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シナモンのクッキー

 秋の豊穣を祝う収穫祭。

 王宮には各地から収穫されたその年の作物が献上され、街道には様々な露店が立ち並んだ。そこから少し外れた区画にある細い路地で、ライカたちはシナモンの入ったクッキーを配っていた。

 参加できないと諦めていたライカだったが、どういうわけかセイランから許可が下りたのだ。

 シナモンはとても珍しい菓子だ。貴族ですら口にしたことがない者もいる。それを品の良い良家の令嬢が配っている。リリーシアが抑えた場所には、長蛇の列ができた。


「なんで俺まで……」


 そうぼやくのは、燃えるような赤い髪をした少年だった。顔立ちはゼナイとそっくりだ。それもそのはず、彼はゼナイの弟だった。エミールとは同い年だという。


「文句ばっか言ってないできりきり働いてよね、アイル兄さん!」


 レーネの声が路地に響く。

 彼女は快活な笑顔を浮かべて、子どもたちにクッキーを配っていた。

 シナモンは貴重な香辛料であるため、クッキーの中には少量しか加えていない。けれど、それだけでも香りは十分楽しめる仕上がりとなった。


「ほら、ライカネルも頑張って手を動かす!」

「は、はい……」


 ライカはアイルとエミールが運んでくる箱からクッキーをカゴに入れる係だった。


 少年が一人、カゴに入ったクッキーを見つめる。


「妹の分も貰っていいですか?」

「ええ、もちろんです。優しいお兄さん」


 カティスはカゴからクッキーの入った袋を二つ取り出すと、にこりと笑った。その眩い笑顔に、少年も大きな笑顔を返した。


「カティスの案が上手くいきましたね」

「とんでもございませんわ」

「でも少し心配なことがありまして……」


 ライカはあれからこの活動について問題点がないか考えた。書類の手続きや運営施設の設置は滞りなく行えている。けれどここに来て、一つ懸念点が浮かんだのだ。


「わかりました。私にお任せください」


 カティスは近くに控えていた護衛の一人に耳打ちをした。彼は頷くとどこかへと歩いて行く。


「ありがとうございます、カティス」

「何でもおっしゃってください」


 懸念点が消えたライカは、再び活動に戻った。


「押さないでくださいね。

 クッキーはたくさんありますから」


 透き通るような声でリリーシアが列に向かって声をかける。珍しさゆえに噂になっているようで、まだまだ途絶える気配がない。


「いい感じです」


 彼女たちの様子を横目に、ライカは静かに頷いた。昨日は一日中、料理長の指導の下、クッキーを作っていた。その甲斐が今実っているのだ。


「お前は一番楽そうだな」


 アイルがライカの肩に手を回し、嫌味を言う。


「そんなことはありません。

 ただただカゴに入れれば良いというわけではないのですから」

「ほう?」


 ライカは人差し指でカゴを示した。


「彼女たちの持つカゴの中身がまだ残っているのに、次のカゴを渡したら邪魔になります」

「そうだろうな」


 当たり前のことを言われ、アイルはつまらなさそうに頷いた。ライカは構わず続ける。


「ですが、遅すぎても手を止めてしまいます」

「それで?」


 アイルの目はゼナイとは違い、年相応の子どもらしさがあった。ライカは持っていたカゴを、アイルに見せつけるように持ち上げた。


「カゴの中にクッキーを配置しながら、破損がないかも確認しています」

「そうだったのか……?」


 つまり、とライカは誇らしげに胸を張る。


「この活動が上手く回るよう、歯車のように噛み合わせているのが私なのです」

「上手く言ったもんだな」


 アイルは呆れたようにため息を吐いた。それはどこかゼナイと似ているように思え、ライカは小さく笑う。


「歯車が止まっているわよ」


 レーネが空のカゴをライカに被せる。急に視界を塞がれ、ライカは慌てて左右を見回した。そんな彼女を見て、周囲からは笑い声がもれる。


