表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/47

夜明けの少年

「助かる。――だが、アリアスは不思議なやつでな」


 ハンザスは下げていた頭を戻し、椅子に座り直すと、どこか遠くを見るような儚い目をした。


「琥珀色の目立つ髪色をしているのに、周囲に馴染んで気づけねぇんだ」

「……?」


 あまり理解できなかったハンザスの説明。この時は、それほどまで障害になるとは思ってもいなかった。


――どうしたものかな。


 やってみるとは言ったものの、ライカにできることはあまりなかった。応接間にハンザスを残し、ライカはセイランと二人、書斎で方針を話し合う。


「〝伝達網〟を使いましょう」

「〝伝達網〟ですか?」


 セイランは顔を近づけると、声を潜めて囁くように説明した。


「〝マシェル伝達網〟はクラシェイドの持つ情報網のことです。

 裁判所は通達を言い渡すために各地に赴くので、自然と情報に通じます」


 ライカは想像した。各地の裁判所で集積された情報が、法曹の総本山であるクラシェイドに集まっていく様を。


「マシェル伝達網を使えば見つかるかもしれません」

「そんな組織がうちに……」


 ライカは唖然とした顔でセイランを見た。彼女はにっこりと笑い返す。


「いつかお話ししようと思っていましたが、早くなりましたね」

「そうですか……」


 どうやらクラシェイド伯爵としてようやく知るべきことを知ったようだ。背中に薄らと汗が浮かぶ。


――クラシェイドも裏の顔があったってこと?


 伝達網など怪しさ満点だ。けれど今はそれが役に立ちそうだった。ライカは琥珀色の髪をした少年の捜索を、マシェル伝達網に任せることにした。



 ◇



「どうも見つからないそうです」


 セイランの報告は芳しくないものだった。


「マシェル伝達網は優秀なのですが」


 困ったようにセイランは首を傾げている。伝達網の精度をライカはよく知らないが、夜更けに逃げた貴族の少年を見つけることなど造作もないはずだったのかもしれない。


――確かに変だ。


 こんな時分に子どもが徘徊していれば、貴族でなくとも目立つ。特に王宮の周辺は管理が進んでおり、浮浪者の数も少ない。


「捜索範囲を王宮周辺からもう少し広げてみようと思います」

「それが良さそうですね」


 入り組んだ王都の街を、不慣れな少年が長距離移動できるとは思えなかった。運良く交通手段を手に入れても、どこかの検問に引っかかるだろう。


「もしかして、アリアスさんという方は本当に見つけにくいということでしょうか?」

「マシェル伝達網の目を誤魔化せるなんて……」


 セイランは信じられないと言わんばかりに目を広げる。


「……気になることがあるので、バーケム卿ともう少しお話ししてきます」


 そう言って、セイランは応接間へと向かった。


――どうも引っかかる。


 書斎に残ったライカは考える。

 言葉にはできないが、彼女もまた、気になることがあった。


――何かがおかしい。


 ずっと引っかかって仕方がないのだ。それは靴に入り込んだ小さな石粒のように不快なもので、ライカは取り除こうと頭を働かせる。


――見落としていることがあるような……。


 今はマシェル伝達網の報告を待つことしかできない。その代わり、できた時間で思考を巡らせる。


――バーケム卿との会話を最初から思い出してみよう。


 ライカは頭の中で先ほどのやりとりを反芻する。人探しを頼まれたこと、名前はアリアス・メリクトであること、王宮から逃げたこと。


――うん? 違うな。


 ライカははっと顔を上げ、ハンザスのいる応接間へと走った。


「バーケム卿!」


 セイランと何かを話し込んでいたハンザスに向かって、ライカは半ば怒鳴るように声を張り上げた。


「あなた、言ってないことがありますね?」


 ハンザスはライカをちらりと見ると、すぐさま紅茶に映る自分の顔に視線を落とした。


「気づかれちまったか」

「あなた……」


 ライカは込み上げる怒りを飲み込むとハンザスに近づき、薄ら笑いを浮かべる顔を睨みつけた。


「アリアス・メリクトさんが逃亡したのは王宮からではありませんね?」

「……ああ、そうだ」


 ハンザスはアリアスが逃げたとしか言わなかった。ライカたちは王宮からだと勘違いさせられたのだ。


「そんな大事なことをなぜ言わなかったのですか!

 捜索する範囲が変わりますよ!」

「悪かった」


 ハンザスは降参とばかりに両手を上げる。


「俺たちも一枚岩じゃないんだ」

「使節団の誰かが王宮から連れ出したんですね?」


 ライカの問いにハンザスは首を縦に振る。


「マルリックのやつだ。あいつは……」


 彼は口を止め、セイランを見た。言おうか言うまいか悩んでいるのだ。


「時間が経っています。これ以上は」


 ライカのその言葉に促され、ハンザスはようやく重い口を開いた。


「あいつはルーカディアスに心酔している」


 その名を聞いてライカは戦慄した。

 ここで聞かされるとは思わなかったその名が、ライカの耳の奥で木霊し、思考を鈍らせた。


「アリアスはルーカディアスの甥だ。

 色々と価値がある。

 だから、マルリックは引き渡そうとしたんだ」

「それならもう……」


 手遅れだと思った。

 あれからどれだけの時間が経ったのか。ルーカディアスに引き渡されているはずだ。


「マルリックたちが帰って来ない」


 そんなライカを落ち着かせるように、ハンザスは静かな声でゆっくりと喋った。


「言っただろう?

