雑踏の内側
激しく、静かに剣戟が繰り広げられる。男たちは互いに無言で、剣が重なる音だけが鳴り響いた。
「ゼナイ……」
戦いはゼナイの方がやや優勢に見えた。相手が行動を起こそうとする前の、その微細な表情の変化――眉の持ち上がり、口角の強張り、瞳孔の開きなどを読み取り、先んじて剣を動かしていたからだ。
しかし、相手の男も引けを取らなかった。培われた経験によるものなのか、ゼナイの攻撃を躱すと、鋭い突きを幾度も放った。
永遠に続きそうな剣戟。
けれど、ゆっくりとだが相手の疲弊をライカは感じた。
だからだろうか。
フードの男がゼナイの隙をつき、懐に手を突っ込んだ。何かを取り出そうとするかのように。
「ゼナイ!」
ライカがはっと息を飲み、ゼナイに向かって手を伸ばす。
その瞬間。
かつん、と地面に何かが突き刺さった。
二人の間を縫うように。
二人の剣戟を止めるかのように。
それは、ガードのない短剣だった。袖の中にすっぽりと収まりそうだ。
フードの男が放ったものではない。
別の何者かが放った暗器だった。
ライカはきょろきょろと周囲を見回すが、それらしき人物は見当たらなかった。
「――ここは人が多すぎる」
その細長い剣を目にし、女はわざとらしくため息を吐いた。
「交渉は決裂だ、ライカネル。
残念だが生かしてはおけないよ」
演技じみた言い方。けれどそれは、確定した死を宣告するようであった。ライカの背筋に悪寒が走る。
「好きにはさせんさ」
ゼナイが女に剣を向け、ぎろりと睨む。
空気が一変し、ライカはようやく喉から声を絞り出すことができるようになった。
「あなたは……」
自ら立ち上がり、女と向き合う。
歪んだ瞳がライカを見据えている。
怯みそうになる体に力を込めると、俯きかけた顔を持ち上げた。
「――あなたは、裁かれるべきです」
かつて、ライカを殺そうとしたその罪を。
これから、さらなる罪を重ねないために。
「裁けるものなら裁いてみるといい」
女は余裕のある笑顔のまま、ライカを視界に捉える。どこか面白そうなものでも見るような表情を浮かべて。
「随分と変わったみたいだね。――また会おう」
言うや否や、フードの男を引き連れ、狭い路地裏の影に素早く身を隠す。まるで最初からそこにいなかったかのように、彼らはあっという間に姿をくらませた。
「追え!」
ゼナイの命令と同時に、いくつもの人影が顔を見せることもなく動いた。
後にはライカとゼナイの二人だけが残る。
「大丈夫か、ライカネル」
「ええ、助かりました」
ライカはナイフを折り畳み、懐にしまった。
「やっぱり私には扱えませんでした」
「だろうな」
その口調がどこか素っ気なく、ライカは違和感を抱いた。いや、最初から何かが変だ。今日の出来事を振り返り、彼女は目を見開く。
「まさか……」
「ライカネル?」
シルヴィス騎士団を動員してまでライカの外出を手助けした理由。それは――。
「ゼナイ、あなたは私を囮にして首謀者を炙り出そうとしましたね?」
ライカの問いに、青年は動きを止める。
束の間、路地裏には静寂が訪れた。
やがてゼナイはゆっくりと口を開く。
「ああ、そうだ」
ゼナイが肯定すると同時に、ライカはきっと彼を睨んだ。紫の瞳が怒りで揺れている。
「何故そんなことをしたのです!
