初めての模擬戦
ネイゼンが無理やり連れて来たのは、彼が軍事を目的に編成した個人的な組織
――フレンダル騎士団が使う訓練場だった。
ライカは分厚く重ねた上着を脱がされ、薄着姿で走らされた。
「遅い」
ネイゼンの罵倒が降り注ぐ。
ライカは少し走っただけで息が上がり、横腹が痛んでいた。
速度まで期待されても応えられそうにない。
――女だってばれないよね?
何せ体力も筋力も人並み以下なのだ。
男の体ではないと不審がられるかもしれない。
武芸の達人であるゼナイとネイゼンに違和感を抱かせないか。ライカはそれだけが心配だった。
「何者かに襲われた時、足で逃げるのは基本中の基本だが……」
さっそくゼナイが困惑した声を上げる。
それほどまでに遅かったからだ。
「すみません。小さい頃から体が弱くて」
セイランによると、ライカは昔からよく寝込む子どもで、同じ年頃の少女と比べても体力がつかなかったらしい。
「そうやって甘ったれているから弱いままなんだ」
ネイゼンの言葉が遠慮なく突き立てられる。
しかし、両親は少し過保護なところがあるとライカも思っていた。
容赦はないが、ネイゼンの言うことにも理はあった。
「次は剣を構えてみろ」
渡されたのは木でできた模造の剣だった。重みはあるが真剣ほどではない。
ライカは恐る恐る構えをとった。
「なんだその弛んだ姿勢は……!?」
端正な顔が一瞬で怒りに満ちた表情に変わった。
ライカの口から短く悲鳴がもれる。
ライカは貴族の子息に扮するために、必要な剣技を父であるロウザから教わっていた。
けれどそれは、幼い頃の話だ。
ライカが成長し、ロウザとの仲が気まずくなると、その訓練はなくなった。
勉強に没頭する彼女を、両親はそっとしておいたのだ。
「すみません……。
さすがに、どうにかしたいです……」
法律書を読み耽っていた自分を否定するわけではないが、他のことにも目を向ける必要性を今は感じていた。
――自分の身はできるだけ自分で守りたい。
それは、一朝一夕で身につくことではないとわかってはいたけれど。
ゼナイはそんなライカの考えを表情から察したのか、鋭い目をかすかに細める。
彼女に向かって手のひらを向け、彼にしては柔らかい声で慰めた。
「焦らず、少しずつやっていけばいいさ。
――ほら、剣を貸せ」
彼はライカから木剣を受け取り、持ち方を示してみせた。
シルヴィス騎士団団長を務めるだけあり、その構えは素人目にも風格を感じた。
「こうですか?」
再び木剣を手にすると、ライカはゼナイがやっていた通りに構えてみた。
「ほう」
その様子を見てネイゼンは感心したような声を上げた。
どうやら悪くなかったらしい。
「見本が良かったな」
その言葉に安心したのも束の間、その後は立て続けに素振りをさせられ、その度にネイゼンから罵声が飛んだ。
「あれ、知らない子がいる」
ライカがようやく手を止められたのは、彼女が訓練場に登場したおかげだった。
すらりと背の高いその少女は、燃えるような赤い髪をしており、それは側に立ったゼナイを彷彿とさせるものだった。
「お前か、レーネ」
「なんで兄さんがいるの?」
少女は嫌そうに顔を顰めた。
「紹介する。俺の妹のレーネ・シルヴィスだ」
「よろしくね!」
ゼナイがそう言うと、少女は右手を上げてにこりと快活に笑った。
ライカも彼女に向き合い、挨拶を交わす。
「初めまして、シルヴィス侯爵令嬢。
私はライカネル・クラシェイドです」
ライカはぺこりとお辞儀をした。
そんな生真面目な態度を見てレーネは大きな声で笑った。
「レーネでいいよ! ライカネル!」
「そうですか?」
ライカはちらりとゼナイを見た。彼は特に何も言わない。
おそらくこれが彼女たちの通常なのだ。
「ではレーネと呼ばせてもらいますね」
「そうして!」
レーネは初めて目にする性格の少女だ。
およそ貴族の令嬢らしからぬ態度だが、ライカには好ましく感じられた。
「ねぇ、ライカネル。私と手合わせしない?」
「えぇっ!?」
レーネの突然の提案にライカは驚いて一歩後ずさる。
冗談だと思い、ライカよりも少しだけ高い位置にある少女の顔に視線を向けたが、そこにある目は本気だった。
「相手にならんだろう」
ネイゼンが冷たい声で切り捨てる。
「レーネはその辺の子息より余程強い」
それは褒め言葉だったが、レーネは不満そうに眉根を寄せた。
「子息って何です? 騎士よりって言ってくださりません?」
レーネは腕を組んで首を斜めに持ち上げ、王子であるネイゼンを下から睨んだ。
「……レーネ」
ゼナイが素早く嗜める。
レーネはふんと鼻を鳴らすと、ライカの手を取り、訓練場の中央に誘った。
「ゼナイ兄さん、審判よろしく!」
ライカが断る隙も与えず、レーネは剣を構えて向き合った。
狼狽えるライカは助けを求めてゼナイに目を遣る。
彼は止めようと手を伸ばしかけたが、それは宙でぴたりと留まり、少し迷った挙句、なぜか引っ込められた。
「――わかった」
困惑するライカを横目に、ゼナイは二人の間に立った。
◇
「構えろ」
ゼナイは戸惑うライカにそう告げた。
彼女は言われるがまま、つい先ほど習ったばかりの構えをとる。
目の前で、鏡写しのように同じ構えをレーネもしている。
