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法廷での選択

 石造りの荘厳な法廷。

 集まった人々は法廷の中央に立たされた男に視線を向ける。男の手には鉄の枷が嵌められており、虚な表情を浮かべていた。


「何て見すぼらしい」

「あんな卑しい男だから貴族に楯突いたのだろう」

「当然、極刑だな」


 傍聴席の貴族からは侮蔑的な声が上がる。けれど男の耳には届いていないのか、その顔に変化はない。


「――被告、バーマン・セング。身分は平民。罪状は貴族殺害未遂」


 裁判長であるランドルグ・ベルリムの声が法廷に響く。


――どうしよう……。


 ライカの心は揺れ動いていた。ここへ彼女が来たのは、被害者として裁判の結果を見届けるためではない。傍聴席の最前席に座ったまま、ライカはバーマンを見つめた。

 彼を唆した計画犯が見つからなかったため、その裁判は伸びに伸びていた。けれど今日、ようやく始まったのだ。――結局、計画犯は捕まらずじまいだったが。


「――シルヴィス侯爵閣下」


 ベルリムの言葉にゼナイが立ち上がる。つかつかと前に出ると、顔を前に向け、彼は堂々と声を発した。


「ゼナイ・シルヴィスの名において証言する。

 ネイゼン第二王子殿下の生誕祭の夜、バーマン・セングがクラシェイド伯爵を襲ったところを目撃し、この手で捕縛したことを」


 傍聴席の貴族たちは誇らしげな表情でゼナイを見ていた。バーマンのことを何も知らなければ、ライカも同じように目を輝かせていたかもしれない。


――助けるって言ったから……。


 ライカの頭はそのことでいっぱいだった。状況は不利なことこの上ない。結局、バーマンは何も話さず、計画犯も捕まっていない。彼は平民として極刑に処されるのを待つだけだった。

 隣に座ったセイランがちらりとこちらを見る。大人しくしておくように、と言い聞かせるように。


「証人の証言により、その罪状は明白とする」


 ランドルグの声が降り注ぐ。壇上にいる彼の顔には深い皺が刻まれており、厳粛さを醸し出していた。

 ランドルグは王立裁判所長官であり、ライカの祖父・ケオニールの弟だ。本来なら被害者の血縁者を裁判官として据えるのは避けるべきことだったはずである。

 けれど、クラシェイドはありとあらゆる裁判官と関係が深い。結局、クラシェイドと権威が同等であるランドルグが選ばれたようだ。


「よって被告人を――……」


 今まさに判決が下されようとする。

 ライカは椅子から立ち上がり、声を張り上げた。


「お待ちください、ベルリム裁判長!」


 法廷にいる全ての視線がライカに集まる。隣に座ったセイランがぎょっとした目でこちらを見ているのがわかった。


「何か言いたいことがあるのかね?」


 ランドルグは訝しそうな顔をしたが、被害者であるライカの発言を止めるような真似はしなかった。


「バーマン・セングは何者かに指示を受け、凶行に走りました」


 大勢の目がライカを見つめている。刺すような視線だ。しかしライカの目は裁判長であるランドルグだけを見据えていた。


「彼は貴族に家族を殺されており、恨みを抱いていました。

 そんな精神状態の時、貴族暗殺計画を持ち込まれたら、どれだけの人が誘いに乗らずに跳ね除けられるでしょうか?」


 その発言に傍聴席が騒がしくなった。無理もない。被害者であるライカが、加害者である痩身の男を弁護したのだから。


「心身を消耗しており、適正な判断ができなかったと思われます」


 傍聴席のざわめきに負けないよう、ライカは一段と声を張り上げる。それはまるで、震えを抑えようとするようだった。


「計画犯はおそらく上位貴族の権力者です。

 そうでなければ、ネイゼン第二王子殿下の生誕祭に平民を紛れ込ませることはできません」


 騒ぐ人々を手で制しながら、ランドルグは軽く頷いた。


「それは<王国の甲冑>であるヴェイン伯爵からも聞いている」


 ライカは一息飲むと、条文を少しの間も空けずに読み上げる。


「『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第2章第47条、

 貴族による貴族の殺害が行われた場合、当事者間で和解が成立し、かつ加害者に誠意が認められたときは、刑を減じ、あるいは免じることを得る、とあります」


 平民が貴族を殺害すれば即処刑であるが、貴族による犯行であった場合は事件自体が伏せられることもある。この条文は貴族が事件を起こした際、例え加害者であっても貴族の立場を保証するものだ。


