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公爵家からの招待

 バーマン・セングを救えなかったこと。

 それは、ライカの心に深い影を落とした。


――人一人を殺そうとした結果だから……。


 バーマンが行ったことは決して許されない。いくら家族が貴族に殺されたとしても、ライカを襲って良い理由にはならなかった。


――バーマンに指示を出した人間が裁かれれば、私は満足するのかな?


 計画者が貴族ならば、内密に処理される可能性はやはりあった。ライカは不平等な法律の判断に納得できそうにもない。

 そんな陰鬱な気持ちを慮るように、カティスから一通の手紙が届いた。

 それは、公爵邸への招待状だった。


「反対です」


 セイランが首を横に振った。


「僕もだ」


 高い背を丸め、ロウザも同じように顔を引き攣らせた。


「友人に会いに行くだけです」


 手紙にはライカを公爵邸に招待し、話をしたいというカティスの思いが綴られていた。彼女の人となりが現れた柔らかな筆跡だ。

 ライカは公爵家との仲を深めようという魂胆ではなく、カティスに会いたいという純粋な気持ちでこの招待を受ける気でいた。友達がいなかったライカにとって初めての存在なのだ。


「わかっているのですか? アレシオン公爵は……」

「セイラン」


 ロウザが小声でセイランを止めた。

 セイランが何を言おうとしたのかライカにはわかった。 

 ウェンセム・アレシオン――彼は危険人物なのだ。クラシェイドに友好的でない、と第一王子・ユイレンが言っていたように。


――私を暗殺しようとした犯人である可能性がある……。


 結局、ルーフ・シェリス宝石店でシルヴィス騎士団が捕らえた男たちからは、計画犯に繋がる情報は出なかったらしい。だが、こうにも証拠が見つからないのは逆に怪しいのだ。それ程の人物が背後にいるということなのだから。


「公爵閣下は子ども相手にも手を抜くようなお方じゃないよ、ライカ」

「わかっています、お父様」


 <王国の車輪>ウェンセム・アレシオン。


 彼の持つ特権は王国の財政を支えるため、独自の経済政策を実行できるというものである。

 その特権故に培われた財と権力は公国を作ることも可能と言われており、国王すら彼を自由に従わせることはできない。誰よりも高くに自分を置き、誰をも見下し、尊大に振る舞う。それがエルドガール王国唯一の公爵だ。

