子爵家の後継問題
よく晴れた昼過ぎ。
客間には二人の女性が訪問していた。
「お久しぶりです、ヴィンス伯爵」
「ご無沙汰しておりました、クラシェイド伯爵」
一人はヴィンス伯爵テレシア・ファルビス。
前に会った時に比べ、顔つきは頼もしくなっており、ゆったりとした表情でライカに挨拶を返す。
「こちらはサイリス子爵です」
「初めまして、クラシェイド伯爵。マーリス・メノーと申します」
テレシアが紹介したのは、彼女と同じく夫に先立たれたという未亡人だった。
ただ、テレシアと違うのは、子どもが娘しかいないという点だ。
「私のように夫を亡くした場合などでは、一時的に女性でも爵位を保持することはありますが、サイリス領では男子しか跡を継げないという慣習がございます。
そこで今、娘は従兄弟のタリウスとの婚約を迫られているのです」
ライカはふむ、と頷く。その表情は真剣そのもの。
何せこれは<王国の天秤>としての仕事なのだから。
「そうなれば家は乗っ取られる、と……」
悲しいことに、夫のいない女性というのは立場が弱いものだ。
言われるがままタリウスとの婚約を進めれば、マーリスの未来は暗い。
「私は良いのです」
マーリスは涙をハンカチで拭った。その心を曇らせる理由はただひとつ。
「娘のカナレアが幸せなら……」
けれど、タリウスと娘が一緒になったところで、そんな未来は訪れそうにもない。
だから、彼女はここに来たのだ。<王国の天秤>に仲裁してもらうために。
――これは、責任重大だ……。
母娘二人の将来がかかっている。
ライカの背には薄らと汗が浮かんだ。
けれど、不安が伝わらないよう、落ち着いた顔を保ち続ける。
「もちろん、お二人揃って幸せな未来を目指しましょう」
「そうですわ」
マーリスの背をテレシアが優しく撫でると、彼女はますます涙を流した。
「ありがとうございます……!」
喜ぶマーリスの傍ら、ライカは静かに考える。
どのようにすれば相手が納得するのか、その糸口を。
「カナレアさんはどのようなお方ですか?
子爵家を継ぐご意思はおありですか?」
「ええ、とても気の強い子で頭も良いんですよ。
今年、大学を受験する予定です」
「もしかして、アリシアン王立大学ですか?」
「はい」
アリシアン王立大学――それは王都にあるエルドガール一の大学だ。
その評判から、王都近郊だけでなく、各地の領からも子どもが集まり、勉学に励んでいる。
「タリウスさんの方はどうですか?」
「ええと……彼も大学は受けるようですが……」
歯切れの悪いマーリスの様子から察するに、どうも勉強は得意ではないらしい。
ならば尚更、伯爵家の地位に拘るかもしれない。
「なんとか説得してみますので、場を用意していただけませんか?」
「ええ、よろしくお願いいたします」
涙を拭うマーリスを見つめながら、ライカは内心、憤っていた。
――女性は跡が継げないなんて間違ってるんだ。
ライカはセイランのことを思った。
立派にクラシェイドを仕切っているセイランのことを。
クラシェイド伯爵はライカが継いだが、その仕事のほとんどを担っているのはセイランだ。
彼女を見ていればわかる。
女性でも爵位を継いで問題ないのだと。
――この国で女性が爵位を継ぐのは、夫を亡くした未亡人の場合が多い。
次の代まで仕方なく繋いでいるだけだ。
だけど……。
ライカは天井を見上げる。
どこか悲しそうな目をして。
――女性でも、当たり前のように継げることがでるようになればいいのにな。
その願いは、自分のためでもあったのかもしれない。
◇
サイリスの屋敷には、マーリスと娘のカナレア、マーリスの弟であるハストンと息子のタリウス、そしてライカの他にもう一人、赤髪の青年・ゼナイがいた。
「どうしてゼナイが……!?」
「……ハストン・ヴァロアの祖父上には、前の戦で功があってな」
その関係で、ゼナイは今回の話し合いの保証人として、この席に呼ばれたそうだ。
なぜか先ほどから目を合わせようとしない。
「それでは婚約の契約書に署名してもらおうか」
そう言ってハストンは一枚の紙を丸いテーブルの上に置いた。
マーリスは焦った顔で手を振った。
「待ってください。
私たちはその話を断るために、あなたたちを呼んだのですよ、ハストン」
「何をおっしゃるのです、姉上。
これが一番丸く収まる形でしょう?」
どうせ他の男と結婚しても財産を奪われるだけ。
ならば血縁関係がある分、タリウスの方がましではないか。彼の目はそう言っていた。
――この男は……。
その目にライカは酷く苛立った。
当たり前のように肉親である姉や姪を貶めていることに気づきもしないその目に。
けれど今は仕事中だ。
深く息を吸って毅然とした態度を徹底する。
「サイリス子爵は後継を娘のカナレアさんにと考えてらっしゃいます。
婚約されるのはけっこうですが、子爵位は諦めていただくことになりますよ」
淡々とした口調でライカはハストンに告げた。その内容に彼は顔を赤らめる。
「何を言っておるのだ!
