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馬上槍試合の勝者

 路地裏の小汚い空間ですら、その男――ウェンセム・アレシオンの威厳は何一つ損なわれなかった。上から見下ろすせいで、彼の髪は放射状に広がっている。


「寄付の証が必要なことに気付いたのは悪くなかったよ。

 ――随分遅かったけど」


 頭上より降り注ぐ声には、どこか揶揄うような響きがあった。そんな彼を前に、ライカの表情は不安を押し殺したように強張っている。


「……助かりました。

 お手ずから持って来てくださるとは思いませんでしたが」

「ああ、王宮に用があってね。

 直接来た方が早かったから」


 ライカの懸念点は見事に当たった。寄付の証明をカティスに頼んでいたのが、ぎりぎりで間に合ったのだ。しかしそれは、ウェンセムが自ら足を運んだおかげだ。


「まぁ、反省かな。君もカティスも」


 直前に気付いたとはいえ、自分たちの活動にしか目がいっていなかった。シナモンが及ぼす影響を甘く見ていたのだ。


「まぁ、そんなことはどうでもいい。約束を忘れていないか。それを聞いておきたかったんだよ」

「もちろん、覚えています」


 ライカは強く頷いた。

 選王会議を開く。彼と交わしたその約束は、常に頭の片隅を占領していた。


「まだ果たせてはおりませんが、私は必ず……」

「必ずだ」


 ウェンセムが短く被せる。その威圧感に、ライカは思わず後ずさりそうになる。


「必ず冬が終わるまでに開くのだ。

 ――そうでなければ、また同じことが繰り返されるだろう」

「それは……」


 ネイゼンの生誕祭で起こった事件のことを言っているのか。

 ライカには問い返すことができなかった。

 二人の間に重たい風が吹き抜ける。

 癖のある髪が顔にかかり、頬をくすぐるように撫でたが、ライカの手は動かなかった。


「ま、できるだけ早く頼んだよ、<王国の天秤>殿」


 ウェンセムは急に表情を緩め、軽薄そうに笑った。


「証明書の件は貸しとしよう」


 言いたいことを言って満足したのか、彼はくるりと背を向ける。ライカの返答など聞きもしないで、ウェンセムは悠然と立ち去った。

 一人取り残されたライカは、小さくため息を吐いた。


――貸し、か……。


 小汚い路地裏で、ライカは途方もない気持ちに包まれる。返すあてなどなかったからだ。


「……大丈夫ですか? ライカネル様」


 顔を曇らせる彼女に、おずおずと声がかかる。俯けていた顔を上げると、エミールが心配そうにこちらを見ていた。


「ええ、もう大丈夫です」

「その……すみません……」

「いいんですよ」


 気まずそうな顔をする少年に、ライカは安心させるように微笑んだ。


「アレシオン公爵とは少しお話ししただけです」

「さすが、ですね……」

「仕方なくですよ?」


 決してウェンセムと対等に会話をしていたわけではない。常に主導権は彼にあり、ライカは怯んでばかりだ。


「私よりも歳下なのに、ライカネル様はしっかりしています」

「そんなことはありませんよ。

 私の噂はご存知でしょう?」


 並んで歩く二人の足取りはゆっくりしたものだ。それぞれが悩みを抱えていることを確かに感じた。

 重い顔で路地裏を抜け、人気のある明るい通りへと出た。

 

