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遺産問題の結末

 ライカが部屋に戻ると、セラディスの子どもたちは疲れた顔をして、椅子に座っていた。それでもまだ言い足りないのか、喧騒は続いている。


「知ってるわよ、マルティウス兄さん!

 領地の経営に失敗して借金があるそうね!」

「な、何故それを……!」


 エリサネの発言に、マルティウスの額から汗が滝のように流れ出す。けれど、彼も黙ったままではいられなかったのか、妹に向かって指を突き立てた。


「お前だって嫁ぎ先で豪遊しているそうだな。

 旦那が泣きついてきたぞ」

「な、なんですって……!」


 まぁまぁ、と二人を制しながらも、次男のハルヴァンがにたにたと笑う。


「姉さんは確かに教育にはお金を注ぎ込んでもらえなかったけど、それ以外は結構、好きにさせてもらったんじゃないかな?」


 ハルヴァンがそう言うと、マルティウスが大きく頷く。


「そうだそうだ。女だから身だしなみは大切だと、ドレスやアクセサリーなんかは十分に揃えてもらっていたはずだ」


 エリサネは言葉を詰まらせ、悔しそうに下を向く。どうやら身に覚えがあったようだ。


「な、なによ……! 

 ハルヴァンだって、病気の娘なんていないくせに……!」

「ね、姉さん……!?」


 今度はハルヴァンが汗を流す番だった。上着の内側からハンカチを取り出すと、頬を伝う雫を彼は慌ただしく拭った。


「ティスラちゃん、元気にお茶会に参加しているそうじゃない。

 ――女の情報網を舐めないことね」

「いや、たまたま調子が良かっただけで……」


 反論するハルヴァンの声は、虫の羽音のように小さかった。マルティウスが腕を組んで大きくため息を吐いた。


「実の娘をダシにするとはな」

「まぁまぁ」


 末のテオランは先ほどから何かあるたびに文字を宙に書くような動作を繰り返していたが、その指を止めるとにこりと笑った。


「治ったなら良かったじゃないか」


 暢気なその言葉に三人は余計に苛立ったような表情をした。


「そう言うお前は私たちが家を出た後、随分と可愛がられたそうだな」


 マルティウスが忌々しそうに末の弟を睨んだ。


「でも、それまではいつも貧乏くじだったよ。

 良い物は兄さんたちに取られてたし」

「その分、多く欲しいのかしら?」

「いや、まさか」


 テオランは人の良さそうな笑みを浮かべたまま、三人に提案した。


「父上の言う通り、遺産は四等分にしましょう」


 深いため息が三つ、部屋にこぼれた。


「お前は三男だからそれで構わないのだろう」

「本来ならほとんど手に入らないのですもの」

「また善人ぶって父さんに取り入る気かい?」


 それぞれがこの末の弟に思うことがあるようで、向けられる言葉は針を刺すように刺々しいものだった。


「四等分だけはないな」

「多くもらうのは私よ」

「いや、僕だ」


 結局、テオランの提案は火に油を注いだだけだった。彼らの言い争いは再び始まった。


「見苦しくてすみません、クラシェイド伯爵」


 騒動の中、テオランは呆然と佇むライカの隣に立った。


「できればこんなところでお会いしたくはございませんでした」

「どういうことですか?」


 ライカの疑問にテオランはにこりと微笑む。


「私は王宮で法務書記官を勤めています。

 少しでも法律を齧った者にとって、クラシェイドは憧れなんです」

「ええっ……!?」


 冗談かと思って青年を見上げたが、その目はきらきらと輝いており、嘘は言っていないようだった。見下されることの多かったライカには珍しい発言だ。少女は戸惑いを隠しきれなかった。


「歴代のクラシェイド伯爵たちならわかりますが、私はまだなにも……」

「そんなことはありません!」


 テオランはライカの手をとり、ぎゅっと握りしめた。その手のひらには、ライカと同じ位置に豆ができている。


「ネイゼン第二王子殿下の生誕祭でヴィンス伯爵をお救いになったのも、ノルヴァン領の土地問題を仲裁されたのも、サイリス子爵家の後継問題を解決されたのも存じております」


 確かに全てライカが行ったことだ。こうして列挙されると少し恥ずかしい気持ちになってくる。ライカは目線を下げた。


「こんなことでお呼びするお方でないとはわかっていますが、期待せずにはおれません。

 どのようになさりますか?」

「近い、近いですよ、テオランさん」


 テオランは手を握ったまま顔を近づけた。彼はライカを少年だと思ってこんなことをしているのだろうが、彼女にとってはたまったものではない。握られた手にじんわりと汗が滲む。


「慣習に従って長兄のマルティウスに相続させますか? 

