真夏の庭園
王宮の庭園は真夏の光に照らされ、木々の葉が深く濃く輝いていた。日差しは強く、暑さを和らげるように噴水の音が庭全体に響いている。
純白のクロスが敷かれた長方形の机の上には、様々な果物や菓子が並んでいた。その席に着いているのは、五人の貴族と一人の王子だった。
「久しぶりだな、ライカネル」
「本当ですね。お元気でしたか、リーディス?」
ライカは対面に座った青い髪の青年に微笑んだ。ああ、と頷くリーディスの表情は相変わらず晴れやかで、疲れ一つ滲ませない。
彼の隣に座ったロゼスタが目を細める。
「あなたは少し働きすぎなのですけどね」
真夏の日差しに照らされてなお、ロゼスタの灰色の髪はじっとりと重く、光沢を浮かべなかった。それでも何故か、年老いた印象を与えないのだから不思議だ。
「俺よりもゼナイの方が働きすぎだろう? なぁ?」
「……普通だ」
ライカの隣に座っていたゼナイは素っ気なく答えた。彼女の知る限り、彼は確かに働きすぎだったが、やせ我慢をしているようにも見えない。そもそもの鍛え方が違うのだ。
「皆、元気そうで何よりだよ」
その一言で、その場にいた者たちは口を閉ざした。机の中央席に座った青年――第一王子・ユイレンに視線は集まる。
伯父であるロゼスタとは対照的に、彼の白金の髪は真昼の光を浴びて、きらきらと煌めいていた。
「今日は集まってくれてありがとう。
五大貴族が揃うなんて、この上もなく素晴らしいことだ」
ライカたちが庭園にいるのは、ユイレンの招待によるものだ。五大貴族同士で情報を交わし合おうという趣旨のもと、顔を合わせることとなった。
――ルーカディアス王弟殿下の件を耳に入れられたのかな……?
ライカは先ほどからユイレンの目を直視できないでいた。自分の口で伝えることを後回しにした結果が、この招集なのかもしれないからだ。
――もしかして、ゼナイから聞いたとか……?
その可能性が最も高かった。けれどもう時は過ぎてしまった。ライカは大人しく座って、話が振られるのを待つしかない。
「――ところでアレシオン公爵、面白い納税改革をされているそうですね」
ユイレンが話題を振ったのは、ライカではなく対面に座ったウェンセムだった。
静かに紅茶を飲んでいた彼は、ティーカップを持っていた手を止め、ゆったりとユイレンに目を向けた。深緑の目は、周囲の木々よりも深く濃い。
「まぁ、改革というほどではないけど」
ご冗談を、とユイレンは苦笑する。
「農民が貨幣で納税できるなど、画期的ではありませんか」
エルドガールでは、農民の納税は農作物による物納が基本である。しかし、今年からアレシオン公爵領では、労役や手工業で得た貨幣で税を払えるという制度を導入したのだ。
ウェンセムがやれやれと手を振った。
「豆類が害虫の被害を受けて収穫の見込みが減ったから仕方なくね」
それにしても迅速な判断だ。流通を担うアレシオンでなければ、これほどの改革をすぐさま実施できなかっただろう。
リーディスが真面目な顔で尋ねた。
「本当に大丈夫なんですか?
現物が納税されないかもしれないんですよ?」
「もちろん、前年の潤沢な備蓄が前提だ。
小麦の方にはそれほど影響がなかったのも大きい。
――だがまぁ、二百年前にはすべき政策だった」
ウェンセムの説明にリーディスが唸る。自分の領でも採用した方が良いか考えているのだろう。
ユイレンの表情は変わらない。白く長い指はティーカップを掴み、彼は美しい所作で紅茶を含む。
「この納税改革は大きな波紋となるでしょうね」
ユイレンはため息をもらすように言った。それはこの王国の未来を憂う王子の嘆息だ。
ウェンセムは挑発するように返す。
「貨幣による納税は確実な税収入に繋がる。
それは公爵領に、ひいては王国全土に〝安定〟をもたらすだろう」
悠然とした言い方のその裏に、どこか相手を試すような含みがあった。この政策をどう判断するのか、とユイレンに問いかけているような響きだ。
――クラシェイドではまだ実現できない。
それだけの準備が足りていなかった。元々、クラシェイド伯爵領はアレシオン公爵領のような肥沃な土地はない。当然、備蓄の数など比較になるはずがない。
――けれどいずれ、どこの領も続くことになるかもしれない。
それだけ画期的な政策だった。成功しさえすれば、農民の生活がどれだけ楽になるだろう。
「成功すれば、ですね」
ユイレンの声は珍しく淡々としたものだ。どうもアレシオン公爵領の政策に賛同できないようだった。
「とても危うい政策です。
たとえアレシオン公爵領で運用できたとしても、他の領でも上手くいくとは限りません。
何より長期的に見れば農民の……」
「やれやれ、父親と同じことを言う」
ウェンセムが呆れた顔で笑った。いつもの人を小馬鹿にするあの表情だ。王子相手にもその不遜な態度は変わらない。
「だから使わせてもらったよ。<王国の車輪>を」
その瞬間、庭園の空気は真冬の夜のように重く冷たいものとなる。
<王国の車輪>は自由な経済活動を行うことができる特権だ。もちろん、諸領には自治権があり、ある程度の経済活動は認められている。それでもなお、王国の介入を拒めるのが、この〝特権〟なのだ。
