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歩く法大全

 その日は朝から晴天が広がっていた。

 まさに絶好の外出日和。

 ライカは内心、胸を高鳴らせていた。


「おはよう、ライカネル。よく眠れた?」

「しっかり寝ましたよ、レーネ」


 レーネは誰よりも快活な笑顔を浮かべ、元気そうに皆を見回した。


「今日は色んなところに行かなくちゃね。

 ――よろしく、公女様!」

「あら、私のことは名前で呼んでくださらないのですか、シルヴィス侯爵令嬢?」


 カティスはわざと拗ねたように言った。その言葉にレーネはぱあっと顔を輝かせる。


「カティスって呼んでいいの?」

「もちろんです。

 私もレーネと呼ばせていただきますね」


 カティスとレーネはすぐに打ち解けたようだ。ライカは眩しそうに二人を交互に見つめた。

 そんな彼女に、ゼナイがそっと耳打ちをする。


「騎士たちはすでに配置しているから、気にせず楽しめよ」


 ライカは小さく頷いた。

 シルヴィス騎士団の団員たちは、ライカたちの外出の邪魔にならないよう、姿を隠して護衛をしてくれるそうだ。顔も知らぬ彼らに、ライカは心の中で礼を言った。


「まずは武器屋に行こう!」


 レーネが通りの先を指差した。


「武器屋ですか?」

「小汚いけど良い武器屋があるの」


 ライカの腕を引っ張り、レーネはその武器屋へと誘った。天真爛漫な顔は前だけを見ており、ライカも彼女に倣って視線を行く手に向けた。

 レーネは大きな通りから外れた先にある、少し薄暗い裏通りを案内した。


「ここよ」


 彼女が指差したのは窮屈そうに並んだ建物のひとつだった。年季のあるその店は修繕の跡が多く、レーネが言う通り小汚い印象を与える。


――侯爵令嬢が来るには珍しい場所ですね。


 中に入ってもあまりその印象は変わらず、所狭しと並べられた武器や武具が不気味さを増していた。


「お前らか」


 出迎えた妙に体格の良い店主が、赤い髪の兄妹を見てため息を吐く。


「何よ、嬉しいでしょう?」

「あれはないかこれはないか、文句ばっかり垂れやがる」


 ふん、とレーネは鼻を鳴らす。


「今日は大丈夫よ。

 この子の武器を探しに来ただけだから」


 そう言って、レーネはライカの肩をぐいと押した。


「私ですか?」

「どうせ護身用のナイフの一つも持ってないだろうから、アタシが選んであげるの」


「おいおい」


 ゼナイが嗜めるように口を挟んだ。


「まだこいつには扱えんぞ」


 その言葉にライカはむっとして、ゼナイを見上げた。彼は涼しい顔をしてその視線を受け流す。


「持っていれば戦略が広がります。

 ないよりましかと」


 欲しくもないのに、ライカはナイフを持つことの有用性をゼナイに説いた。実際、あれば少し安心だ。

 カティスは眉尻を下げ、不安そうにライカを見た。


「ナイフなんてなくても大丈夫ではありませんか?

 ルーフ・シェリス宝石店の襲撃でも、お言葉により犯人を追い返しましたもの」


 あの件はライカの命を奪わないという前提があってこそだったが、そんな事情を知らないレーネは驚いたように目を丸めた。


「え? 本当?」

「少しは見込みがあるようだな」


 店主は少し感心したようにライカを見ると、カウンターの下から何かを取り出した。


「折り畳みナイフだ」


 ナイフにはボルトがあり、柄の中に刃を収納できるようになっていた。携帯するには便利そうだ。


「壊れやすいから兄ちゃんたちには勧めないんだがな」


 初心者にはこれで十分だろう、と店主は笑った。

 ライカはナイフを手に取り、じっくりと眺めてみた。懐に入れてもすぐに忘れてしまいそうなほど軽く、刃先の鋭さもあまり感じられない。


「ちょうど良さそうですね。これにします」

「聞き分けがいいなぁ、坊主」


 店主はちらりとレーネを見た。


「嬢ちゃんも大人しく俺の選んだ剣にしときゃいいのに……」

「はいはい、また今度ね」


 レーネは腕を組んでそっぽを向く。

 彼女はまだ、どの様な型を取るか決めかねているのだ。そうなると必然、選ぶ武器も変わってくる。

 それでも、店に並ぶ剣が気になるようで、ちらちらと周囲に目を遣っていた。

 ゼナイが背後から近寄ると、その高い背を屈める。


「お前は頭が良いから大丈夫だとは思うが……」


 声を低く落とし、釘を刺す。


「――滅多なことで使うなよ?」


 それは、経験者からの切実なる忠告だった。

 十八に届いたばかりの年齢でありながらも、シルヴィス騎士団を率いる団長なのだ。きっと危険な目には幾度も遭っているのだろう。そんな彼の言葉をライカは心に深く留めた。


「それじゃ、次はライカネルの番ね。どこ行きたい?」


 レーネの問いに、ライカは笑顔で応える。


「私は本屋です」

「本屋!?」


 レーネは驚愕の眼差しをライカに向けた。それは空から蛙でも降ってきたような驚きようだった。



 ◇

 