私はともかく、カティスや――あなたの妹であるレーネに何かあったらどうするのですか!?」
「そうならないための騎士団だ」
「絶対に大丈夫なんて約束できないでしょう!?」
ライカは顔が蒼白になっていた。怒った時は不思議といつもこうだ。赤く上気するのではなく、血の気が引いたように青ざめる。
「――どうしたの?」
二人が振り返ると、レーネが心配そうにこちらを見ていた。
「ライカネルの声、聞こえたから」
どうやら声を出しすぎたようだ。ライカは呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。
「すみません。もう大丈夫ですよ」
「兄さんが怒らせたんでしょ?」
レーネは腕を組み、斜めを見上げた。その顔はどこか影がある。
「兄さん、そういうところがあるから」
その言葉にライカとゼナイは顔を見合わせる。青年の気まずそうな表情を目にして、ライカは少しだけ溜飲が下がった。
「そのようですね」
「気にせず続きを回りましょ。――ほら」
レーネがライカに手を伸ばし、腕を取る。
引っ張り出されるように路地裏から踏み出ると、日差しの下に晒された。
ライカは再び、人々が行き交う雑踏の内側に戻って来ることができたのだ。
「良かった。ライカ、見つかったのね」
果物の入った袋を手に、カティスが噴水の側でライカたちを待っていた。
「すみません」
ライカは何事もなかったかのように彼女と合流する。はぐれてしまっただけだと思ったカティスは、その間に無事、果物を購入できたようだ。
「ライカもどうですか?」
「では、ひとつ」
角切りにされた果物。何かわからないが甘酸っぱい味が口に広がる。疲弊した体に染み渡るようだ。
――戻ってきた。
この優しい世界に。
ライカは自分が無事に切り抜けたことをようやく実感し、そっと涙を浮かべる。
レーネが腰に手をあて、ライカに言い含めた。
「次はちゃんと側にいるのよ?」
「ええ、気を付けます」
そんな小言すらも今は心地良く感じられるのだった。
◇
「こちらです」
「すごい人ですねぇ」
新しく開店したルーフ・シェリス宝石店は、カティスの言う通り、多くの人々であふれ返っていた。
四人が店に入るとすぐに奥の部屋に通され、店長のイロスという男が挨拶に現れた。
「ようこそおいでくださいました」
イロスは四人に向かって丁寧にお辞儀をする。手に指輪を二つ嵌めている以外は目立ったところがなく、髪や衣服はよく手入れされており、清潔な印象を与える。
「皆様方のご支援のおかげで大変盛況となっております」
そう言って、イロスは再び恭しく頭を下げた。
「そのことですが……」
ライカは気まずそうに言葉を続ける。
「宝石強盗のそもそもの狙いは伯爵である私だったようで……」
イロスに負けないぐらいライカも頭を下げる。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「そんな、クラシェイド伯爵……!」
高級店の店長とはいえ、貴族が平民相手にこのような態度を取ることは稀だろう。イロスは驚いて頭を上げさせようとする。
「私共の警備が甘かったのが原因です。お守りできず、何とお謝りいたせば良いか……」
それに、とイロスは笑う。
「公女様のご助言で評判を取り戻すことができました」
「カティスの?」
当の本人を見ると、顔を赤らめ、視線が宙を彷徨っている。
「こちらをご覧ください」
イロスが自慢げに取り出したのは、二つの指輪だった。片方にはダイヤが付いており、リングの中央で宝石が輝いている。
「男女で〝結婚指輪〟を交換してはどうかと提案していただいたのです」
「〝結婚指輪〟の交換ですか?」
おや、とライカは頭を巡らせる。
――結婚指輪?
エルドガールでは婚約の証として指輪を交わすことはあっても、結婚では交わさない。そのため、結婚指輪というものは存在しないのだ。
――『エルドガール法大全』第3編・家と財の篇・第4章第12条、
婚約の際、指輪その他の品を贈りし場合、これを婚約の証とする。
ライカは婚約指輪に関する条文を頭に思い浮かべた。もちろん、結婚指輪に関する条文はひとつもない。
レーネは愕然とした表情で指輪を見つめた。
「婚約じゃなくて?」
イロスは胸を張り、得意げに返す。
「ええ、婚約とは別に結婚の証として交換するのです」
「ぜ、贅沢……」
女性の目からしても衝撃的だったらしい。少女はどこか眩しそうに指輪を見つめている。
「どう思う? 兄さん?」
そう問われると、ゼナイは口に手をあてて考え込む。
彼にとって気になることはただひとつ。眉根を寄せたまま、イロスに向かって静かに尋ねた。
「男もつけるのか?」
「はい。婚約指輪を交換しても、男性は身に付けず、保管していることが多かったですね。
けれど、これからは夫婦の絆の証として、お互いに指に嵌めていく時代です」
「そうか……」
どこか嫌そうな顔をして青年は肩を落とした。
エルドガールでは結婚よりも婚約が重要視されている。これは、その観念を打ち破る、革新的な試みと言っても過言ではない。
「安価な指輪も用意いたしましたので、庶民の方にもお求めやすくなっております」
にこにこと微笑むイロス。その横で顔を赤らめ、頬を手で押さえる公女。
――カティスは商売のこととなると凄いなぁ。
ギリム伯爵領の揉め事でライカを助けてくれたように、こと経済に関してはその才を発揮する。
<王国の馬車>ウェンセム・アレシオンの養女になるくらいなのだ。商才については保証済みなのかもしれない。




