国王の裁判
何もできぬまま、時間だけが過ぎていく。
フリードの失言に気づいたことをライカは伝えねばならなかった。けれど、どうしてもそれができずに、部屋の中に閉じこもる。
そんな折、ライカは王宮に突然呼び出された。
迎えとしてやってきたのはゼナイだった。赤い目を険しく光らせ、馬車に同乗するよう迫る。
「何故です……?」
「ナザリウス国王陛下の命令だ」
ゼナイはそれだけしか言わなかった。
雨が降り、馬車に激しく打ちつけた。
道はぬかるみ、がたがたと不規則に揺れる。
馬車の中で向き合っても、二人は無言で何ひとつ話さなかった。まるで他人になってしまったかのようだった。
「王宮に着きました」
御者のその案内で、二人はようやく沈黙から解放される。
通された部屋には、ずらりと貴族たちが立ち並んでいた。他の五大貴族であるウェンセム、ロゼスタ、リーディスがおり、中央には国王・ナザリウスがただ一人、背もたれのついた椅子に座っている。その両端には側近たちが控えていた。
「揃ったな」
ライカたちが部屋に入ると、ナザリウスはいつものように淡々とした声を発する。けれど、今は普段よりどこか冷たい響きを感じた。
「コンザール伯爵、フリード・ヴァルト、前へ」
側近の一人が大きな声で、ゆっくりとそう告げた。名前を呼ばれた男は、周囲を挙動不審に見回しながら、おどおどと前へ出た。
ナザリウスが冷たく問いかける。
「何故、呼ばれたかわかるか?」
「私には心当たりが……」
フリードはがたがたと肩を震わせながら、自分よりも歳の若い国王を見上げた。
「ならば、自分の息子に聞くんだな」
ナザリウスがそう言うと、背後からエミールが現れる。フリードとは真逆の、堂々とした眼差しで。
「エミール……!?」
息子の登場にフリードは声をもらす。それは、この場に自分の息子が登場したことによる驚きではない。何か別に心当たりがあるが故の動揺だ。
エミールは少し首を上向け、ナザリウスを見つめると、はっきりとした口調で告げた。
「ナザリウス国王陛下。私は告発いたします。
我が父、フリード・ヴァルトは、<王国の天秤>クラシェイド伯爵を暗殺しようとしました」
ライカは目を見開き、呼吸を止める。
体を強張らせたまま、瞬きをすることもなく、エミールを凝視した。彼は背中だけしか見えない。だから、何を考え、何を思っているのか判断できない。
「ネイゼン第二王子殿下の生誕祭の夜、クラシェイド伯爵にお怪我を負わせた刺客。
彼を雇った際に渡したエメラルドの保証書が、我が屋敷から見つかったのです」
エミールは一枚の紙を両手で持ち、ナザリウスに向かって掲げた。側近の一人が受け取ると、それを国王に渡す。
「刺客であったバーマン・セングが持っていたエメラルドで間違いないようです」
リーディスがすかさず報告を挟む。彼の手のひらには、深い緑色の宝石が載っている。
「――ルーフ・シェリス宝石店でクラシェイド伯爵を襲った男たちの首魁が白状しました」
そう言ったのはゼナイだった。その口振りは鈍いもので、彼自身がどこか納得していないような響きがあった。
「通せ」
ナザリウスの命令と同時に、ライカが先ほど潜り抜けた扉が開き、両端を騎士に抱えられた男が現れる。額には薄らと傷があった。
「リドガー・バレック。
誰に頼まれて、クラシェイド伯爵を襲った?」
ゼナイが男に迫る。
リドガーと呼ばれた男は半笑いを浮かべながら、それでもはっきりとした声で宣言した。
「フリード・ヴァルトだ。やつに頼まれてやった」
「知らん! そんなやつは知らんぞ!」
フリードは顔を真っ赤にして、男に飛びかかった。しかし、すぐさま周囲の騎士たちに抑えられ、動きを封じられた。
「報酬の保証書に、実行犯の証言。十分だな」
ナザリウスが椅子から立ち上がる。黄金の目がフリード見下ろすと、真っ赤だった彼の顔は瞬時に青へと変化する。
「コンザール伯爵、フリード・ヴァルト。
クラシェイド伯爵、ライカネル・クラシェイド殺害未遂にて極刑を言い渡す。
家督の三分の一は王室が没収し、残りは長男、エミール・ヴァルトが継承することとする。
実行犯であるリドガー・バレック並びにその他四名は貴族殺害未遂で極刑に処す。以上だ」
それは、あまりにも無慈悲な判決だった。下された本人は聞き逃したかのように呆けた顔を晒している。
けれど、次第にナザリウスの言葉を理解し始め、ようやく死刑が言い渡されたことを飲み込むと、フリードは周囲を顧みず叫んだ。
「ナザリウス国王陛下! どうか! どうか温情を!」
その叫び声は息子に届いているのか。エミールはじっと立ったまま、その場から動かず、振り返らなかった。
――このままだとエミールが……。
父親が死ねばエミールや妹のリリーシアはどうなるのか。ライカはいてもたってもいられず、思わず口を開いた。
「ナザリウス国王陛下! 『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第2章第47条――」
