決闘の審判・2
開始の宣言がなされても、二人は睨み合ったまま動かない。ハンザスは余裕の顔で相手の初動を待ち、タレスは鬼のような形相で付け入る隙を探している。
「来ないなら俺から行くぞ」
ハンザスの剣がタレスに伸びる。青年はぎこちない動きでそれを躱し、大きく剣を持ち上げ、憎き男に叩き込んだ。
「おいおい」
欠伸でも出そうな顔をして、ハンザスはタレスの剣を悠々と受け止めた。大きな音が鳴り響き、二人の剣が交差する。
「そんな緩い剣じゃ勝てねぇぜ!」
ハンザスはタレスに向かって剣を振りかざす。タレスが避けると、その先に向かって薙ぎ払うように剣を滑らせた。
「くっ!」
寸前のところで躱したタレスの顔には汗の雫が滝のように流れている。対するハンザスは息ひとつ切れていない。
「今度はそっちから来な」
ハンザスは手を広げ、挑発するようにタレスを見た。一瞬で頭に血が上り、タレスは我を忘れそうになった。だが、ふとライカの言葉を思い出し、冷静さを取り戻す。横を向くと、こちらを見つめる背の低い子どもと目が合う。
ライカは小さく頷いた。
タレスは剣が地面と水平になるように構える。
「はぁっ!」
刺すような突きがタレスから放たれる。
余裕の笑みを浮かべていたハンザスは急に黙ると、その突きを慌てて捌き始める。そして捌き切れなかった突きが身体に届きそうになった瞬間、彼は威嚇するように剣を上に振り上げた。
「うおおっ!」
「やぁっ!」
ハンザスの剣がタレスの左肩を薄く切り裂いた時、タレスの剣がハンザスの右肩に浅く刺さっていた。
「そこまで!」
ライカは声を張り上げ、二人を止める。沈黙していた観衆がわっと騒ぎ始める。
「同時に見えたぞ?」
「どっちが勝ったんだ?」
その声に呼応するかのように、マルリックが一歩前に出て、わざとらしくライカに尋ねた。
「どのように判断いたしますか?
クラシェイド伯爵」
皆の視線がライカに集まる。
その多くはライカに期待するものではない。妙なことを言い出さないか、まるで監視するような、そんな批判的な眼差しだった。――ただ一人、赤髪の青年、ゼナイ・シルヴィスを除いて。
赤い目がこちらを見つめている。
何よりも心強い眼差しだ。
――大丈夫。
ライカは息を切らす二人の決闘者に近付く。彼らは手で怪我を押さえていたが、それほど深くはなさそうだ。
「同時だった場合は傷の度合いで判定します」
ライカの答えに、ハンザスは唾を飛ばしながら怒鳴った。
「はぁっ!? こっちは加減してたんだぞ!」
「最初にエルドガールの作法にのっとると言いましたよね?」
返ってきたのは舌打ちだった。そんな不貞腐れたハンザスとは対照的に、タレスは大人しく上着を脱いだ。白く薄い生地に血が滲み、傷の様子がよくわかる。
ハンザスも仕方なく上着を脱ごうと手を伸ばしかけ、はっとしたように目を見開く。
「鎖帷子を……」
酔いが覚めたようにハンザスの顔から血の気が失せる。上着の下に鎖帷子を着込んでいたことを思い出したのだ。
「手伝いましょうか、バーケム卿?」
ライカはハンザスに近付くと、彼の上着に手を伸ばす。
「止めろ! 触るな!」
ハンザスはライカの手を払い除けた。彼の慌てように周囲は困惑し、マルリックでさえも訝しげに見つめている。
「どうかされましたか?」
そう言ってハンザスを見上げるライカの目は、前髪が影を作り、不気味な雰囲気を醸し出していた。少し持ち上がった口の端は不敵で、内心を見透かされていることに彼は気が付いた。
ハンザスは使節団としてエルドガールに来たが、かつては何度も戦になっている国だ。意外にも用心深い彼は、暗殺を防ぐために鎖帷子を着込んでいた。
だが、昔は鎧を着て行われていた決闘も、年代を追うごとに軽装になっている。タレスのように舞踏会で踊る格好のまま臨むほどに。
そんな場で鎖帷子を着込んでいたとなると、どう思われるか。無粋だと指さされること必定だ。
「――負けだ」
ハンザスは青ざめた顔で敗北を宣言する。その視線はライカに向いていた。
「酔っていたとはいえ、こんな若造に一太刀入れられたんだ。俺の負けでいい」
ライカは首を縦に振ると、観衆に向かって叫んだ。
「この決闘はタレス・グライドの勝利です!」
わっと歓声が上がり、タレスに拍手が送られる。隣にはミシェリエが並び、ハンカチで傷を押さえる。
「悪かったな、お嬢さん」
ハンザスが頭を掻きながら二人に近付く。その顔はばつが悪そうだ。
「悪い癖が出ちまった。非礼を詫びる」
そう言いながら、彼はきりりとした動きで頭を下げた。騎士然とした所作に、タレスとミシェリエは顔を見合わせ、納得したように笑った。
「ご苦労だったな、ライカネル」
観衆から離れ、静かに佇むライカにゼナイが労う。ようやくひと段落ついたことに気付き、ライカはほっと息を吐いた。
「剣の用意、ありがとうございました」
「リーディスに渡されただけだ」
それにしても、とゼナイはライカを見下ろす。
