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宴の一計

 収穫祭の夜に開かれる宴会では、貴族たちが集まり、国王にその年の成果物を進呈するのがエルドガールの慣わしだった。


「ケインズ伯爵領より、アドルグ・タキアスが献上いたします」


 豪奢な椅子に座った国王・ナザリウスの前に、小太りの男が進み出る。背後に控えた従者の手には平らな台。中央には絹の袋が据えられていた。


「ケインズの特産品である小麦粉です。

 新麦を厳選し、極上の粉にいたしました」


 ライカの心臓はどくどくと高く鳴り響いていた。なぜなら、次は彼女の番だからだ。あらかじめ用意していた言葉を頭の中でおさらいする。


「次、クラシェイド伯爵領、ライカネル・クラシェイド」


 名前が呼ばれ、ライカはたどたどしい足取りで国王の前に進んだ。


「クラシェイド伯爵領より、ライカネル・クラシェイドが献上いたします」


 ライカがそう告げると、後ろからロウザが献上品を掲げる。彼の大きな手に握られているのは、一冊の分厚い本だった。


「祭礼に関する法をまとめた『王国の祭礼法』になります」


 これは、かねてより王国から編纂を要請されていた専門書だ。祭礼行事に関する法律だけを抜き出し、一冊の本にまとめるようにと。

 この本を作成した中心人物はセイランだった。彼女は見識のある学者を集め、必要な法律を抜粋し、ひとつの本として編纂したのだ。装丁にもこだわったようで、芸術的な絵には金箔が施され、真鍮の留め具が使われている。


「平民の肩を持った……」

「よくもまぁ、顔を出せたな」

「やはり従兄弟殿の方が……」


 ライカの背中には心無い言葉が突き刺さる。どれもささやくような小さな声だったが、心を乱すには十分だった。


――後悔しないと決めたから。


 ライカは俯きそうになる顔を持ち上げた。前を向くと、固く大きな椅子に座ったナザリウスと目が合う。金色の目からは、感情が読みとれなかった。


「これは豊穣の女神・メテルシアではないか……!」


 本を見た貴族の一人から咎めるような声が上がった。

 ライカは驚いて声の主を辿る。先ほど、小麦粉を献上した小太りの伯爵、アドルグ・タキアスだった。カディアン・ルーヴェックの処刑を止めたせいで、アドルグのライカに対する心象は最悪だった。


「国王陛下が制裁なされた宗教の女神を表紙に飾るなど、不敬ではないか!?」


 エルドガールは宗教色の薄い王国である。とは言っても、十数年前までは国教と呼べる宗教があった。けれど王国を揺るがすほどの腐敗ぶりであったため、ナザリウスが司祭たちを処断し、各地の教会を廃絶に追いやっている。


「この者、宗教に加担し、謀反の企みでもあるのではありませぬか?

 ナザリウス国王陛下!」


 アドルグの言葉に、ライカはすぐさま否定する。


「そのような意図はございません!」


 高明な学者と聡明なセイランが問題ないと判断した装丁なのだ。エルドガールの規定に反するものではないはずだった。


「まぁ、どこかおかしいと思えば……」

「やっぱり王国に忠誠などなかったのだな」


 ひそめく群衆の中にライカを擁護する声はない。彼女は人垣の中央で、冷たい視線に晒される。


――どうしよう……。


 <王国の天秤>としてあってはならない事態だ。それどころか、謀反を疑われるなど一貴族として絶望的だ。

 足が震え、声が喉に詰まる。重い空気が肩にのしかかり、ライカはわずかな動きもとれなくなった。


「――事実か? クラシェイド伯爵」


 青年の低くよく通る声が広間のざわめきを止める。

 決して咎めるような響きはない。

 彼の言葉にライカは再び思考を始め、その真意を読みとった。


「いいえ、誤解です。――シルヴィス侯爵閣下」


 声の主である青年にライカは目を向けた。

 二人は一瞬だけ柔らかな表情を浮かべ合い、けれどすぐさま顔を引き締めた。


「確かにメテルシアはナザリウス国王陛下が制裁なされた宗教の女神です。けれど――……」


 ライカはアドルグの元に詰め寄ると、下から睨みつける勢いで見上げた。


「今やその宗教的意味合いは薄れ、芸術のモチーフとして抽象化されているのは一般的な事実です」

「な、何を……」


 冷静になればライカが追い詰められる理由は最初からない話だった。豊穣の女神の絵や像など、エルドガールを探せばどこにでも存在しているからだ。


「王宮の天井画には天空の神々の集合図が描かれていますよね?

 王立大学の紋章にも知恵の木の枝がモチーフとなっています」


 アドルグの顔がみるみる蒼くなっていく。言い返す言葉が出てこないのだ。


「そもそもこの収穫祭は、元を辿ればメテルシアに一年の豊作を感謝する行事です。

 今でこそ、その儀式性はなくなっていますが」


 ライカの献上する『王国の祭礼法』を否定するということは、宗教の残滓を許容している王国を否定することに繋がるのである。

 アドルグの旗色が悪くなると、それまでライカをなじっていた貴族たちのささやきも、息を止めたように聞こえなくなる。広間は陰鬱な空気に包まれた。


「――もう良い」


 感情のない声色で、ナザリウスが制止する。ライカは口を閉ざすと彼に向き合い、深く頭を下げた。


「クラシェイドの言う通りだ。この本に問題はない」


 それが終わりの合図だった。

 ライカはもう一度頭を下げると、献上品をナザリウスの従者に渡し、広間の人だかりから離れた。


「大丈夫かい? ライカ」


 背後からロウザが心配そうに追いかけてくる。そんな彼を見ても、ライカの顔は曇ったままだ。


「疑いは晴れました。けれど……」


 <王国の天秤>として相応しい態度だっただろうか。潔白を証明すべく発した言葉は相手を追い詰めるだけのもので、あの場の空気は重く沈んでしまった。


――まさか……。


 ライカの額に汗が浮かぶ。

 それはありえない話ではなかった。けれど今のライカには受け入れ難くもあった。


――あれは仕組まれたこと?


 アドルグの議論にもならない難癖。それは、今思うとあまりにも不自然であった。

 あの場で批判された時点でライカに〝均衡〟を保つことはできず、弁明をしようがすまいが名誉は傷つけられたのだ。


「何もできなかった……私には……」


 癖のある髪をくしゃくしゃと掻きむしる。体が芯から冷え、足が力なく震えた。


「十分だったよ、ライカ。ちゃんと見ている人はいる」


 ライカの肩に手を回し、ロウザが強く抱きしめる。体に伝わる温もりを感じながら、ふと彼女は考える。

 自分はこうやって貶められてきたのだろうかと。

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