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約束の証

 冬が終わるまでに〝選王会議〟を開くこと。

 ライカはユイレンの茶会でそう宣言をした。それはウェンセムに問われ、強いられるように言わされた言葉であったが、その約束を違えるつもりはなかった。


「ライカネル様」


 部屋の外から声がかかる。ライカが扉を開けると、侍女が丁寧に頭を下げた。


「お客様がお見えです」

「こんなに朝早くからですか?」


 ライカは慌てて上着を羽織る。

 まだ朝食もとっていない時間に客とは珍しい。よほど急いでいるに違いない。


「こちらです」


 侍女が案内したのは客間ではなく玄関だった。

 待っていたのは赤い髪の青年、ゼナイ・シルヴィスと、そして――……。


「ネイゼン第二王子殿下!?」


 意外な人物の来訪に、ライカは小走りで駆け寄った。ネイゼンは腕を組み、顔に苛立ちを浮かべていた。


「すぐに出る。良いな?」

「え、どこにですか?」


 すでに背中を向けたネイゼンを追いながら、ライカは問いかけた。


「ケインズ伯爵領だ」

「今からですか?

 今日中には帰ってこられませんよ?」


 ライカは慌てて足を止めた。ケインズ伯爵領は急いでも着くのは夕方になるだろう。どこかで一泊しなければ帰れない。


「そもそも外出は……」


 ライカはどうしようかと後ろを振り返った。ルーカディアスと会って以来、セイランから外出をきつく禁じられているのだ。


「頼む」


 そう言って頭を下げたのはゼナイだった。

 侯爵である青年にそのような行動をとられ、ライカは戸惑わずにはおれなかった。やはり、よほどのことが起きているようだ。


「わかりまし……」

「――駄目です」


 ライカが承諾しかけた時、背後から制止の声がかけられる。


「いけませんよ、ライカ」


 セイランだった。

 ライカと同じ紫の髪を揺らしながら、三人の元へと詰め寄った。


「わかっているのですか?

 今、あなたがどれほど危険な状況か。

 どうか外出は……」

「謝罪は後でさせてもらう」


 冷たく言い放たれたのは、ネイゼンの毅然とした言葉だ。けれど、その裏には母親の思いを気遣う様子が見え隠れしていた。


――ネイゼン第二王子殿下が謝罪をなんて……。


 言ったことは曲げない。それが彼の信条だ。決してその場しのぎの言葉などではないはずだ。


「行くぞ」


 ネイゼンはライカの腕を取り、無理やり門の外へと引っ張り出した。シルヴィス騎士団の団員たちが馬の手綱を携えており、その内の一つを手に持つと、彼は颯爽と跨った。


「馬には乗れるな?」


 ネイゼンの質問にライカは頷いた。けれど、その動作は小さなものだ。


「乗れますが――遅いです」


 青年の舌打ちが響いた。


「まぁ、仕方ない」


 ゼナイは馬に跨ると、その上からライカに向かって手を伸ばす。どうやら後ろに乗れと言っているのだ。

 ライカは一回り大きなゼナイの手を取った。力強く引っ張られると、彼の背後にすとんと収まる。


「しっかり捕まっていろ。――少し飛ばす」


 彼が言った通り、馬は風のような速度で走った。ライカは落ちないように必死でゼナイにしがみついた。



 ◇



「申し訳ございません、ネイゼン第二王子殿下。

 私も知ったばかりで……」


 そう謝るのは、ケインズ伯爵の娘、イリディナ・タキアスだった。


「私とカディアンが昔から恋仲なのはご存知ですよね?

 娘が平民に手を出されたからってお父様が怒ってしまって……。

 でも処刑はやり過ぎです……」


 そう言ってイリディナは泣き出した。どうやらゼナイとこの伯爵令嬢は大学時代の級友らしい。同じく級友であるカディアンという平民の青年が、貴族の令嬢と恋に落ちたという咎で、今日の日暮れ、絞首刑に処されるという。