 アリアスは周囲に溶け込むって。

 勘のいいやつだから逃げ出して、どこかをうろついているに決まってんだ」


 ハンザスの言うことには根拠がまるでなかった。けれど、そうと信じて探すしかなかった。


「でしたら、捜索方法を変えます」


 ライカは動揺を抑え込むと、マシェル伝達網に新たな指示を出すよう、セイランに頼んだ。



 ◇

 


 夜が明ける。

 薄暗い路地裏から一歩出ると、すぐそこには賑やかな街並みが広がっていた。パンを売る老女。仕事に出かける青年。果物を売る壮年の男性。その男性からりんごを買う少年。


「アリアス・メリクトさんですね?」


 手にりんごを持ち、帽子を被ったその少年の袖をライカは掴んだ。


「ハンザスさんの依頼で捜索していました」


 立ち去ろうとした彼は、その名を聞くと足を止め、呼び止めた人影――ライカを振り返った。その目には警戒心を残したまま。

 背はライカよりもやや高く、帽子からはみ出た髪は確かに琥珀色をしている。


「――よくわかったな」


 不機嫌そうにアリアスは言った。まるで隠れ遊びで最初に見つかった子どものように。


「アリアスさんは見つけにくいらしいので、まずはノンターク伯爵を捜索させました」


 マシェル伝達網により、マルリックたちはすぐに見つかった。アリアスを探して走り回っていたからだ。おかげでアリアスが逃亡したおおよその位置がわかったのだ。


「あとは琥珀色の髪を持つルーカディアス王弟殿下に似た顔立ちの方を探して終わりです」


 アリアスは本当に周りの風景と馴染んでいた。目立つ外見で堂々と買い物をしてさえも。


「説明になってない」


 アリアスはますます不機嫌そうな顔をしてライカを問い詰めた。


「私は見つかったことなどないのだ。ただの一度も」

「そうなのですか?」


 ライカは不思議そうに首を傾ける。確かにアリアスはこの街の一角と調和し、すれ違ってしまいそうだった。けれど、りんごを手に取り、眺めるその横顔を見た瞬間、ライカは彼こそがアリアスだと気がついたのだ。


「そうですね……普通はそんな表情でりんごを見ないから、でしょうか……?」


 貴族――いや、王族の血を引くアリアスが、屋台で果物を買うのは珍しいことだったのだろう。その目には好奇心や物珍しさが混じってしまった。それはこの風景には間違ったことだった。


「もういい」


 今度は不貞腐れたように横を向き、アリアスは説明を止めた。


「近くに馬車があります」


 通りの向こうに用意したクラシェイドの馬車を、ライカが指で示す。けれど、アリアスはじっと彼女の目を見たまま動かない。


「〝アルカディスの赤い涙〟」


 ふいに少年の口からもれたのは、聞いたことのない言葉だった。


「それがなんですか?」


 すぐにでも馬車に戻りたいライカは、先を急かすように問いかけた。


「メザーニャで王侯貴族を暗殺する際に用いられる毒だ。

 嫉妬に狂った女神の名からつけられた」


 アリアスの顔は人形のように表情がない。今、彼が何を考えているのかライカにはわからなかった。


「別名、〝メザーニャの赤い毒〟。

 顔は蝋のように青白くなり、手足には力が入らなくなる。

 他の病なら腕から指にかけて脱力するが、逆に指から腕へと進行する。

 一度飲むと身体に溜まり続け、長い年月をかけてじわじわと蝕んでいく。――心までも」

「どうしてそれを……」


 王国の秘匿すべき情報であるはずだ。アリアスの立場がよくわからないが、こうしてライカに伝えたことが判明すれば、何かしらの咎めがあるかもしれない。


「今回の礼だと思えば良い」


 なんてこもないようにアリアスは言ってのけると、馬車に向かって一人で歩き始めた。


――アルカディスの赤い涙。


 どんな形状をした毒なのだろうか。一度、毒殺されかけた経験のあるライカには無視できない情報であった。


「アリアス!」


 街道にマルリックの声が響く。

 ライカは慌ててアリアスの手を引き、近くの植え込みに身を隠した。


「出てきなさい! アリアス!」


 植え込みの前をバタバタと走り抜ける大人たち。彼らは大きな声で少年の名を呼びかけるが、ライカとアリアスに気づく様子もなかった。


「行ったようですね」


 小さくなる背を見届けると、ライカは植え込みから身を乗り出し、周囲をもう一度よく見回した。他の追跡者もいないようだ。


「アリアスさん?」


 植え込みの側でアリアスはぼんやりと隣のライカを見ていた。


「いや、二人で隠れると笑えるんだなと思って」


 そうは言うものの、アリアスの顔に笑みはない。赤味のある金色の瞳がこちらに向けられるだけだった。


「何言ってるんです。――行きますよ?」


 ライカはアリアスの腕を取ると彼を立たせ、馬車へと誘った。


 ライカは知りもしなかった。

 アリアスのその言葉の意味を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