「けれど、責任の原則について、

『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第3章第24条において、

 罪を計画し、他人に実行させたる者は、その計画を実行せし者よりも重き刑罰を負うことを得る、と書かれています」


 つまり、原則として計画犯は実行犯より罪が重いと捉えられている。けれどこの裁判では、貴族である計画犯は見逃され、平民であるという理由だけで実行犯のバーマンだけが罰せられる可能性があった。


「計画犯を放置しておきながら、実行犯であるバーマン・セングだけを処刑するのは見せしめ以外の何ものでもありません」


 その言葉には我慢ならなかったのか、傍聴席にいた貴族たちから反発の声が上がる。


「何を言っている!?」

「当然の結果だろう!」

「早くそいつを叩き出せ!」


 貴族に害をなそうとした者を庇えば、他の貴族からは反発を受ける。ライカが迷っていたのはこのせいだ。


――弁護すると決めたから。


 立場を思えば見捨てるべきだった。心配してくれたリーディスの言葉が頭に浮かぶ。

 貴族社会でライカの評価は低かった。そのような中で、貴族たちの反発を招けば、<王国の天秤>の地位がますます揺らぐ。

 それでも、見捨てられなかった。


「裁かれるべきは人を道具のように扱う計画犯です」


 ライカは傍聴席に向かって語りかけた。ゆっくりと、静かに。


「たまたま実行犯として選ばれただけの哀れな彼にどうか減刑を」


 静まり返る法廷。

 ランドルグが何かを思案する。

 彼はバーマンを一瞥した後、ライカを見た。

 ライカからするとランドルグは大叔父である。彼はクラシェイドの当主となる可能性もあったそうだ。ライカを見る目は厳しく、血縁者でありながら他人のような壁を感じた。


「――これより判決を下す」


 ランドルグがそう宣言すると、法廷の視線は彼の元に集まる。

 ライカの息を飲む音がごくりと鳴った。


「貴族という地位に守られ、計画犯は刑を免れる可能性が高い。

 それなのに、実行犯であるバーマン・セングが極刑で良いのか。

 ――その主張には切り捨てられないものがあった。だが……」


 ランドルグはライカに目線を向け、まるで彼女に語りかけるかのように続きを告げた。


「貴族はその権威をもって平民を導き、統治を行う。

 故に平民が貴族の命を狙うことは断じて許されぬ大罪。

 その行為はただの殺意に留まらず、王国の根幹を揺るがす犯罪に他ならない。

 よって――……」


 静まり返った法廷にただ、彼の声だけが響く。


「バーマン・セング、貴族殺害未遂により死刑を言い渡す」


 法廷に木槌の音がひとつ、大きく鳴り渡る。


 ライカは自分の体が芯から凍りつくのがわかった。

 これが判決を下されるということなのだ。

 重く暗く、決して覆しようがないこと。

 観衆たちはランドルグを見つめ、称賛の声を上げている。

 ただ、一人。

 彼だけはライカに視線を向けた。


「本当に庇ってくれたんだな……」


 バーマンがぽつりと呟く。

 この拍手の中で掻き消えてしまいそうなほど小さな声。彼のことを気にしていなければ、決して聞くことはできなかっただろう。


「あんなことを言ったのに……馬鹿なやつだ……」


 バーマンは俯くと、どこか自嘲気味に口の端を持ち上げた。虚だった目にはどこか色が灯っている。


「お前を殺す報酬としてエメラルドを貰った。

 家の戸板に隠している」


 躊躇うように顔を持ち上げ、ライカに視線を合わせる。どこか気まずそうな、けれどすっきりしたような表情を浮かべて。


「それは好きにしてくれ。俺はここまでだ」


 そう言って、バーマンは無理やり笑った。どこか切ないその笑顔に、ライカの目には涙が浮かんだ。


「セングさん……」

「ありがとな、坊主」


 その言葉を最後に、バーマンは法廷から退出させられる。彼の顔は、とても極刑を言い渡された後のようには見えなかった。


――救えなかった。


 目から一筋、涙が溢れる。

 それは床に弾け、小さな染みを作った。その染みをただ無言で、ライカは見つめ続けた。

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