「本屋は駄目ですか?」

 レーネの表情にライカの方も驚き、焦りを感じる。そんなにもおかしい提案をしてしまっただろうか。


「本屋って……」


 レーネはため息を吐くと手を広げ、青い空を示した。


「こんな晴れた愉快な日に、暗く湿った本屋なんて正気?」

「武器屋と何が違うんです?」


 今度はライカがやれやれと手を振ってみせた。カティスがくすくすと笑いながら二人を交互に見る。


「私、本屋さんは初めてです」

「そう言えばアタシも……」


 レーネもカティスも貴族の令嬢なのだ。本を読むならば屋敷の書斎か、図書館の取り寄せになるだろう。


「ライカネルは?」

「何度もありますよ」


 そう言うと、二人から尊敬に近い眼差しが向けられる。


――まぁ、私は男装してるから。


 ライカは昔から本好きだ。屋敷の書斎では飽き足らず、付近の図書館や私蔵の図書を借りていた。そして、時には自らの足で本屋を回っていたのだ。


「あそこにあるぞ」


 ゼナイが指差したのは、古びた本屋だった。錆びた扉、ぼろぼろの看板、雑多に積まれた本が寂れ具合を伝えてくる。


「いい感じです」


 ライカは躊躇うことなく、にこやかな笑顔で扉を開いた。こういう店で見たことのない本に出会うのもまた、ひとつの楽しみ方だ。


「……いらっしゃい」


 店主らしき老人は入ってきた四人をちらりと見たが、すぐに手元の本に視線を戻す。そんな無愛想な店主の態度にレーネはむっとした顔を作るが、ライカはかまわず棚を見回す。


「ああ……いいですね……」


 ライカは迷いながらも数冊、古びた本を手に取った。そろそろ書斎も置き場がなくなっており、厳選する必要があった。


「『古代文明と航海技術』に『天体観測と星の歴史』、『鉱石と金属の構造学』か……」


 ライカが手に取った本のタイトルをゼナイが読み上げる。どれも種類がばらばらだった。


「よく読むな」


 どうやらゼナイも読書は好きでないらしい。レーネと同じく視線は背表紙を滑るように流れるだけだ。


「ゼナイは読書を?」

「必要ならする」


 背後でレーネの大きなため息が響く。わざとらしいその態度にライカは手を止め、後ろを振り向いた。


「そう言うけど、ゼナイ兄さんは頭もいいのよ。腹立つわ」

「成績はそんなにだったぞ」

「特権の勉強をしながら大学もでしょ? 十分よ」


 レーネは軽くゼナイの足を蹴った。優秀な兄を持つと引け目に感じるのかもしれない。兄弟のいないライカにはわからないことだが、少し羨ましくもあった。

 話を逸らすようにゼナイはライカに話題を振った。


「ライカネル、お前は法学の勉強はしているのか?

 そういう家系だろう?」

「ええ、やっていますよ」


 クラシェイドは法曹の家系だ。これまで多くの法学者や裁判官を輩出してきた。祖父である先代<王国の天秤>ケオニール・クラシェイドが裁判官であったように。


「時々、母から習ってます」

「まぁ」


 カティスは手を合わせると、目を輝かせた。


「もしかして、ライカも大学に?」

「大学ですか?」


 大学といえば、王都にあるアイシアン王立大学のことだ。サイリス子爵マーリス・メノーの娘、カナレアが合格を目指している大学である。彼女のように、十六歳前後になると、王立大学の試験を受ける貴族の子息令嬢は多い。


「ええ、勉強なさっているのはそのためではないのですか?」


 ライカが勉強をしているのは、<王国の天秤>としての素養を積むためだった。そのことを告げると、カティスは残念そうな顔をする。


「大学には通われないんですか?」

「その予定はありませんね」


 特権を手にする前に入学したゼナイと違って、すでに特権を手にしたライカが大学に通うのは、あまり現実的ではない。よほどの理由が必要だ。


「ええ〜!?」


 静かな店にレーネの声が響く。けれど客は四人しかおらず、嗜める者はいない。


「頭いいのに? もったいない!」

「お仕事がありますし……」

「一緒に受けようよ! アタシに勉強教えて!」


 レーネがゆさゆさと本を抱えたライカの体を揺する。その顔はどこか切迫している。


「レーネも受けるんですか?」

「そうよ! 法学は苦手なの!」

「条文を覚えればなんとかなりませんか?」

「覚えられるわけないでしょっ!?」


 訴えかけるようにレーネは口調を強めた。それは暗記を回避しようとする受験生の抵抗だ。


「第何編何章何条に何があるかなんてわかるわけないでしょうが!」

「そんなことはありませんよ……」


 レーネの剣幕に押されつつも、法に明るいライカは思わず否定した。それが気に食わなかった彼女は、目を見開いて詰問する。


「じゃあ、第4編第7章第14条は何なのよ!」

「身の自由や安全を守るための条文ですね。

 監禁、拷問、または拘束を加えたる者は、加害の期間に応じて処断する」


 間髪入れずにライカが答えたため、レーネは面食らったように動きを止める。しかし、すぐに顔を輝かせると、手をぱちぱちと叩いた。


「すごい! まるで歩く『エルドガール法大全』ね!」


 隣でカティスも感激して、レーネと同じように手を叩き始めた。刑律に関する条文は試験にあまり出ないせいか、二人には特に難しいことのように感じたのかもしれない。


「試験のことはよくわかりませんが、法学なら力になれそうです。

 また三人で勉強会でも開きましょう」

「素晴らしい考えです」


 カティスが嬉しそうに顔を綻ばせる。暗い本屋に花が咲いたようだとライカは思った。

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