「黙れ」
しかし、その口はすぐに閉ざされる。
ナザリウスのたった一言で。
ライカにはすぐに理解できた。自分でその条文を述べておきながら、意味などないことをわかっていたのだ。
47条はバーマンの裁判で持ち出した条文だ。貴族を殺害しようと企んだ犯人が同じ貴族であった場合、誠意を示し、当人や遺族と和解できたならば、刑罰を軽減したり、免除できるというものだ。しかし、ナザリウスが刑罰の免除を許さないため、この場では適用されなくなった。
そもそも、自ら手を汚さず殺人を犯そうとした者を庇うことが間違っていた。バーマンと違い、フリードは保身ばかりで、己の罪を省みていないのだから。
ライカにはもう、何も言えなかった。友人を守りたいが故に判決を捻じ曲げて良いわけがない。
エミールがようやく振り返り、首を横に振った。その顔はさっぱりしたもので、ライカを見てわずかに微笑んだ。
「裁判は終わりだ」
こうして、国王による王国裁判は終了した。
告発者が被告の息子であるという衝撃を残して。
◇
「待ってください!」
廊下を走り、ライカはその男を呼び止めた。
額に薄らと傷のある男――リドガー・バレックを。
「どうした、坊主。もう用はねぇだろ?」
「何故、コンザール伯爵が依頼主だと嘘を吐いたのですか!?」
ルーフ・シェリス宝石店でライカを狙った男たちからは、確かなる忠誠心を感じた。けれど、それはフリードなどに向けられるものではない。思い当たる人物を心の中で想像し、ライカは確かめようとした。
「さて、なぁ?」
リドガーは不敵に笑った。ライカにもわかっていた。そう尋ねても、決して欲しい答えはくれないだろうと。けれど、聞かずにはおれなかったのだ。
「坊主、お前はいいよな。生まれてきた理由がある」
リドガーは昔を思い出すような遠い目をした。その焦点はどこか合わない。
「でも俺はな、何の意味もなく生まれてきた。
妹もそうだった……」
口の端が大きく曲がり、不気味な笑みを作る。ライカは恐怖で後ずさった。
「――けれどあの方は、死ぬ意味を与えてくれた」
リドガーは目一杯体をライカの方へ動かし、近づけようとした。両端の騎士が力任せにそれを止めなければ、今頃、彼女は両腕を結ばれた彼に押し倒されていたかもしれない。
「お前ら貴族が憎かった。だが、今は哀れだとさえ思う。
――せいぜい生きな。あの方が蹂躙されるその日まで」
虚な目がライカを捉えている。
相変わらず焦点は合っていないというのに。
ライカは体を硬直させたまま、リドガーを見つめ返すことしかできなかった。
「――ライカネル様」
ライカを正気に戻したのは、エミールの穏やかな声だった。木漏れ日のような暖かなその声色は、冷えたライカの心を温める。
「エミール……」
彼は一冊の本をライカに向かって差し出した。表紙には『法の道』と書かれている。二人で買ったイドル・クラシェイドの本だ。
「あなたが持っていてください」
「ですが……」
この本を手放すということ。それが何を意味しているのかを理解したライカは、受け取ることができなかった。
「僕にはもう、資格がないのです」
そう言って、エミールは無理やりライカに本を持たせた。
「父が申し訳ありませんでした。
この罪は、家門をもって償います」
大きく下げた頭を遠くに感じながら、ライカは本を両手で抱きしめた。その手はかすかに震えている。
〝これはこれはクラシェイド伯爵。平民の男に襲われ、大怪我をされたとお聞きしたのですが、もうよろしいのですか?〟。
あの練習会の日、貴族たちはライカが平民の男に襲われたことまでは知る由もなかったのだ。けれど、計画者であったフリードは、バーマン・セングが平民であることを知っていた。それ故の失言だった。
「エミール、私はまだあなたを友人だと……」
「――ライカネル様」
エミールは首を横に振って微笑んだ。けれどその目は、今にも泣き出しそうなほど滲んでいた。
「〝願わくは、血にて裁かしむことなかれ〟。
イドル様の走り書きには、もうひとつの意味があったのだと思います」
ライカが持っている本にそっと触れながら、エミールは優しく語りかけた。
「血縁者に断罪させるようなことはするな、と」
「エミール……」
ライカは何も言うことができず、顔を俯かせる。そんな彼女の肩に彼は一度だけ手を置いた。
「ライカネル様とお話ししている時が一番楽しかったです。
――あなたの歩まれる道が、明るいものであることを願っています」
再びエミールは大きく頭を下げると、背を向けて振り返ることなく一人静かに歩き始めた。
ライカは後を追うことができず、その場にただ立ち尽くす。
――私が決断できなかったから。
だから、父を告発するという苦しみをエミールに背負わせてしまった。けれど過ぎ去った時間は巻き戻せない。
背を向けて、別の道を歩み始めた少年。
追うことも進むこともできずに立ち止まるライカ。
明るく照らされる道など見えはしない。




