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分かたれた道

 ここ数日、どのように過ごしていたかあまり記憶がない。屋敷に引きこもったライカの元へ、カティスやレーネが心配して訪ねてきたが、会うことすらせずに帰してしまった。

 今のライカには余裕がなく、刺々しい態度をとる昔の彼女に戻ったかのようだ。顔を合わせないことが、お互いのためだとライカは思った。


――エミール……。


 机の上には砂時計。

 かつてエミールと議論を交わした際に使用したものだ。

 屋敷の勉強部屋でライカは一人、椅子に座って、空虚な隣を見た。


――リドガー・バレックは嘘を吐いている。


 彼がルーフ・シェリス宝石店でライカを襲ったのは、おそらくフリード・ヴァルトの命令ではない。では、誰なのか。彼女の頭には一人の人物が浮かんだが、今となっては確かめようがなかった。


「エミール……」


 すっかり砂の落ちた砂時計を見つめ、ライカはぼんやりとした目で彼の名を呟く。その声に返事はない。部屋はただ静かにライカを包んだ。

 彼女の腕の中には一冊の本が抱えられていた。イドル・クラシェイドの『法の道』――エミールが最後に託した本である。

 この本をめぐり、二人はよく議論を交わした。その時のことを思い出し、ライカはそっと目を閉じる。



 ◇



「本によると、曽祖父様は連座制を廃止するのに大変苦労されたようです」


 ライカは隣に座るエミールに本を開いてみせた。彼はライカが指で示した文章を目で追い、こくりと頷いた。


「ええ、拝読いたしました。

 罪を犯した本人だけでなく、その家族も連座して刑罰を負う、というものですね」


 言っている内容とは裏腹に、エミールの口調は穏やかだった。角のない優しい声。怒ることなどあるのだろうか。


「これについてエミールはどう思いますか?

 家族が罪を犯したら、一緒に償うべきでしょうか?」


 エミールはしばらく考えた後、ゆっくりと意見を述べた。


「子が犯した罪は親が責任をとるように、家族の罪は家門をもって償うべきではないでしょうか?」


 それは責任感の強い彼らしい回答だった。エミールはコンザール伯爵を受け継ぐことが決まっているせいか、年齢の割に大人びていた。


「では、親の罪はどうでしょうか?

 親が罪を犯したら、子もその罪を償いますか?」

「それは……」


 少年は言葉に詰まり、再び考え込む。


「エミールなら親の罪は一緒に償いそうですが、他の子にまで同じことはさせられませんよね?」

「はい。おっしゃる通りです」


 エミールは困ったように笑った。きっと心の中には妹のリリーシアの顔が思い浮かんでいるのだろう。


「法律では、罪を犯した本人に代わって家族に賠償させることもありますが、あくまでそれは補填にすぎません。

 罪を肩代わりすることまではできないのだと私は思うのです」


 ライカは砂時計から滑り落ちる砂を目で追う。すでに半分ほどが減っていた。


「家族にできるのは、本人に罪を自覚させ、償いをさせることだけです」


 ライカは砂時計から視線を外すと、エミールに目を向けた。彼はいつもの暖かな陽だまりのような表情で彼女を見ている。


「罪は犯した者のものです」


 納得したようにエミールは頷いた。


「ええ、そうです。――本当にそう思います」


 頷きながらも、エミールの顔は少し曇っていた。その表情に不安を感じ、ライカは首を傾げた。


「エミール?」

「確かに、法律ではイドル様によって連座制が廃止されました」


 エミールの声は暗く沈んでいる。何かを深く悩んでいるかのように。


「けれど、実際にはそれが許されません。

 罪人の子は罪人の子として扱われます」

「そうですね。社会的な制裁は確かにあります」


 親が処分されれば、何かしらの不利益を家族は被る。貴族ならばどれだけの名誉を失うか計りしれない。罪を犯した本人だけでなく、家族も後ろ指を差されながら生きていくことになる。


「だからこそ、家門をもって償う姿勢は必要なのだと僕は思います」

「エミールらしいですね」


 彼の考えにライカは笑った。つられたようにエミールも笑う。ちょうど、最後の砂が落ち切った。


「――ライカネル様、僕は法律で困っている人の代言人になるのが夢なんです」


 改まった口調でエミールはライカに告げた。

 代言人――それは、法律の専門家として依頼者の相談に乗り、実際に法廷に立って弁護する者のことだ。


「本当は王立裁判所で働いてみたかったのですが、コンザール伯爵を継いだら難しいでしょう。

 でも、代言人ならたまには……」

「良いと思いますよ! エミール!」


 ライカは身を乗り出すように言った。


「困っている人の代わりに法廷で弁護をする代言人。

 エミールの優しい性格にぴったりです」

「そうでしょうか……?」


 エミールは少し照れたように俯いた。

 けれど、すぐに顔を上げると、ライカの紫色の瞳を窺うように見た。


「もし叶うのでしたら、僕が法廷で代言人をしているその時、ライカネル様が裁判官だったら嬉しいです」

「私がですか……?」


 その言葉に、ライカは想像を巡らせた。古い裁判所。穏やかな目の青年が資料を片手に立っている。彼が見つめる先には、自分がいて――……。


「それは……無理ですよ……」


 ライカは誤魔化すように笑った。そんな途方もない夢。今の自分にはとても叶えられそうになかった。


「すみません。言ってみただけです」


 でも、と少年は微笑んだ。


「ライカネル様なら、そんな道もあると思いますよ」



 ◇



 結局、二人の道は分かれてしまった。

 エミールはすでに進むべき道を定め、確固たる足取りで歩み始めた。では、ライカはどうか。彼女の道は何なのか。


――私はどうしたいの?


 ライカはこれまでのことを振り返る。自分には目的というものがなく、そして、今もそれがわからず立ち尽くしている。

 その曖昧な生き方が判断を鈍らせ、友を失うことへと繋がった。しかし、どれだけ悔いても、この砂時計のように繰り返すことはできないのだ。


〝願わくは、血にて裁かしむことなかれ〟。


 イドルの走り書きを挟んだページを開く。

 今となっては血を流すような決断をするな、というライカの解釈ではなく、血縁者に断罪させるようなことはするな、というエミールの解釈の方がしっくりくるような気がした。


――エミールは決断した。


 血の繋がった実の父を告発するという決断を。

 そして、そのきっかけとなったのがライカの言葉だった。


――それだけの価値があっただろうか?


 ライカは走り書きを掴むと、目の高さまで掲げた。イドルの画一的な文字は少し震えており、彼の切実な思いが伝わってくるようだった。

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