女は継げないと決まっているだろう!」
唾を撒き散らしながらハストンは叫んだ。
けれどライカは表情を変えずに答える。
「それを今から変えるのです。家法を作り直します」
「そんなことが……」
「当主の権限なら可能です」
束の間、ハストンは黙った。
確かにライカの言う通り、当主の権限があれば家法を変えることはできるのだ。
「横暴だ。領地民として納得できない」
そうだ、と言わんばかりに彼はゼナイを見た。二回りも年下の青年を。
「シルヴィス侯爵閣下もそう思われませんか?」
「……」
ゼナイは腕を組んだまま黙っていた。
どうにも、ハストンの肩を持ちたくないようだ。
けれど、一応はハストン側の人間として呼ばれたためだろうか。
少しして嫌そうに口を開いた。
「……そちらの令嬢が跡を継ぐことは可能なのか?」
「そう! そうです!」
ゼナイの言葉にハストンが何度も頷いた。
ゼナイはますます嫌そうに顔を顰める。
ハストンはカナレアを一瞥すると、実の姉に向かって怒声を上げた。
「少し頭が良いからといって領地を治められると思うなよ?
大人しくタリウスに任せるべきだ!」
ライカは小さく息を吐いた。
それは、誰にも気づかれないほど小さなため息だ。
「タリウスさんの方が頭が良いと?」
「男だから当然だろう」
何が当然なのかライカにはわからなかったが、話が進まなくなるのでその言葉は受け流した。
代わりに持っていた紙を二枚、机の上に並べる。
「でしたらこの問題を二人に解いていただきましょう。
――あなたの言う通りなら、タリウスさんの方が良い結果になるということですね?」
「なんだと……?」
机の上に並べた紙に書かれているのは算学の問題だった。
思考の問題ではないため、贔屓する余地もない。
タリウスの顔が強張るのがわかった。
「構いませんね?」
「良いだろう。解きなさい、タリウス」
カナレアとタリウスは並んで座ると、ペンを持ち、同時に解き始めた。
さらさらと指を動かすカナレアに対し、タリウスの手は鈍く、止まっては動き、止まっては動きを繰り返している。
やがてカナレアが全てを解き終わった時、ライカはタリウスを止めた。
「もういいでしょう。これ以上は無駄です」
カナレアは満点近く解けているのに対し、タリウスは半分にも届いていなかった。
誰の目にも歴然とした差があった。
「これはインチキだ!
あらかじめ問題をカナレアに渡しておいたんだ!」
「インチキではありません。ですが……」
ライカはカナレアに向き合い、にこりと微笑んだ。
「問題を初めから知っていたのはそうです。
――ですよね、カナレアさん?」
「は、はい……」
大人たちは驚いたようにカナレアとライカを交互に見た。
これでは確かにハストンの言う通り、不正になってしまうからだ。
「この問題は昨年出題されたアリシアン王立大学の入学試験の問題から抜粋したものです」
ライカは大人たちにもよく見えるよう、問題用紙を掲げた。
「真面目に受験に励んでいたら解けたんです。カナレアさんのように」
その言葉を聞き、タリウスはがくりと肩を落とす。
昨年の問題すら解いてないようでは、受験は危ぶまれるだろう。
そのことに彼自身もようやく気づいたのだ。
「どちらが優秀かはもうわかりましたね?」
ライカはきっと睨むようにハストンを見た。
彼もさすがに言い返す言葉がないようで、視線が宙を彷徨っている。
ライカは横目でちらりとゼナイに視線を送る。
「――シルヴィス侯爵閣下」
「ああ、令嬢で問題なさそうだ」
まるで最初からこの結末に導くためだったかのように、ゼナイはそう結論づけた。
その様子にライカは首を傾げる。
――この人はどうも慣習に囚われていないような……?
同じ男性でもハストンとは真逆だ。
カナレアの資質など最初から疑っている印象はなく、ハストンを納得させるためにあえてライカをけしかけた――そんな風に思えた。
――むしろ嫌気がさしている?
ライカはその様に感じとった。
そうでなければ、もっとハストンを援護するようなことを言っただろう。
「では、サイリス子爵家の後継者はカナレアさんということで。
――婚約はどういたします?」
ライカがそう尋ねると、ハストンは顔を再び赤く染め、声を張り上げた。
「当主になれぬのなら良いわ!
勝手に没落してしまえ!」
彼はタリウスの腕を掴むと、挨拶もせずに部屋を出ていった。
少年だけが小さく頭を下げる。
ハストンのいなくなった部屋には静けさが訪れる。
女性たちは残されたゼナイを気まずそうな目で見た。
「ご足労いただきましたのに申し訳ございません、シルヴィス侯爵閣下」
「無事、まとまったようで何よりだ」
そう答えるゼナイの声は、いつもよりは朗らかだ。
表情も努めて明るくしているのがライカには伝わった。
「家法についてはお前に任せるぞ」
「ええ、頑張ります」
ライカは大きく頷いた。
説得が終わってしまえば、こちらの方が重要だ。
サイリス子爵家の今後に関わることなのだから。
「再びこのようなことが起きないよう、しっかりと内容を考えます」
「そうだな」
カナレアが他の男性と婚姻を結んでも、産んだ子が娘だけならば、また同じ問題が起こるのだ。
それを止めるためにも、結局は女性の後継を認めるしかなかった。
「ありがとうございました」
メノー母娘が二人に向かって頭を下げる。
格式のあるその所作は、親子だけあってそっくりだった。
「カナレアさんが勉強を怠らなかったおかげですよ。
――受験、頑張ってくださいね」
「はい、クラシェイド伯爵様」
カナレアの目は輝いていた。
ライカは確かに守ったのだ。未来へと繋がるその美しい光を。