――このまま上手くいけば……。


 温かな雰囲気に包まれ、穏やかな日常が流れていた。

 それは、バーマンの裁判やルーカディアスの脅迫ですり減らした心を癒すようだった。


――ずっと続けばいいのに。


 けれど、ライカの願いも虚しく、招かれざる客が現れた。


「おい! 誰の許可を得てシナモンの菓子を売っているんだ?」


 背の高い男が怒鳴りつけるように声を張り上げた。楽しそうに話しをしていた行列から笑顔が消える。


「何よ、あんたたち?」


 眉間に皺を寄せ、レーネがずいと前に出る。腕を組んで悠然と立つ姿は頼もしい。


「勇気あるなぁ、お嬢ちゃん」


 隣の男が指をポキポキと鳴らす。わかりやすい威嚇だ。


「用件は何だ?」


 レーネと同じ表情でアイルも男たちを睨んだ。赤い髪の兄妹に睨まれ、彼らはわずかにたじろいだ。


「……シナモンだ」

「ああ?」

「誰の許可を得て売ってんだ?」


 三人目の男がリリーシアの持っていたカゴに指を向けた。エミールがすぐさま彼女の前に立ち、その背で庇う。


「このシナモンはアレシオン公爵家の寄付です」


 ライカは男たちに向かって説明した。コンザール伯爵家の慈善活動であり、その支援をアレシオン公爵家がしていること、それ故にシナモンの独占権には触れていないことを。


「『エルドガール商法典』第2編・交易と特許・第2条に専売特許を侵害した者を罰する規則がありますが、それは寄付目的の使用まで禁じていません」


 けれど、男たちは薄笑いを浮かべるだけで引く様子はない。子どもばかりの集団を完全に舐めていた。


「ちゃんと公爵家の許可を得たのか?」

「信じられねぇなぁ?」


 疑う彼らに、一人の少女が俯いていた顔を上げる。


「本当です!」


 黙って見守っていたカティスが一歩前に出た。その肩はわずかに震えている。


「私はカティス・アレシオン。

 公爵家の娘です。

 シナモンをコンザール伯爵家に提供したのは間違いありません」


 普段のカティスからは想像もつかない凛とした声だ。

 そして、これで終わりのはずだった。だが、男たちは意地悪く笑うだけで納得しなかった。


「証明できるか?」


 少女の勇気を貶める言葉が投げかけられる。

 ライカは理解した。

 彼らはおそらく、公爵家にシナモンの使用料を払い、露店を経営している店主の差金だ。ライカたちが無償でシナモンクッキーを配っているため、商売に影響が出てしまい、こうして嫌がらせをしているのだ。


「公女を疑うなど無礼ですよ」


 ライカはにたにたと笑う男たちに冷たく言い放った。いくらデビュタント前の公女とはいえ、彼らの発言は目に余る。


「庶民にわかるかよ」

「証明書でもあるんだろうな」


 男たちは変わらぬ態度で馬鹿にする。皆が腹に据えかね、怒りが頂点に達しかけたその時だった。


「――証明書がいるのかね?」


 路地に低い声が響く。

 誰の耳にもよく通る声だ。

 周囲の視線は声の主――深緑の髪の男に集まる。


「ほら、これでいいな?」


 男は、ウェンセム・アレシオンはそう言うと、一枚の紙を見せつけた。それは公爵家よりシナモンを寄付する旨が記されたサイン入りの証明書だった。


「ああ、はい。確かに……」


 男たちは逃げるようにその場を去った。書かれた内容をよく読みもしないで。


「ありがとうございます、お父様!」


 カティスが嬉しそうにウェンセムにしがみつく。それは娘にしか許されない特権だ。


「ええと、助かりました、アレシオン公爵……」


 ライカは気まずそうな顔をして公爵を見上げた。父であるロウザにも負けないその長身の男は、相変わらず不敵な笑顔を浮かべている。


「やぁ、伯爵。ちょっと二人で話そうか?」

「えっ?」


 そのままライカは路地の奥へと引き摺り込まれる。助けを乞うようにレーネたち視線を向けたが、誰一人として目を合わせてくれる者はいなかった。

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