェイドとは切っても切り離せない言葉なのだ。
――私に託した理由があるのかもしれない。
お前だけは、とケオニールは強調した。
それは、彼が果たせなかった想いを引き継いでほしいという単純な話ではないようだった。もっとひっ迫した明確な理由が存在しているようにライカには感じ取れた。
――やらなくてはならない何かがあるような……。
祖父の言葉は最後にそれを伝えようとしている気がした。
ライカはすっかり暮れた窓の外を見る。
星のない空には、ただ月がぽつりと佇んでいた。
◇
王都にあるシルヴィス侯爵家別邸。
ゼナイが王都で仕事をする際に拠点としている屋敷で、今はレーネもフレンダル騎士団の訓練場に通うために暮らしていた。
そこに訪れたのはライカと、背の高い柔和な男――ロウザだ。今日は護衛として珍しく同伴することとなった。
兄妹に出迎えられて、二人は客間へと案内される。
久しぶりに会うレーネは、ライカの肩をぽんと叩き、謝ろうとする彼女の口を止めた。
――何度も追い返してしまったのに……。
エミールを失った悲しみのあまり部屋に籠り、顔を合わせることを拒絶した。そんなライカをレーネは責めはしない。
「さ、もうすぐカティスも来るわ」
レーネがそう言うと同時に、カティスの到着が侍女によって知らされた。
「こんばんは、皆様」
そう言って現れたのは、普段より豪華な衣装を纏ったカティスだった。それでも、蝶の髪飾りだけはいつも通りつけている。
「あら、凄い格好ね」
「本番よりは地味なのですが……」
レーネの言葉に、カティスは不安そうに自分の着ているドレスを見返す。
彼女がそのような派手な衣装を着ているのには理由があった。
今日は、ユイレンの生誕祭の準備祭が催されているのだ。規模の大きな祭を行う前は、その進行を確認するため、予行演習を実施するのである。
当日、ユイレンと踊ることが決まったカティスは、生誕祭の出し物を楽しむことができなくなってしまった。
けれど準備祭では、宴の踊りの演習が予定より前倒しで行われたため、こうしてライカたちと出かける算段がついたという訳だ。
「私の服を貸してあげるわ」
「ありがとうございます、レーネ」
先ほどまでユイレンと当日の踊りの練習をしていたカティスは、少し疲れた顔をしている。それでも、その目はこれから見て回る祭の情景を思い浮かべ、きらきらと輝いていた。
「……よく、母君が許してくれたな」
三人だけになると、ゼナイはライカに向かってそう尋ねる。
「準備祭も危険なことには変わりありません。
ですが、もし、敵が何かをするなら、本番である可能性が高いという判断です」
「確かにな」
敵は<王国の天秤>をただ殺すだけでなく、その権威自体を削ごうとしている節があった。ネイゼンの生誕祭で暗殺を試みたのがその理由だ。そうでないのなら、密かにライカを殺害する方が安全なのだから。
「大胆で執拗……。敵は……」
ライカの呟きにロウザとゼナイは肯定も否定もしなかった。
「ライカ、今日は祭を楽しんだらどうかな?」
ロウザが柔和な顔で明るく言った。彼の言葉に、ライカは自分が少し俯いていることに気がついた。
「そうですね」
久しぶりに皆と外出なのだ。こんな暗い表情をしていては、また心配されてしまう。
そう思っていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「準備できたよ!」
着替え終わったレーネとカティスがご機嫌な顔で入ってくる。着ている服は飾り気こそ少ないが、そこそこ上質な素材が用いられており、商人の娘といった出で立ちだった。
「顔がその……目立ちませんかね……?」
なにせ二人とも美人なのだ。並ぶと一際目を引きそうだった。それに、どこか品のある風情。身についた貴族としての礼儀作法ゆえか、彼女たちの品格がどことなく滲み出ていた。
「……貴族のお忍びとしか思えないな」
ゼナイがため息を吐いた。
今回、彼が護衛役を買って出たのは、妹のレーネのこともあるだろう。けれど、以前に皆で外出した際に、ライカを囮に使った罪滅ぼしのようにも思えた。
「今回はよろしくお願いしますよ」
「……ああ、わかってる」
重大な事件が起きないわりに、面倒な護衛を予想してか、ゼナイの声にはやる気がなかった。




