決闘の審判・1
ライカは王宮の舞踏会に誘われ、久しぶりに礼装を纏っていた。エスコートをする相手がいないため、裏口からの入場である。
「お久しぶりです、ユイレン第一王子殿下」
まず向かった先は、この会場で最も身分の高い青年の元だった。今日は国王が顔を出す予定はなく、ユイレンが舞踏会の主催者である。後ろでジェルマンがすまし顔で立っていた。
「こんばんは、ライカネル」
紅に染まる夕暮れ刻だというのに、真昼の太陽のような笑顔でユイレンは出迎える。豪奢な衣装はどこからでも目を引く上、王子としての品格も保っていた。今日の彼は、この場にいる誰よりも輝いている。
「メザーニャ王国から使節団も来ているからよろしく頼むよ」
隣接するメザーニャ王国とは、何度も戦を交えた過去があり、エルドガールとはあまり良い関係ではない。けれど近年ではこうして使節団を送り合い、親睦を深める努力を重ねていた。
「挨拶をした方がよろしいでしょうか?」
「その方が良いだろうね」
ライカはメザーニャの使節団と関わり合いがない。だからといってここで尻込みするわけにはいかなかった。
先ほどから、ライカに送られる視線は冷たいものばかりだ。ラッカスが王立裁判所の裁判官に任命されたことにより、<王国の天秤>は彼の方が相応しいと思う者たちがこの会場にも少なくないということだ。
「バンデル裁判官を任命したのは王国の意思だけど……」
ユイレンは顔を近づけ、ライカの耳元で囁くように言った。
「彼が裁判官として優秀だっただけだ」
国の判断がライカを追い詰めることになり、彼はそのことについて気にしているのだ。
「ラッカスが評価されて嬉しく思います」
ライカは笑って頷いた。
ユイレンの気遣う気持ちが伝わったからだ。
彼はほっとしたように表情を緩めると、再び王子として威厳に満ちあふれた顔つきに戻った。
そんなやりとりに水を差す言葉が投げかけられる。
「ユイレン第一王子殿下、エルドガールでは本当に立派な宴を催されますね」
にこにこと愛想の良い、けれどどこか探るような目をして現れたのは、王国の流行からはずれた服を着た男だった。
「ご機嫌よう、ノンターク伯爵」
ユイレンがにこやかに返す。
その名には聞き覚えがあった。メザーニャ王国の使節団の代表であるマルリック・ケイル。彼がノンターク伯爵だった。歳は三十代後半と、代表を務めるには少し若く感じられた。
「楽しんでらっしゃいますか?」
「ええ、ここは食べ物もワインも素晴らしいですね」
「それは良かったです」
マルリックはちらりとライカを見る。
「そちらの少年は?」
「彼はクラシェイド伯爵です」
ライカは一歩前に出ると、マルリックに向かってお辞儀をする。
「はじめまして、ノンターク伯爵。
ライカネル・クラシェイドと申します」
ああ、とマルリックは呟くと、わずかに口の端を持ち上げた。
「噂に聞いてます。
<王国の天秤>の特権をお持ちだとか?」
「ええ……」
マルリックの言い方には少し含みがあった。けれど外交上、その無礼を追求するわけにはいかない。
――どの噂かな……。
察するにあまり良い噂ではなさそうだ。他国にまで貶められたのではたまったものではないが、ライカはどこか他人事だった。
――昔の私なら気になってしかたなかっただろうなぁ。
けれど今のライカは、場を和ませることに集中していた。隣のユイレンの視線が返事を急かしている。
なんと切り返して良いのかライカが思案している時、賑やかな会場に怒声が響いた。
「いい加減にしたまえ!」
会場の視線が一点に集まる。酒に頬を赤らめた壮年の男と、彼を睨むように若い青年が対峙しており、その間にドレスの一部をワインで染めた可憐な少女が立っていた。
「いくら使節団とはいえ、これ以上、彼女に無礼を働くことは許せない!」
酔った男の手には空のワイングラスがあった。どうやらその中身を少女のドレスにかけてしまったらしい。
「わざとじぁない」
男は悪びれもなく言ってのけた。その言葉に青年はぷるぷると体を震わせると、胸のポケットに入れていた白いハンカチを取り出し、床に叩きつけた。
「決闘だ! 決闘を所望する!」
ハンカチを相手に向かって投げつけること。それはエルドガール王国で決闘を申し込む合図だ。
――こんな時に!?