「領主の裁量にまで私は手を出せない」


 ネイゼンは怒りを抑えるような声で低く言った。夕日を背後から浴び、顔は暗く翳っていた。

 領主には自治権がある。その権限の範囲内ならば、例え王族であっても異議は唱えられない。

 ゼナイが赤い瞳をライカに向ける。


「ライカネル。お前なら何とかできないかと思って呼んだんだ」

「なるほど。状況がわかりました」


 馬に乗っていただけだというのに、ライカは汗だくだった。けれど、頭は冷静に事態を把握した。


「お父君は何故、処刑をなさろうとしているのかご存知ありませんか?」


 いくら権限内とはいえ、娘に悪い虫がつかないようにする方法ならばいくらでもあっただろう。その一つとして処刑の道を選ぶのは、あまりにも穏やかではなかった。

 涙を拭っていたハンカチを目から外すと、イリディナは首を横に振った。


「わからないのです。こんな横暴」


 娘ですら心当たりがないようだ。何か大きな心境の変化があったのかもしれない。けれど今はその理由を探り当てている時間はないようだ。


「では、もう一つお聞きしたいのですが……」


 ライカはイリディナの手を見ながら尋ねた。その白い指には小さな宝石が輝いていた。



 ◇



 城砦の中庭に集められた民衆は、困惑した表情を浮かべ、その中央に設置された台を見つめていた。

 台には木枠が組まれ、上から太い縄が吊るされている。その先には大きな輪。――絞首台である。


「本当にやるのかしら……」

「平民が貴族に恋したら処刑なんて古い慣習だろ?」

「普通は鞭打ちぐらいだよなぁ?」


 ささやかれる小さなざわめきは、明らかな領主への非難だった。そんな声を掻き消すように、小太りの領主――アドルグ・タキアスは剣を地面に突き立てた。


「よく聞け、者ども!

 あろうことかこの男は平民でありながら、我が娘を自分のものにしようと欲した!」


 ずいと前に突き出されたのは、後ろ手に縛られた青年だった。衣服は土に塗れ、頬は赤く腫れている。


「これよりケインズ領の慣習に則り、この男――カディアン・ルーヴェックを絞首刑に処す!」


 執行人がカディアンを絞首台へと導く。彼はさして抵抗することもなく引きずられていった。

 群衆はその様子をただ、息を潜めて見守るほかはなかった。

 風は生暖かく、空は日が落ち、赤く染まっていた。

 カディアンの細い首に縄がかけられる。

 彼の踏んでいる足場となる台を執行人が外そうと手をかけた。


「――待て!」


 城砦の中庭に声が突き抜ける。

 皆の視線が声を辿ると、そこには長い黒髪の青年が立っていた。隣に赤い髪の青年と、紫色の髪の少年を連れて。


「その処刑、少し待て」


 これだけの人数を前にしても、わずかな緊張もない堂々とした発言。その顔を知らなくても、彼が高貴な人間であることが集められた人々にはわかった。


「ネイゼン……第二王子殿下……!?」


 顔を知っているアドルグは驚いたように青年を見る。王都付近の安全を守る城砦の主人とはいえ、王子を目にする機会はめったにないことだった。


「この処刑、撤回せよ」


 ネイゼンとカディアンが級友であることを察したアドルグは、勝ち誇ったように笑った。


「ご友人を助けたい気持ちはわかりますが、ご感情に流されて領の統治に口を出すのはいかがなものでしょうか?」


 アドルグの返答に、民衆たちは嫌な顔をしつつも同意する。


「それはそうだよなぁ?」

「友人だからって特別扱いはできねぇ」

「おかしいことになっちまう」


 民衆たちの反応にアドルグは嬉しそうに笑うと、ネイゼンをにたりと嘲った。


「こんなところはご覧にならない方がよろしいでしょう。

 お帰りくださいませ」


 ネイゼンは大きくため息を吐く。それが心底、相手を軽蔑する態度で、ライカはびくりと肩を震わせた。その肩にネイゼンは手を置くと、ぐいとライカを前に突き出した。


「お前の番だ。――やれ」

「えぇ……」


 前に出されたライカは、仕方なくアドルグと向き合った。背の低い子どもを前にし、彼は小首を捻る。ライカのことなど、最初から目に入っていなかったのだ。

 少女は彼のその態度に気分を害することもなく、ネイゼンの命令を実行に移す。


「ええと、まずですね。

 何が原因でカディアン・ルーヴェックさんは処刑されるのですか?」


 ライカの問いにアドルグがつまらなさそうに答える。


「娘と恋愛をしているだけなら、まだ目こぼししたわ。

 だが、こいつはよりにもよって、婚約を結ぼうとしたのだ!

 貴族と平民の婚約を禁ずる慣習を犯す行為だ!」


 その発言に集まった人々はカディアンを見た。どことなく気が弱そうな印象を受ける青年は、しかし、大胆にも婚約を進めていたという。


「婚約!?」

「それはさすがに……」


 周囲は混乱してざわめき始めたが、ライカは焦らず落ち着いていた。それはあらかじめイリディナに聞いていた情報だったからだ。


「では、その婚約が誤解だとしたら?」

「何……?」


 今度はアドルグが困惑の表情を浮かべる番だった。けれど、それはまだほんの少しだ。どっしりと立つ姿には余裕がある。


「誤解などあるものか!

