肖像画の王子
「私が多くもらうべきよ!」
部屋に甲高い声が響く。それは豪奢なドレスを纏った女性から発せられたものだ。
「だから長男である私が多くを引き継ぐのが道理だと言っているだろう?」
壮年の男性が呆れたようにため息をつく。その横で腹の出た小太りの男性が首を横に振った。
「病気である我が娘のために援助してくださっても良いでしょう?」
喧騒の中、比較的年齢の若い青年が指で宙にくるくると文字を書くような動作をしながら、彼らを嗜める。
「皆、落ち着いて。客人の前ですよ」
その言葉に、視線は一人に集中した。
この中で最も年下の子ども――ライカの元に。
◇
リオバル男爵セラディス・アルベスタは偏屈な老人で有名だった。ライカとはさほど面識はないものの、その噂が聞こえてくるほどに、彼には逸話が多かった。
骨董を集めるのが趣味で子を質にしたとか、絵の配置で先代国王に叱責をしたとか、本当かどうかわからない話がまことしやかに囁かれている。
そんな彼にライカが呼ばれたのは、遺産相続について相談されたからだった。年老いた彼には骨董趣味で築き上げた個人的な財産があり、男爵としての多くの権限を長男に譲ってなお、多くの資産を所有していた。
――遺産問題は<王国の天秤>の仕事ではないんだけどなぁ……。
この件に関しては専門の法律家に任せた方が無難である。それでもなお、わざわざライカに依頼したことがどうにも引っかかっていた。
――何か理由があって私を呼んだのかな?
ライカはそう思い、アルベスタの屋敷に足を踏み入れたのだ。
セラディスには四人の子どもがいる。通された部屋には彼らがすでに集まっており、険しい顔で椅子に座っていた。全員が成人済みで、家庭や仕事を持っている。
「これはこれはクラシェイド伯爵。
こんなことでお呼びして申し訳ない」
そう口火を切ったのは長男のマルティウスだ。口髭を生やし、威厳のある面持ちをしている。
「ご存知の通り、遺産でしたら長男が引き継ぐのが慣例でしょう?
ですから伯爵の出番はないかと」
すでに自分が遺産をもらう気でいるのか、マルティウスは余裕の笑みを浮かべている。しかし、彼の言う通り、エルドガールでは、親の遺産の多くは長男に分配されることが通常だった。
「勝手なことを言うな、マルティウス」
そんな息子を父は叱るように黙らせる。老いたとはいえ、親はいくつになっても親。マルティウスはすぐに口を閉じた。
「遺産は子どもたち四人にそれぞれ均等に分け与える」
セラディスが持っていた杖を床に打ち付けた。部屋には静寂が訪れる。けれど、それも一瞬のことで、子どもたちはすぐに立ち上がり、老人に詰め寄った。
「どういうことですか、父上!
長男である私が多くもらうべきでしょう!」
マルティウスは今にも胸ぐらを掴み掛からんばかりの勢いだ。その額には汗が浮いている。
「お父様!
私は女だからと教育にお金をかけていただけませんでした!
その分、多く遺産をもらう権利があります!」
そう言ったのは豪奢なドレスを着た派手な女性――長女のエリサネだ。淡い茶髪が今にも立ち上がりそうだ。
「娘が病気なんです!
どうか支援をしていただけないでしょうか!
