第二王子の生誕祭・2
「どうにかしろ、クラシェイド」
急かすようなネイゼンの言葉。
以前の少女ならば逃げ出したくなる衝動に駆られただろう。
けれど、今の彼女は毅然と立ち、仲裁の道を模索していた。
「どうしてクラシェイドに……」
「なんだか怪我をしているみたいだわ」
「寝ていれば良いものを」
だが、少女に期待する者はいないに等しい。
判断を仰ぐように、視線はネイゼンに向けられた。
「これは殿下に対する不敬です。早くご処断くださいませ」
エドリックは早々に少女を見かぎり、ネイゼンに訴えかけた。
その言葉に反応して、少女は誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第1章第2条、
王または王族に対し、侮辱、または冒涜した者は不敬罪に処す」
自分で口にして驚いた。
クラシェイドは法曹の家系だ。当然、少女も法律には詳しかった。
けれど、このような場でその知識を口にしたことは今まで一度もなかった。
――なんで僕はそうしなかったんだろう。
そんな自分に驚いたのだ。
自分が最も得意とする分野を、調停の場で活かしていなかったことに。
――模倣については……。
この場合、抵触する法律はあっただろうか。
けれど、記憶の中の条文を探っても、該当するものは出てこなかった。
――つまり、問うべきは真似られたことにより発生する不名誉、または殿下への不敬か。
エドリックが不敬罪を主張するのはそういうわけだ。
けれど、彼の言葉はどこか芝居のような仰々しさがあり、少女には不自然に感じられた。
――まさか、嵌めたの……?
少女の目にテレシアは大それたことをするような人物には映らなかった。
どういう理由かわからないが、エドリックがテレシアの評価を落とすために一計を案じたとしか思えない。
――だから、<王国の天秤>を呼んだ……?
少女はちらりとネイゼンを見た。
彼は腕を組み、エドリックを険しい目で見据えている。
――この場に必要なのは断罪じゃない。
少女はそのことに気づき、二つの短剣を交互に眺めた。
最初から何か違和感があった。それがわかれば解決の糸口が見つかるかもしれない。
「屋敷に戻れば発注した日付を証明する書類もご用意できます。
きっとヴィンス伯爵より先にサインしていることでしょう」
エドリックはわざとらしく手を大きく広げた。
もちろん、そんな書類など他人を嵌めようとした人間ならいくらでも偽造できる。
少女はますます怪しく感じ、その憤りで思考を鈍らせそうになった。
「謝罪さえいただければ、これ以上は言及いたしません」
彼の言葉に人々の視線はテレシアに向く。
突き刺さるような視線に晒され、彼女は顔を一層青くし、大きく後ずさった。
「私……私……」
テレシアの心はすっかり折れてしまったことが表情から読み取れた。
絶望した顔で、唇を小さく震わせながら、彼女は口を開きかける。
「申し訳……」
「――待ってください」
テレシアの謝罪を聞こうと静まり返った会場に、その声はよく響いた。
貴族たちはゆっくりと振り返り、声の持ち主である少女へと視線を落とした。
寝巻き同然の格好をしたその子どもは、細い体を左右に揺らしながらエドリックに近づく。
「『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第2章第10条において、
強要された自白は証拠にならないとされています。
ここでヴィンス伯爵が謝罪をしても、有罪であることは確定しません」
「何を……!」
少女の言葉にエドリックは顔を真っ赤に染める。
「これは正当なる要求です!」
「いいえ、その主張は不当です」
少女は静かに首を横に振った。
彼女が喋り出したことに困惑し、周囲はざわざわと騒ぎ始める。
けれど、少女が次の言葉を告げようと口を開くと、会場はぴたりと静寂に包まれる。
「そもそも、この二つの短剣は用途が異なります」
少女はエドリックの用意した短剣を指差した。
「ジゼル伯爵、あなたの短剣は切れ味が良さそうですね?」
「え、ええ。名工に作らせましたから当然です。
武芸に秀でていらっしゃるネイゼン第二王子殿下に相応しい剣をご用意いたしました」
誇らしげな顔をしてエドリックは胸を張った。
少女はその答えに納得すると、今度はテレシアが用意した短剣を手に持ち、目の高さまで掲げた。