 その男は娘に婚約指輪を渡したのだ!」


 ライカは後ろを振り返ると、そこにいた女性に目配せをした。彼女は――イリディナは覚悟を決めた目で一歩踏み出し、左手の白い薬指に嵌めた指輪を掲げた。

 透明な宝石が夕日を反射し、赤く輝く。

 ライカはアドルグに視線を戻す。


「このダイヤモンドの指輪のことですね?」


 男は大きく頷くと、民衆に訴えかけるように視線を向けた。彼らも諦めたような目でその輝く指輪を見つめた。


「――これは婚約指輪ではありません」


 ライカの言葉に、周囲には水を打ったように静寂が訪れる。ただ、アドルグだけが大声で怒鳴った。


「左手の薬指に嵌めた指輪が、婚約指輪でなくて何だというのだ!」


 ライカはかつかつとアドルグに近づき、その顔を下から見上げる。


「これは〝結婚指輪〟です。

 ルーフ・シェリス宝石店が展開している新しい様式で、婚約ではなく、結婚の際に交換する指輪になります」

「結婚……指輪……?」


 アドルグはぽかんと口を開く。どうやら彼は今流行している結婚指輪について、何一つ知らなかったようだ。


「『エルドガール法大全』第3編・家と財の篇・第4章第12条、

 一、婚約の際、指輪その他の品を贈りし場合、これを婚約の証とする、とあります。

 けれど、このルーフ・シェリス宝石店の指輪は婚約指輪には該当しないので、婚約の証とはなりません」


 カディアンがイリディナに贈ったのは、一つの宝石店が出す慣習になってない商品であり、エルドガールの法律においても、何の正当性もない宝飾品だった。


「つまり、カディアンさんは婚約を結ぼうとしたことにはなりません」


 ライカの言葉に続くようにネイゼンが畳みかける。


「平民と貴族が婚約を結ぶことを禁ずる慣習に抵触していない以上、処刑に妥当性はない」

「くっ……」


 アドルグは歯をぎりりと噛み締め、拳を固く握った。その表情は悔しそうである。けれど、どれだけ考えても反論は思いつかなかったらしく、しぶしぶ口を開く。


「刑を中止せよ……」


 民衆から安堵の声がもれる。カディアンが信じられないといった顔でライカたちを見上げる。そんな彼にネイゼンは靴音を立てて近寄ると、剣を抜き、腕に巻かれている縄を断ち切った。


「――全く世話をかける」

「面目ない」


 自由になった手で、カディアンはぽりぽりと頭をかいた。


「頑張って貯めたお給料で指輪を買ったんですが、こんなことになるとは思わなかったんです」

「王立裁判所に勤務しているわりに脇が甘い」


 少し間の抜けたカディアンの言葉を、ネイゼンは冷たく切り捨てた。


「ええと、クラシェイド伯爵。

 はじめまして。助かりましたよ」

「はじめまして。カディアンさん。

 ライカネルで結構です。危ないところでしたね」


 全くです、と青年は笑った。能天気なその表情はどこか他人事のようだ。顔の赤黒い腫れでさえも、痛みに気づいていないかのように感じさせる。


「心配したんだからね!」


 イリディナがカディアンの胸に飛び込む。彼女の目には涙が浮かんでいた。


「すまなかった。――本当に、すまなかった」


 そんな彼女を、カディアンは優しく抱きしめた。

 ライカたちは彼らを残し、その場からそっと離れる。

 役目を果たし、罪なき青年は救われた。

 けれどまだ、終わりではない。


「はぁ……」


 ライカは大きくため息を吐いた。

 そんな彼女を黒髪の青年が叱責する。


「情けない声を出すな。

 母親に怒られるのが、そんなに怖いか?」


 ライカはちらりとネイゼンを横目で見る。しかし、彼よりもセイランの方が恐ろしい気がして目を戻す。その態度が気に入らなかったネイゼンは、明らかに不機嫌な表情を浮かべた。


「――今夜はみっちり剣の稽古だな」

「ええっ!? そんな時間ないでしょう?」


 ライカは助けを求めてゼナイに視線を送った。けれど、彼の顔は興味がなさそうにあらぬ方を向いている。


――頑張ったのにあんまりだ……。


 そう思ったものの、決して口にはできなかった。すでに疲労を感じていたライカは、夜空に輝き始めた月を諦めた目で見上げた。

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