お願いします、父さん!」
そう叫ぶように嘆願する男性は次男のハルヴァン。小太りで眼鏡をかけている。
三人が口々に喚く中、ゆったりとライカに近寄る人影があった。それは、三男のテオランだ。
「皆、落ち着いて。客人の前ですよ」
部屋の視線が一斉にライカに向いた。
様々な感情が瞳に宿っている。
「少し冷静になりましょう。突然のことで混乱されているようですし」
ライカは時間を置くように提案した。
◇
「悪かったな、伯爵」
そう謝るセラディスは、わずかに肩の位置が低かった。遺産の話に躍起になる我が子の姿を見るのは、やはり思うことがあるのだろう。
「どうかお気になさらず」
ライカはそう返すのが精一杯だった。彼女が呼ばれたぐらいなのだ。元々、揉め事になるのは想定内だった。
「宝物庫を案内しよう。何があるか知っておいた方が良いだろう」
「いいんですか?」
「まぁ、年寄りの趣味に付き合ってくれ」
そう言ってセラディスが案内した部屋には、数多くの骨董品が並んでいた。ライカの背丈より高い壺、背面に細かい模様が刻まれた手鏡、異国の香りが残る香炉、用途のわからない箱。
「これを見たまえ」
そう示した先には薄く四角いものが立てかけられており、その上から布が被せられていた。セラディスは皺の入った手でその布を掴むと、慎重に取り外した。
「これは……」
現れたのは一枚の肖像画だった。金髪の子どもが描かれている。天使のようによく整った顔だ。着ている服装から王族の少年だとわかるが、顔立ちは少女のようにも見えた。
長く整ったまつ毛。初雪のように白い肌。細くきめ細かな金の髪。品の良い唇には穏やかな微笑が宿る。
中性的で美しい子どもの肖像画。
しかし、なぜか違和感を覚えた。
ライカはじっとその絵を見つめ、やがて気がついた。その違和感の正体に。
「――引き込まれそうになる瞳であろう?」
絵に視線を向けながら、セラディスはふうっとため息を吐いた。
「魅了され、狂いそうになる」
囁くようなその声は、すでに正気ではないような気がして、ライカはセラディスを見ることができなかった。
輝くような二つの瞳。
金色に朱が差したような複雑な色をしており、じっと見ていると逆に見つめ返されているような気持ちにさせられる。甘くも冷たくも感じられる不思議な――魅力とさえも言える吸引力がそこには確かに存在していた。
「短い間だったが、私は先代国王陛下に仕えていた時期があった」
狭い宝物庫にセラディスの抑揚のない声が響く。年老いてしゃがれた声はどこか不気味だった。
「こんな小さな宝物庫ではなく、王宮の大きな宝物庫を管理していて、調度品を配置するのが私の役目だった」
セラディスは何を伝えようとしているのだろうか。ライカは目を瞑り、ただじっと耳だけを澄ました。肖像画を見つめていると、それこそ頭が変になってしまいそうだったからだ。
「その頃、この肖像画も飾っていた。
当時、第二王子であらした彼の方の肖像画だ。
この時すでに頭脳明晰で人心掌握に優れていらっしゃった。
けれど……」
老人の声が途切れ、どこか残念そうに息がもれる。
「とある事件により失脚なされた。
その際に肖像画も陛下のご命令で処分することとなったのだ。
――しかし私にはどうしてもそれができなかった」
「まさか……!」
ライカは目を開けると、恐る恐る肖像画に視線を向けた。
輝くような金色の瞳がこちらを見ている。あどけない顔立ちに不釣り合いな大人びた眼差し。
絵だというのに、こちらの心の中を覗き見てくるような、そんな不適な色を湛えていた。
そんな絵を彼は。
「捨てることができずに持ち帰ったのだ。
陛下のご意志に背いて」
「それは……」
ライカは次の言葉を飲み込んだ。
無論、廃棄予定の絵画とはいえ、王室の所有物を持ち帰ったとなると処罰されても仕方ない。下手をすると、国王への不敬が問われる可能性があった。
――その先代国王陛下はお亡くなりになっているけど……。
ライカが考え込んだのを察して、セラディスはほっほと笑う。
「謝罪ならもうしておる。ナザリウス国王陛下にだが」
「――陛下はなんと?」
ナザリウスの名前にライカの心臓はどきりと脈打つ。感情のないあの顔が心に浮かんだ。彼女の様子に、老人はますます口角を上げる。
「燃やせ、と」
ライカの肩から力が抜けた。それはセラディスが過大な罰を受けずに済んだ安心感からくるものである。
――廃棄物の使い回しはよくあること。
問題はそれが王室に関わるものであった点。
王子の肖像画ともなると、機密情報の漏洩という観点からも追求されることは十分あり得た。しかし、それを裁く法律は実のところない。全ては国王の裁量一つだった。
――その国王が罪に問わなかったんだ。
現国王であるナザリウスが。
セラディスが宝物庫の中に秘匿していたせいか、すでに廃棄物であり、その価値に重きを置いていなかったせいかはわからない。年老いた男爵に配慮した可能性もあったが、全てはナザリウスの胸の中だ。
ライカは横に立った老人に向き合うと、紫の目で彼を見上げた。
「どうして私にこの絵を?」
「必要だと思ったから、だろうか?」
セラディスははぐらかすようにそう言った。
ライカは首を捻り、不思議そうな顔をした。そんな彼女を、まるで我が子を見るかのような眼差しで見つめながら、セラディスは告げる。
「……この方はエルドガールの王弟殿下」
しゃがれた声が妙に耳の奥に響いた。
「ルーカディアス王弟殿下であらせられる」