――国王の意思すらも跳ね除けられる……。
ライカはちらりとウェンセムを見た。長い深緑の髪をした端正な男は、今やこの茶会の支配者である。
「――ところで、この納税改革、提案したのは私ではなく娘のカティスなんだよね」
その言葉にライカは驚いて声を上げる。
「カティスが!?」
これほどの政策だ。大人だって思いつく者はそうそういないだろう。十五歳の少女が発案者など、驚くなと言う方が難しい。
「なんだね? 友人なのに知らなかったのか?」
「え、ええ……。
カティスは自分のことを自慢するような方ではありませんから」
「それもそうか」
ウェンセムは大袈裟に眉根を寄せた。
「実績は実績として適正に評価されるべきだということを、あの娘は理解してくれないから困る」
それは親としてなのか、<王国の車輪>としてなのかよくわからない発言だった。けれど、カティスが賞賛に慣れていないというのは、ライカも感じていたことだ。
「伯爵はどうかね?」
「――え?」
ライカはきょとんと間抜けな返事をする。
伯爵はこの場に三人。ウェンセムの言い方では誰を指すのかわからない。けれど、自分のことだと直感する。
「何か実績はあるのかね?」
「実績ですか……?」
やはりライカに向けての言葉だったようだ。ウェンセムの深緑の瞳はじっとライカを見下ろしている。
「<王国の天秤>としてそれなりに仲裁をしてきたと思いますが……」
ここ最近のことを思い出す。ネイゼンの生誕祭で襲われ、頭を打って以来、ライカは変わった。それからは<王国の天秤>として、多くの仲裁をこなしてきたはずだ。
「それで、王国の〝安定〟は保たれているのかと聞いているのだ」
「それは……」
ライカはウェンセムが何を言おうとしているのかを悟り、言葉を詰まらせた。紫の瞳が宙を彷徨う。
――私はまだ、命を狙われている。
それは、王国の〝安定〟を脅かすことだった。
ライカはウェンセムの瞳を見つめたまま、けれど何も言うことができずに押し黙る。この男の前では、全てが言い訳のようになってしまいそうだった。
助け舟を出したのはユイレンだ。
「アレシオン公爵、これはライカネル一人の問題ではないでしょう?」
しかし、その助け舟すら鼻で笑うと、ウェンセムは畳み掛けるように続けた。
「違うな。クラシェイドに隙があったからだ。他の家門にはそれがなかった」
その通りだとライカは思った。自分は未熟で、<王国の天秤>としての評価があまりにも低かった。敵はそこにつけ込んだのだ。
「どうする?」
ウェンセムは短く尋ねた。
それは容赦のない問いだった。
「クラシェイド伯爵?」
この場ですぐに答えられるようなものではないはずなのに、それでも答えろと男は強いる。
――ルーカディアス王弟殿下……。
ライカの頭には中性的な美しい顔が浮かんでいた。その中央には黄金の瞳が二つ並んでいる。朱が混じり、複雑な色合いをしたどこか歪なその目は、今もライカを心の奥から蝕んでいる。
――あの人の狙い通りにさせては駄目だ。
<王国の天秤>を殺そうと考えている者なのだ。決して王国の〝安定〟など望んではいないだろう。
すでに彼女の提案を退け、ライカの道は決まった。
ならばやるべきこともひとつ。
「必ず〝選王会議〟を開きます。――冬が終わるまでに」
それが、<王国の天秤>として義務を果たすということだと思った。
自らの宣言に、ライカの体はかすかに震える。
「冬が終わるまでに、か……」
ウェンセムが顎に曲げた指を当てて考える。彼にとってそれが早いのか遅いのか、ライカにはわからない。ただ、彼の言葉を待つしかなかった。
「ま、良いだろう」
公爵は最後に一口、紅茶を飲むと、椅子から立ち上がった。
「聞きたいことも聞けたし、お暇するよ」
「ええっ!」
ライカは止めようと立ち上がりかけた。けれど、そんな彼女をウェンセムは目だけで制した。
「それでは第一王子殿下、君の生誕祭の踊りの相手は、娘のカティスでよろしく頼むよ」
それだけ言い残すと、彼は堂々とした足取りで庭園から去っていく。その後ろ姿を、ユイレンですら止めはしない。
「踊るんですか? カティス公女と?」
リーディスが揶揄うような口振りでユイレンに尋ねた。彼はゆったりと紅茶に口をつけ、何ともないといった表情を浮かべている。
「まぁ、候補の一人ではあるね。
――レーネ嬢はネイと踊ることになるだろうし」
「……そうですね。レーネはそうなるかと」
ユイレンに話題を振られ、ゼナイは小さく頷く。赤い髪が動きに合わせてゆっくりと揺れ動く。
「ライカネルはやっぱり誰とも踊らないのかな?」
「ええ、はい。そのつもりです……」
直前のウェンセムとのやり取りが抜け切らないライカは、少しぼんやりとした表情をしていた。あの宣言をした時のことが嘘のようだ。
「――ところで、ライカネル。
何か話してないことがあるよね?」
「あっ……」
ライカの頭は一瞬にして鮮明になる。
――そう、そうだった。
ルーカディアスの件について話しておくのを忘れていたのだ。そしてその話題について今、ようやく振られたのだ。
「それじゃあ、ライカネル。よろしくね」
ユイレンの表情に変わりはなく、怒っているのかはわからなかった。