「ですがヴィンス伯爵、あなたの剣は何も切れそうにありませんね?」
会場の一同は少女の質問の真意がかわからず、互いに目を合わせては首を捻った。
ただ一人、テレシアだけが静かに頷く。
「はい……おっしゃる通りです……」
少女も小さく頷き返す。
短剣を近衛兵に返すと、彼女は周囲に向かって続きを語り始めた。
「ジゼル伯爵が用意したのは実用性のある短剣に装飾が施されたものです。
一方、ヴィンス伯爵が用意したのは最初から観賞用の短剣であり、何かを切ったりはできません」
刃先まで鋭く研磨されたエドリックの短剣に比べて、テレシアの短剣は鈍い色をしている。
それは、誤って怪我をしないように配慮されたものなのだろう。
「『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第3章第5条、
刀剣とは、人を殺傷し得る刃を持つ武器の総称である。
一握り以上の刀身を有するものを指し、直刀と湾刀の双方を含む、とされています」
長い条文もすらすらと口を滑る。
それは当然のごとく頭に染みついた文字列だった。
「つまり、姿形は似ていますが法的には全くの別物です」
少女がそう締めくくると、ネイゼンは組んでいた腕を解いた。
「――全くの別物なら問題ないな」
「ネイゼン第二王子殿下……!」
まだ引き下がろうとするエドリックを、ネイゼンは視線だけで黙らせる。
他の貴族も誰一人反論する者はいない。
「罪を問ういわれもないなら解散だ。――宴を続けよ」
ネイゼンの命令にも近い言葉に、貴族たちは一斉に会場のそこかしこに散らばる。
音楽が再開され、陽気な雰囲気が流れ出した。
「もういいぞ」
ネイゼンは労うこともなく背を向け、靴音を鳴らしながら会場の中央に歩いていった。
残された少女はセイランとともに外へと向かう。
「よく頑張りました。
ジゼル伯爵と先代ヴィンス伯爵はライバルのような関係で、たびたびぶつかることがあったのです」
彼らにはそれぞれ子どもがおり、先代ヴィンス伯爵が亡くなってもなお、エドリックの敵対心は収まらなかったのだ。
「ご苦労でした、ライカ。体は大丈夫ですか?」
「はい、なんとか……」
調停を任された緊張のあまり頭の痛みを忘れていた。
思い出すと急にぶり返す。少女は額に汗を浮かべた。
「あの……クラシェイド伯爵……」
そんな彼女の背に声がかかる。
振り返ると、テレシアが俯きがちに立っていた。
「先ほどは……その、ありがとうございました……」
彼女はゆっくりと頭を下げる。
それは伯爵というより令嬢といった所作だった。
「気の毒でしたわね」
セイランが慰めるように近寄った。
二人は面識があるようで、テレシアもようやく安心したように表情を緩めた。
「夫を亡くして……私では駄目だと思ってました……」
でも、と彼女はようやく色が灯った瞳で笑った。
「クラシェイド伯爵の姿を見て思ったのです。
年若い方がこんなにも立派に調停されているのですから、弱音を吐いてばかりではいけないなって……」
「まぁ……!」
テレシアの決意にセイランも嬉しそうに声を上げた。
「今日の一件で落ち込まれたらどうしようかと思いましたが、励みになったのなら良かったです」
「息子のためにも頑張ろうと思います。本当にありがとうございました」
何度も頭を下げるテレシアを見送りながら、セイランは少女を褒めた。
「素晴らしかったわ、ライカ。
<王国の天秤>にとって断罪は最終的な手段です。
目指すべきは釣り合った天秤のように、その場の〝均衡〟を保つことなのです。
あなたは怪我をしていたのに、見事やってのけました」
セイランは怪我をした箇所を避けながら、優しく少女の頭を撫でた。
癖のある髪が揺れ、どこかくすぐったそうに少女は目を細めた。
――僕はずっと男装している自分が受け入れられなかった。
着ている服を少女は見つめた。
それは寝巻きとはいえ、男性用だった。
男装は周囲を騙しているような罪悪感を常に少女に抱かせた。
脳裏に赤い色が思い浮かぶ。
あの赤は、そんな少女にそれでも生きていて良いのだと手を差し伸べてくれるようだった。
――僕は……いや、私はライカネルではなくライカとして生きてみようかな。
こうして少女――ライカの新たな生活が始まった。




