公爵との対話
目の前に座った不敵な男、ウェンセム・アレシオン。
ただそこにいるだけでライカは圧倒される。
「どうして……公爵が……?」
呆然とする少女に、ウェンセムは不思議そうな顔を返す。そんな表情ですら絵画のように様になっていた。
「どうしても何も、伯爵が挨拶に来ないから、わざわざ出向いたのだがね?」
その言葉にライカはあっと小さく声をもらす。
伯爵位を持つライカが公爵邸に来たのだ。公爵であるウェンセムに一言挨拶をしておくべきだった。
それをしなかったのは何故か。
無意識に避けていたのだ。
自分を暗殺しようとした犯人かもしれない男を。
対面するウェンセムは彼女の思考を見透かすように、薄ら笑いを浮かべる。
ライカは頭を下げるよりなかった。
「……無礼を詫びます、アレシオン公爵」
彼相手に付け入る隙を見せてはならなかったのだ。会った瞬間にもう、立場が決まってしまった。ライカは服の下にじんわりと汗をかいていた。
「まぁ、話したいこともあったから来たんだけどね」
「……話したいことですか?」
ウェンセムは並んでいた菓子の中からシナモンクッキーをひとつ、手に取った。
「最近、娘と仲良くしてるみたいだけどさぁ」
深緑の瞳がこちらを見据える。不敵に笑う表情とは裏腹に、その瞳は凍てつくように冷たい。
「目障りなんだよね」
氷水に浸かったかのようにライカの体が固まる。
けれど、こんなにも恐ろしいのに、不思議とその深緑の瞳から顔を逸らすことはできなかった。
「――消えてくれる?」
ウェンセムはクッキーをぱきりと砕いた。
息一つできない。
まるで死刑を宣告された気分だ。
「あなたは……」
けれど、恐怖と同時に湧き上がったのは怒りだった。
ラカート宮殿の礼拝堂に〝銀杯〟を置いた人物、あるいはバーマン・セングに暗殺を唆した人物。その可能性がある男が、このウェンセム・アレシオンなのだ。
「あなたが……!」
ライカは怒りに満ちた目でウェンセムを睨む。だが、彼はライカが怒っている理由を察してなお、一笑に付した。
「そう思うなら、のこのこやって来ないことだ」
やれやれと男は両手を振った。人を小馬鹿にしたその態度は、ライカの怒りに油を注ぐものだった。けれど、そんな挑発にかえって彼女は冷静になる。
「ここで殺されるのなら、どの道私は終わりでしょう」
その言葉に、ウェンセムは初めて真面目な顔を作った。
「わかっているじゃないか」
低い声が部屋に響いた。
右頬に手を当て、男は見定めるようにライカを眺める。相手を挑発するような先ほどの態度の方がましとさえ思えるほど、今のウェンセムはライカを十分に萎縮させた。
しかし、ライカは小さな唇を開く。
「先ほどのお話ですが……」
言わなくてはならない言葉が確かにあった。短く息を吸うと、一度に全てを言い切った。
「いかに公爵家の令嬢であっても、法の下ではカティスも一市民。
婚姻のような正式な契約を交わした後でもない限り、誰と会話し、何を語り合うかまで決める法的権利はあなたにありません」
その声は震えていなかった。体は石のように固まっているというのに。公爵を前にしても、不思議と流れるように言葉が浮かんだ。
「公爵家の令嬢を一市民とは、な」
ウェンセムはわざとらしくため息を吐いた。
「お得意の法律かね?