「あの人よ……」

「クラシェイドの……」


 道行く人々から声がもれる。けれどそれは、貴族たちから向けられる批判的な言葉ではなかった。


「平民を庇った貴族だ」

「俺たちに味方するなんて……」

「バーマンも少しは報われただろう」


 ライカははっとしたように目を見開く。とても大切なことを今、彼女は聞いたのだ。


「私は間違っていました」


 俯くライカの視線は自分のつま先に向いていた。両足は止まっており、石畳の道の上に頼りなく影を落とす。

 隣のエミールは黙ったまま、彼女の言葉を静かに聞いた。


「バーマン・セングさんを庇ったことを、わずかでも後悔してしまったのです」


 バーマンを弁護したのは、罪に見合う罰を求めてのことだ。首謀者が野放しにされた状態で、彼が平民という身分故に極刑に処されるのは間違っていると思った。


――例えこれが〝銀杯〟を渡される理由になろうとも……。


 ライカは後悔しないだろう。それだけの決意が今できた。


「私は自分なりに正しいと思う選択がとれました」


 顔を前に向けると、ライカは何事もなかったように真っ直ぐ歩き始める。もう、先ほどまでの重い足取りではなかった。


「やはり、さすがです」


 そう小さくこぼしたエミールの声は、ライカには届かない。


「早く戻りましょう。

 まだまだクッキーを配りませんと」

「そうですね」


 そう言って二人は皆の元へと足早に戻った。



 ◇



 行列が途切れる頃、ちょうどシナモンクッキーも全てなくなった。すっかり疲れ果てた様子でライカたちは片付けを始める。

 レーネが近づくと、ライカにひとつの提案をする。


「ねぇ、ライカネル。これから試合を見に行かない?」

「馬上槍試合のことですか?」

「そうよ。そろそろ試合が盛り上がる頃だわ」

「片付けがありますので私は……」


 断ろうとしたライカに、リリーシアたちが微笑む。


「もう十分ですわ、伯爵様」

「あとは我々がやっておきますので、見に行って来てください」


 ヴァルト兄妹のその申し出に、ライカは頭を下げる。


「これはすみません。伯爵として顔が立ちます」


 伯爵であるライカは、正式な試合である馬上槍試合に列席するのが望ましかった。少しだけでも顔を出しておく方が後々のためだろう。


「カティスはどうしますか?」


 そう尋ねると、彼女は勢いよく顔を横に振った。どうやら恐ろしいらしい。毎年、負傷者が出るこの試合は、カティスのような可憐な少女には、いささか刺激が強いのかもしれない。


「それじゃ、私とアイル兄さんとライカネルの三人で行きましょう」

「はい」


 こうして三人は近くにある試合会場へと向かった。



 ◇

 


 馬上槍試合は今回の収穫祭のように、王国をあげて開催される祭や宮中行事などと併せて行われることの多い競技だ。鎧を纏った騎士が馬に跨り、互いに槍を突き合う模擬戦である。

 ライカたちが会場に着いた頃、すでに決勝が始まっていた。


「これより決勝戦を開始する!

 勝ち進んだのはフレンダル騎士団副団長、カイウス・ヴェスター!」


 拍手と共に現れたのは、柔らかな茶髪の青年だった。カイウスは白馬を手繰り、ゆっくりと位置に着く。


「対するは我らの剣!

 <王国の長剣>ゼナイ・シルヴィス!」


 一際盛大な拍手が会場を包む。赤い髪を風に靡かせ、ゼナイが黒馬を進める。その顔に緊張の色はない。

 勝負は三回。槍を当てた位置や、相手を落馬をさせたかどうによって得点が決まる。自分の槍の先を破損させた場合は、より高い評価が得られた。


――大丈夫かな。


 カティスが嫌がったように、怪我の多い競技だ。ゼナイにもしものことがないか、ライカの紫の瞳には不安の色が浮かんだ。

 高座より国王が見下ろす中、彼らは向き合うと、重い金属の兜を被る。そして、ゆったりと左手に盾、右手に槍を構えた。


「始め!」


 掛け声と共に二人は同時に馬を走らせ、互いの元へと接近する。すれ違う間際に水平に落とした槍が相手へと向けられた。

 静まり返る会場に、金属が鳴らす鈍い音が響き渡る。

 それは、ゼナイがカイウスの盾を槍で突いた音だった。

 徐行する馬の背に跨るゼナイの手には、先の折れた槍が握られていた。


「勝負あったかな」


 レーネが呆れたように笑った。


「このまま終わりだろうな」


 アイルがつまらなさそうにぼやく。

 彼らがそう言った通り、残りの勝負も似たような結果に終わった。目にも止まらぬゼナイの槍さばきでカイウスは手も足も出ず、赤髪の青年は難なく勝利を掴んだ。


「ゼナイは槍も得意だったんですね」

「武器ならなんでも扱えるのよ、あの人」


 嫉妬の混じった声でレーネはぼやいた。彼女たちからすると、ゼナイの存在は大きすぎる壁だろう。


「やだ、こっちに来る……!」


 馬の手綱を掴んだまま、ゼナイがライカたちの方に向かってやって来た。

 エルドガール王国の馬上槍試合には、ひとつの慣習があった。試合の勝者はその証として槍を掴んでいた手、つまり右手の手甲を任意の者に渡すのだ。


「レーネ」


 ゼナイは右手から手甲を外すと、レーネへ渡すために手を伸ばした。けれど、少女は嫌そうに顔を背ける。


「去年貰ったじゃない。何個もいらないわよ」

「そうか?」


 ゼナイは左右をきょろきょろと見回す。


「アイルは?」


 ライカも周囲を見渡したが、いつの間にか彼の姿はなくなっていた。どうも試合が終わると同時に逃げたらしい。


「アイル兄さんだって二つもいらないわよ」

「困ったな……」

「だから恋人でも作りなって言ったじゃない!」


 手甲を渡す相手は家族、主人、そして想い人が定番だ。最初に家族の元へ来た以上、主人である国王へは行きづらい。ゼナイの視線はライカに留まる。


「じゃあ、ライカネル。友人のお前が貰ってくれ」

「ええっ!」


 驚くライカにゼナイは無理やり手甲を押し付けた。突き返すのも忍びなく、ライカはおとなしく受け取る。


――恋人に渡すには華がないかな……。


 無骨で生々しい重み。レーネたちが嫌がる理由がライカにもわかる気がした。


「それじゃあ、俺は一旦戻る。ライカネル、また後でな」

「はい。宴会場で」


 ライカは憂鬱な気持ちで答えた。貴族の集まる社交場では、決して歓迎されないだろうから。


「大丈夫だって」


 励ますようにレーネが背中を叩いた。その勢いで、思わず手甲を落としそうになった。

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