この舞踏会はメザーニャとの親睦をかねた交流の場だ。口論どころか決闘などもっての外である。
「困りましたね」
マルリックは大袈裟にため息を吐く。
しかし、そうこぼした彼は、あまり困ったようには見えなかった。自分の配下が起こしている不祥事にも関わらず、焦って止める気配が少しも感じられない。
「とりなしてもらえませんか? クラシェイド伯爵」
ジェルマンが小声でライカに頼む。その要求にライカは眉根を寄せた。
「私がですか?」
「あなた<王国の天秤>でしょう?」
「外交に関わる問題は関与しかねますよ」
<王国の天秤>はあくまで慣習的な特権だ。明文化されていないこの権利は他国にまで通用することはなく、外交問題には関われなかった。
「ノンターク伯爵が引いた以上、殿下が仲裁に入れば角が立ちます」
眼鏡の奥のジェルマンの目は真剣だった。ここで判断を誤ればメザーニャとの関係が破綻する可能性がある。そうとわかってなお、ライカにことの収束を託しているのだ。
ライカはその思いを受け取った。
「まだ国内の問題としてやってみます」
ライカはぎゅと拳を握りしめると、渦中にいる三人の元へと駆け寄った。
◇
酒に酔った壮年の男。彼に憤る若い青年。その間でおろおろと二人を交互に見つめるドレスを汚した少女。
三人はそれぞれ異なる表情を浮かべて立っていた。
「私は大丈夫ですわ。タレス様」
「この男は踊りを断られた腹いせにわざとあなたにワインをかけたのです、ミシェリエ嬢。
到底、許せません」
タレスと呼ばれた青年は、想い人への無礼に血が昇っている。燃えるように充血した目で、空になったワイングラスを持つ使節団の従者を睨んだ。
「決闘なら受けてやるぜ。
こう見えても腕には自信があるんだ」
意地悪く笑いながら広げられた男の両の手の平は豆だらけで、鍛錬の具合を物語っている。
彼の肩幅は広く、妙に競り上がっていた。酔っていながらもまっすぐ伸びた背は、逆に違和感を抱かせるほどだった。
「決闘はいけません」
自分よりも背の高い男二人に向かって、ライカは宥めるような口調で止めに入った。
「なんだお前」
男が酔った顔を僅かに傾ける。小さな子どもが口を出したのが不思議でならなかったのだろう。
「クラシェイドと言えばわかりますか?」
「<王国の天秤>クラシェイド伯爵……!」
タレスは姿勢を正すとライカに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。見苦しいところを……」
「タレス――モルトー男爵ですね?」
タレス・グライド。ライカはセイランに覚えるよう叩き込まれた貴族の名前の中から、彼のことを思い出す。
「親睦のための舞踏会です。
どうか収めてはくださいま……」
「これはちょうど良いではありませんか!」
決闘を止めようとしたその言葉を、マルリックが大きな声で遮った。その大きさに、ライカはびくりと体を震わせる。
「<王国の天秤>であらせられるクラシェイド伯爵に審判をしていただければよろしいのです!」
何を考えているのか、このマルリックという男はライカを争いの場に引っ張り出したのだ。マルリックに対し、非難する視線を送るも、彼は観衆ばかりに目を向けている。
「できるのかしら?」
「まだ子どもじゃない」
「だが、<王国の天秤>だろう?」
会場から囁かれるのは、ライカに対する不信だった。ここで断れば審判という責から逃げ出したことになりかねない。
「……この場ではできません」
ライカは声を落とした。怒りを悟られないように。
「中庭を使え」
ライカの肩がぽんと叩かれる。振り返るとリーディスが爽やかな顔をして立っていた。
「立場上、俺は関われないからゼナイに任せた。
なんとかしてもらうといい」
「ありがとうございます」
ライカは小さく頭を下げた。
二人が味方なら心強い。ライカは中庭に出るよう、決闘者たちを促した。
◇
いつの間にか外はすっかり暗闇に沈み、篝火だけが頼りだった。中庭には二人の決闘者とミシェリエ、そして見物しようと集まった人々でごった返した。
「剣はこれを使ってくれ」
ゼナイが示した木箱には、細長い決闘剣が二本、並んでいた。全く同じ造りの片手剣を二人はそれぞれひとつずつ手に取る。
「私が審判になったからには、エルドガールの作法にのっとってもらいますがよろしいですか?」
「かまわねぇよ」
興味なさそうに使節団の従者が答える。酔っているにも関わらず背筋は伸びており、腰が引けているタレスとは対照的だった。
「先に降参した方が負けということで良いですかね?」
マルリックの言葉にライカは慌てて首を左右に振った。
「いいえ! 最初に血を流した方の負けにします!」
タレスの性格上、血みどろの戦いになっても降参しない可能性があるからだ。この舞踏会で重傷者を出すなど、ましてや死者を出すなどあってはならない。
――このまま平等に審判をするのが<王国の天秤>としての務めなのかな……?
ライカは決闘について理解していた。形骸化しつつあったが、この国では決闘裁判が行われてきた歴史があるからだ。
――『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第5章第24条、
決闘は、王族、または高位貴族の許可を得て行うべし。
ただし、死傷者が出た場合、状況に応じて処断する。
決闘の許可はゼナイやユイレンから得たことにできるだろう。死人や重傷者さえ出なければ、法律に反することなく収まるはずだ。
――でも、タレスさんが負けたら?
彼と令嬢の名誉は損なわれる。そして名誉を傷つけたはずの男は、のうのうと残りの日程をエルドガールで過ごすこととなる。
――均衡も仲裁も何も図れていない気がする。
ライカは少し悩むとタレスに近づき、そっと耳打ちをした。
「それは……」
「あなた次第ではありますが」
篝火が揺れ、周囲の影を不気味に蠢かす。観衆は今か今かとその時を待っていた。
二人の男が向き合う。
その間にライカは立った。
「それでは、タレス・グライドと、ええと……」
「ハンザス・バーケムだ」
「ハンザス・バーケムの決闘を始めます」
ライカの声は周囲の闇にすぐさま溶け込んだ。