 それとも、ここはクラシェイド伯爵らしく法に則り四等分にしますか?」


 青年に詰め寄られるたび、一歩後ずさる。何歩かそれを繰り返した後、ライカは静かに首を横に振った。


「私は<王国の天秤>として呼ばれています。目的は仲裁。

 どちらの立場をとるかというよりは、必要な選択を模索します」


 なるほど、とテオランは首を縦に振った。

 ようやく手を離すと、勢いよく宙に何かを書き始める。なんとなくライカにはその文字列が読めそうだったが、あえて読まないように目を逸らした。


「素晴らしい……さすがはクラシェイド伯爵だ……」


 ぶつぶつと何かを呟く青年を横目に、ライカは罵り合う三人に顔を向けた。


「茶会に着て行くドレスがないといつも強請っていただろう。

 あれだけで、どれほどの散財になったか」

「兄さんの借金こそ散財そのもの。

 こんなに才覚がないなら僕が継げば良かった」

「娘を病気だと偽る当主がどこにいるのよ。

 そんな領主、願い下げよ」


 三人のやり取りを聞きながら、ふとライカは疑問を抱いた。まだ宙に指を滑らすテオランに、そっと質問を投げかける。


「テオランさん、末っ子のあなたは最後まで家に残り、リオバル男爵に可愛がられたというのは本当ですか?」

「ええ、そうです。

 一人っ子のように扱ってもらいました」


 力の弱かったテオランは菓子を分けるにも一つ少なく、何かと損をしていたそうだ。それを埋めるようにセラディスは彼と食事をしたり、買い物に出かけたりと大事にしてくれたらしい。


――でも、それはテオランさんだけじゃない。


 糸口が見えたライカは一人で頷くと、三人に負けないくらいの声を張り上げた。


「皆さん、聞いてください!」


 部屋の視線がライカに集まる。喧騒が止み、驚くほどの静けさが訪れる。


「皆さんの話の中で、わかったことがあります」


 ライカがそう言うと、四人は首を僅かに傾ける。何か特別なことを口にしただろうか。表情にはそう浮かんでいた。


「マルティウスさんは借金の補填を、エリサネさんは被服費を、ハルヴァンさんは娘さんの治療費を、テオランさんは上のご兄弟との差額の養育費をすでにお受け取りになっているということです」


 それは、四人の話を総合した結果である。当然、彼らもその点は理解している。


「変な話です。

 そのことは誰よりもリオバル男爵がご存知のはずなのに、彼はそれについて一言も私に話しませんでした」


 ライカがそう告げると、四人はそれぞれの顔を見回した。そして、なにかを悟り、気まずそうに顔を伏せる。


「きっと皆さんの名誉を少しでも傷つけたくなかったのでしょうね」


 目を細めながらライカは笑う。

 子どもたちは自分こそが足りていないと主張するが、セラディスは平等に分け与えていたのだ。彼の不器用な優しさが、確かにそこにはあった。


「蒐集家が集めた品々を芸術品として寄贈するのではなく、遺産として残すというのは、不平等な思いをさせてしまった子どもたちへの、せめてもの償いのように感じます」


 ライカがそう締めくくると、部屋の中には啜り泣くような声が響く。満たされなかった気持ちが今ようやく満たされ、彼らも父の愛情を受け入れることができたのだ。


「父上……」

「お父様……」

「父さん……」


 父の名を呼ぶ彼らに、ライカはそっと書類を差し出した。それは遺産相続の同意書だ。四人均等に分配するという内容の。

 もう反対する者はいない。皆がペンをとり、同意書にサインをする。記された四つの名前は、寄り添うように並んでいた。



 ◇



 遠ざかる少女の人影を見送りながら、老人は窓から部屋の中へと視線を戻す。そこには一枚の肖像画が立てかけられていた。


 輝くような二つの瞳。


 深く濃い金の中に朱が混じっている。その複雑な色合いに惑わされてしまいそうになり、はっと老人は目を瞑る。

 けれど、再び開けたその目には覚悟の光が宿っていた。


「約束は果たしましたぞ、陛下」


 そう言って、彼は肖像画に向かってナイフを突き立てた。手を下へと引き下げると、ナイフは鈍い音を響かせ、キャンバスの布を切り裂いた。

 ぼとり、と切れ端が床に落ちる。

 ぼろぼろになった肖像画を、老人はただ暗い目で見つめていた。

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