慣習を一義とする貴族の、しかも五大貴族同士の会話で」
ウェンセムは茶化すように笑ったが、相手を萎縮させる態度は健在で、ライカは息をつく余裕もなかった。
「我々こそ法を遵守すべきなのです。
この王国の安定のために」
その言葉に、ウェンセムは鼻を鳴らした。
「ならば尚更、<王国の天秤>が公女と仲良くするのは好ましくないだろう?」
それは当然、指摘されるであろう言葉だった。均衡を崩す行為に等しいのだから。
「おっしゃりたいことはわかります。
今まで<王国の天秤>は公平を期すために、どの家門とも深く関わらないようにしてきましたから。
ですが――……」
ライカは息を大きく吸い、心臓を落ち着かせた。一度だけを目を閉じるとゆっくり開き、深緑の瞳を見つめ返す。
「これからはどの家門とも深く関わっていこうと思います。
――公平に」
ウェンセムは鋭く細めた目を少しだけ見開く。彼の明晰な頭脳はその是非をすぐさま判断した。
「何を馬鹿なことを」
そんなことは不可能に近い。できるのなら、歴代の優秀なクラシェイド伯爵たちがやっていた。考えなくてもわかることだ。
ウェンセムは深緑の目で少女を睨む。
そんな彼の様子に怯むことなく、ライカは続けた。
「コンザール伯爵にはすでに謝罪の手紙を送っています」
彼女がまず先にやらなくてはいけないことは、コンザール伯爵家を立ち直らせることである。伯爵家は今、急速に没落していた。それは、練習会でライカが巻き起こした事件を元にしたオペラのせいだった。
「もう十分かと」
これは推測でしかないが、オペラでコンザール伯爵家が追い詰められているのは、アレシオン公爵家が裏で手引きしているからだ。そうとしか思えないほど、その没落は徹底的だった。
「ああ、そう」
実に興味なさそうにウェンセムは答えた。彼にとってはその程度のことだ。それがライカには悲しく感じられた。
「あなたとも友好的でありたいと思います」
例え自分を殺そうと計画した張本人だったとしても。それが〝均衡〟を目指す<王国の天秤>として、とるべき立ち回りだと思った。
「それこそ不可能だな」
そう言いながらも、ウェンセムは愉快そうに笑っていた。
「まぁ、頑張りたまえよ」
応援しているようには見えなかったが、彼は満足そうな顔をしていた。上着を翻しながら立ち上がると、別れの挨拶もなく、悠然とした足取りで扉に向かった。
一人残され、部屋には静寂が訪れる。
ライカはようやく呼吸ができる思いだった。椅子に深くもたれかかり、手で額の汗を拭った。
「――お待たせしました」
ウェンセムと入れ替わるようにカティスが戻ってくる。顔には不機嫌な色が浮かんでいた。自分を呼んだはずの父親がいなかったのだから無理もない。
「すみません、ライカ」
「いいんですよ」
カティスの顔を見て、ライカはほっとする。やはり彼女といると温かい気持ちになった。ウェンセムとの会話ですり減った心が癒されるようだ。
残された時間を、ライカたちは大切に過ごすのだった。
◇
公爵家からの招待後、ライカはカティスと何度も手紙を交わすようになり、ますますその仲を深めた。そんな折、彼女から、ひとつの提案を受ける。それは、街に出かけてみないかという提案だった。
ライカは狙われている身だ。またルーフ・シェリス宝石店で襲撃された時のようなことになってはならない。
「――というわけなんです。
どうしたら良いと思いますか、ゼナイ?」
「ふむ……」
赤髪の青年、ゼナイ・シルヴィスは鋭く目を細めた。
彼女たちは今、フレンダル騎士団の訓練場にいた。第二王子・ネイゼンに呼ばれ、ライカは罵声降り注ぐ訓練を終えた後である。
「簡単な話よ。アタシたちと一緒に行けばいいんだわ」
ゼナイと同じ赤い髪がふわりと揺れる。ライカよりも背の高い少女は、いつものように溌剌とした笑顔を浮かべて言った。
「ですが……」
レーネの提案に、ライカは頷けないでいた。カティスどころか、彼女まで巻き込んでしまうかもしれないからだ。
けれど、その兄であるゼナイは悪くないと言うように首を縦に振った。
「いや、問題ないだろう。当日はシルヴィス騎士団を配置しよう」
「騎士団の皆さんをですか!?」
ゼナイの発言にライカは耳を疑った。自分のために騎士団を動かすとは随分と大掛かりだ。
「そろそろ本格的な演習がしたかったんだ。ちょうど良かった」
「本当に構わないのですか?」
「ああ、こちらから頼みたいぐらいだ」
ゼナイの眼差しはいつもより鋭く、研ぎ澄まされていた。それが何を意味するのか、ライカは考えもしなかった。