「傷の度合いで判定するなんて決まりがあったか?」
彼の疑問にライカは空を見上げた。ちかちかと小さな星が瞬いている。
「昔はあったそうです。
鎧や鎖帷子で身を固めて決闘をしていた時代の話ですが……」
「おいおい」
最初の傷で勝負を決めるのは、重傷者や死者を出さないためである。けれど、今回のようにお互いを同時に傷つけた場合、傷の度合いで判定をするとなると、その配慮と矛盾してしまうのだ。
「指摘されなくて良かったです」
「まぁ、その矛盾に気付いたのなら、お前がどうしてそう判定したのかにも気付いただろう」
どちらにせよ、三人の名誉は守られた。
<王国の天秤>として、ライカは確かに役目を果たしたのだ。
ゼナイは篝火に照らされたライカの横顔を見る。別人のようになったその顔つきにも、すっかり慣れてしまっていた。
「決闘の前にタレスに耳打ちしていたのは?」
「たいしたことではありませんよ。
バーケム卿は両手が豆だらけだったので、片手剣は不慣れかもしれないとお伝えしただけです」
だから、タレスは片手剣特有の刺すような素早い突きを連続で繰り返した。ただでさえ慣れない片手剣の動きに加え、酔いが回ったハンザスは対応できず、怪我を負ったのだ。
「おかげで丸く収まった。中に入って報告するか」
「はい。そうしましょう」
そう言って先を歩くライカの後ろ姿はどこか儚げで、ふとした拍子に消えてしまいそうだとゼナイは思った。
◇
決闘の審判で疲弊したライカは、屋敷に戻ると早々に着替え、ベッドへと潜り込んだ。けれど、いざ彼女が眠ろうと目を閉じたその時、部屋にノックの音が響く。
「どうかしましたか?」
眠たげな声でライカは扉を開いた。
「すみません、ライカネル様。
お客様がいらっしゃいました」
馴染みの侍女が申し訳なさそうに頭を下げた。
「こんな時間にですか?」
「随分と急いでらっしゃるようでございます」
夜に何の連絡もなく訪問するなど、ただごとではない。ライカは寝巻きに上着を羽織ると、応接間へと駆け出した。
「バーケム卿?」
応接間でセイランが相手をしている男を見てライカは驚いたような声を上げる。今日まさに騒ぎを起こした張本人だ。
「夜分にすまねぇ」
殊勝な態度でハンザスは頭を下げる。決闘をした時のような太々しい様子は消え失せている。
「どうしたんです?」
ライカはセイランの隣に座り、彼を見上げた。酔いの抜けた顔は年相応の落ち着きを感じさせた。
「頼みたいことがあるんだ」
ハンザスは用意された水を一口飲むと、ライカに向き合い、言いにくそうに口を開いた。
「人を探して欲しい」
「人ですか?」
ライカは困惑したように聞き返す。なぜそのような頼みを自分にされたのかわからなかったからだ。
「名前はアリアス。アリアス・メリクトだ」
その名前にはまるで覚えがなかった。使節団の主要人物ではなさそうだ。
「お前より少し年上の少年だ。
マルリックの野郎の親戚で、勉学のために連れて来た」
「どうしていなくなったのです?
王宮で過ごされていたはずですよね?」
王宮には迎賓館があり、メザーニャの使節団はそこに滞在していた。当然、警備は厳重であり、誘拐などされるわけがない。
「逃げたんだ」
ハンザスはテーブルに目を落とし、唸るような声で言った。
彼の言葉にライカは様々な疑問が頭に浮かぶ。それを察知したハンザスはひらひらと手を振って黙らせた。
「詳しくは言えないが国で後継問題を抱えてんだ。
帰りたくなかったんだろう」
もう一度、ハンザスは水の入ったグラスに手を伸ばすと、今度は最後まで飲み干した。
「本来、連れて来る予定じゃなかった人間を連れて来て、ましてや行方不明になったとしたら、格好がつかねぇんだ」
わかってくれ、とハンザスは軽薄な笑みを浮かべた。ライカは呆れて天井を見る。
マルリックの親戚と言うのなら、その少年は貴族なのだろう。そんな彼がエルドガールでもしものことがあれば外交に関わる問題になりかねない。どちらの非が問われるにせよだ。
――私の手には負えない。
本来なら正式な手順を踏んで捜索すべきことだ。しかし、ハンザスの言う通りなら、予定になかった人員が行方不明になるという事態はあまりにも怪しい。わざと逃したのではないかと追求されたら、メザーニャの使節団に返す言葉はないのだ。
「アリアスはマルリックと折り合いが悪いんだ。
継承問題は俺が力になってやるから……」
ハンザスは立ち上がると、ライカたちに向かって頭を下げた。
「あいつを見つけてやってくれ」
ライカ相手にハンザスは真剣だった。ことはどうやら一刻を争うようだ。
「わかりました。できる限りやってみます」
ライカはそう答えるしかなかった。
目の前で頭を下げる大人に心を打たれたのか、同じくらいの年頃の少年が置かれている境遇に同情したのか。
あるいは、直感が告げていたのかもしれない。
ここで彼を見つけなければ、何かが大きく傾いてしまうと。