 けれどライカは頑なだ。


「まさか公爵も娘が招待した客をその場で殺めるような真似はしないでしょう」

「ですが……」


 セイランは心配そうにライカを見た。どうも公爵とは古い因縁があるようで、根深い傷を抉られたような悲痛な面持ちをしていた。


「犯人が私の孤立を狙っている以上、できる限り誰かと交流を持つべきだと思います。

 その先が公爵邸なら、かえって心強いというものです」


 セイランとロウザは顔を見合わせ、何かを問うように視線を交わした。やがて諦めたようにライカに向き合うと、首を縦に振って頷いた。



 ◇



「ライカ、お待ちしてました」


 公爵邸に到着すると、カティスは目いっぱいの微笑みで出迎えた。今日も頭に蝶の髪飾りを着けている。


「お招きありがとうございます」


 ライカもできる限りの笑顔で応えた。

 公爵邸といっても王都にある別邸である。それでも財を示すように造られた屋敷は、本邸と言われても信じてしまいそうなほど荘厳で格式があった。


「先日は助言の手紙、ありがとうございました。

 とても助かりましたよ」


 ギリム伯爵領でヴァルデックの依頼を受け、ベリックを助けるためにカティスを頼った時の手紙のことだ。


「お役に立てたのでしたら嬉しいですわ」


 カティスは頬を赤らめ、照れたように俯いた。そして、誤魔化すように話題を変える。


「ライカはどんなお菓子がお好きでしょうか?」


 カティスはテーブルを手で指し示した。そこにあるのは、どう考えても二人では食べきれない量の菓子と軽食。きっとライカが来るのが楽しみで、張り切ったのだろう。


「甘いものはだいたい好きですが……」


 ライカは並んでいた菓子の中からシンプルなクッキーを手に取った。


「最近はこのシナモンクッキーと紅茶の組み合わせが気に入っています」

「美味しいですよね。社交界でも流行っているそうですよ」


 倣うようにカティスもクッキーに手を伸ばした。


「今日はご招待できて良かったです。

 本当はサロンにも行ってみたいのですが、父が許してくれなくて……」

「公爵は心配性なのですね」


 ウェンセムの意外な一面を聞いて、ライカは紅茶を飲んでいた手を止める。あの尊大な男も、養女には気を遣っているのだろうか。


「少し体が弱いからかもしれません」

「そうなのですか?」


 ええ、とカティスは頷いた。


「時々、ふらっと倒れる時があるのです」

「それは……困りますね」

「でもその程度です。普段は元気ですよ。

 お医者様も他は問題ないとおっしゃってましたし」


 カティスは白くて細い。誰が見ても儚い少女だと思うだろう。だが、ライカも他人のことは言えなかった。対面した彼女よりもか細いのだから。


「私も小さい頃から体が弱くて、寝込むことが多かったらしいですよ」

「私たち、よく似ているのかもしれませんね」


 どこか嬉しそうにカティスは呟いた。


「お友達と呼べる方がいなかったので、こうしてライカとお話できるのが夢のようです」

「そうなのですか?」


 刺々しい性格のせいで周囲から孤立していた以前のライカとは違い、カティスは朗らかで人当たりが良さそうだ。友だちがたくさんいても不思議ではない。公爵の元に養女として迎えられる前は、あまり良い生活をしていなかったのだろうか。ふと、ライカはそんなことを考えた。


「私も友人がいなかったので嬉しいです」


 溢れるようにもれた言葉は、まるでライカの――ライカネルの心の奥底に秘められた本心のようだった。あまりにも自然に口から発せられたため、ライカはクッキーを摘んでいた手を思わず止めた。


「まぁ、本当にライカは友人がいないのですか?

 そんな風には思えない口振りです」


 カティスは感激したようにライカを見つめた。頭に着けた蝶の髪飾りと同じくらいきらきらと輝く瞳。それは宝石のように綺麗で、思わず目を逸らしそうになった。


「カティスが良い人なので引っ張られますね」

「やっぱりお上手ですわ」


 打ち解けたような笑い声。それは親友同士の他愛もないひと時だった。


 こつこつ、とノックの音が邪魔をするまでは。


「失礼します」


 侍女が頭を下げて入室した。


「どうしたの?」


 客人がいるというのに水を差す侍女の行為に、カティスは怪訝な顔を隠せない。


「実は……」


 侍女はカティスの耳元で何事かを囁いた。それを聞いたカティスの顔が曇っていく。


「そんな……今は……」

「お嬢様……」


 何かあったのだろう。けれど、客人を前にしてカティスはこの場を離れられないでいる。

 ライカは助け舟を出した。


「カティス、私のことはお気になさらず」

「すみません、ライカ。父が呼んでいるみたいで」


 なぜ今なのだろうか。

 きっと、彼女もそう思っているはずだ。けれど公爵の発言を無視することはできない。ライカはすぐに行くようにと促した。


「すみません、できるだけ早く戻りますね」


 何度も頭を下げながら、カティスは部屋を出た。一人取り残されたライカは、直前の温かなやりとりを反芻した。


――カティスと話していたら心が落ち着く。


 ぼんやりと机の上に並べられた菓子を見つめる。その目に映るのは罵倒や侮蔑、暴力や暗殺といったものとは無縁の世界だった。

 だから、部屋の中に誰かが入り、背後から近寄っても気付かなかった。

 白い薄手のグローブに包まれた手がライカの横を抜け、机に伸びる。彼女がようやく気付き、首を左に向けると、端整な顔がすぐ側でこちらを見つめていた。


「ご機嫌よう、伯爵」


 そう言って不敵に笑う男の肩から、深緑の髪がさらりと落ちる。


「な……あ……」


 ライカの口から奇怪な声がもれ出る。その様子を一瞥すると、男は机の反対側に回り、カティスが座っていた椅子に着いた。

 その男は長く艶やかな深緑の髪を煌めかせ、深く、けれど優雅さも兼ね備えた上品な顔立ちをこちらに向けた。誰よりも長い足を組むと、不遜な態度をこれでもかと見せつける。


 彼こそは、<王国の車輪>ウェンセム・アレシオンだった。

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