――殿下の言う通り、相手になんて……。
そうこう考えている間に、レーネの木剣がライカのこめかみを掠める。
様子を見るようなゆったりとした突きであったため、なんとか避けることができた。
「ぼんやりするな」
ゼナイの声にライカは集中することに決めた。
どうやら試合は止まってくれないらしい。
ならば諦めて、できる限りを尽くすしかない。
「行くよ!」
レーネは上から大きく木剣を振り下ろした。
ライカは横に飛び退け回避する。
そんな彼女にレーネは次々と剣を振りかざす。
そのどれもが手加減されたもので、ライカにも避けることができたが、訓練場の中央から追い詰められていき、いつの間にか大きく後退していた。
「避けてばかりじゃ試合にならないよ!」
レーネの剣捌きは次第に速さと強さが増していく。
とてもライカでは受け止めることができそうにもなかった。
――差がありすぎる。
レーネは背が高い分、横には細かった。
けれど、構えや動きに迷いがなく、地道な訓練の成果が窺えた。
そんな彼女にライカが勝てるとは思えない。
――でも、ゼナイは止めなかった。
何か意味があるのだ。
ライカはレーネの剣を避けながら思考を巡らせた。
相手は今、先制攻撃をしている。
法律で言うならば立証である。裁判で訴える際、証拠立てをする立場に回ったのだ。
培った経験と訓練の成果により、勝利を証明しようとしている。
――だったら、私は反証。
立証に対し、反撃する立場だ。
それは、相手が示した勝つための筋書きを覆す反論を提示しなくてはならない立場だった。
ならば探さなくてはならない。
反論を、反撃する材料を。
――レーネの動きは大振りだ。
汗だくになりながら彼女を観察しているうちに、あることに気が付いた。
細くしなやかな体付きにそぐわず、レーネは力強く剣を捌くのだ。
まるで屈強な男と張り合うかのように。
そのせいか、動きも限られたパターンしかないように見える。
――なんとかなるかもしれない……。
ライカは木剣を握り直すと、軸がぶれないように構えた。
今までとは違う雰囲気にレーネも一瞬、動きを止める。
「何かする気ね?」
レーネが好奇心を刺激されたように、口の端を持ち上げる。
「やってご覧!」
試すような一突きが眼前に迫り、ライカはぎりぎりで横に避ける。
レーネはすぐに体勢を整えると木剣を横に払った。
――今だ……!
ライカは木剣を体の横に真っ直ぐ立てた。
がつん、と乾いた音を立て、剣と剣がぶつかる音が訓練場に響く。
この試合で初めてライカは相手の剣を受けたのだ。
彼女にとっては予測できた事態であったが、そうではないレーネは少し驚いたような表情を浮かべている。
「やるじゃん」
けれど怯むことなく、レーネは次の攻撃に移る。
上段から斜め下に斬り込むつもりだ。
ライカはぎこちない構えをとりながら、必死でレーネの動きを見極める。
頭上に持ち上げられた剣を目で追いながら受ける素振りを見せると、レーネは予想通り一気に剣を振り下ろした。
ライカはぎりぎりでその剣を躱す。
頬を風が撫でた。
――この後、真横に剣が薙ぎ払われる。
いくつかあるレーネの動きのひとつだった。
そして、この上段から下への斜め斬りから、真横への一撃――技から技へと移行するその間、レーネにはわずかに隙があった。
彼女は、振り下ろした大振りの剣の威力を抑制しきれていないのだ。
――今だ……!
ライカはレーネが真横へと剣を薙ぎ払おうと構えをとったその瞬間に、剣を振り下ろす。
レーネの目が大きく見開かれた。
彼女はとっさの判断で後ろに下がるが、体勢は大きく崩れてしまっていた。
すでに構えがとれなくなったレーネに向かって、ライカは剣を突きつける。
「そこまで!」
ゼナイの声が二人を制止させた。
ライカは木剣をすぐさま引っ込めた。
「ええ〜、負けたの? アタシ」
レーネは剣の先を地面に突き立て、がくりと肩を落とした。
「レーネの攻撃、つまり勝利へ証明を反証させていただきました」
細い体で使う大振りの剣技。
それをライカは否定した。
「たまたま上手くいっただけですが……」
実力はレーネの方が明らかに上だった。
それでもライカが勝てたのは、彼女が手加減していたのと、実践ではおよそ使えそうもない手を使ったからだ。
「いや、勝ちは勝ちだ」
ゼナイがライカの肩をぽんと叩いた。
「レーネの隙を見つけて、ライカネルはそこを突いた」
兄の言葉にレーネは頬を膨らませる。
「型を変えろっていうの?」
やはりレーネは大振りの力強い動きに拘っていたようだ。
例えそれが彼女に合っていないとしても。
「こんな素人にもやられたんだぞ?」
「でも……」
レーネはちらりとライカを見た。
背が低く、自分よりも細い年下の子どもが息を切らして立っている。
「そうするしかないのかもね……」
息一つ上がっていないレーネを見て、ライカは申し訳ない気持ちになってくる。
ライカはレーネの剣技を否定してしまった。
それは、模擬戦で勝つためだけに行なったことだ。
だからこそ、このままで良いとは思えなかった。
「レーネは強くなりたいのですか?」
「それは、もちろん」
子息ではなく騎士よりも強いと言われたいのだ。当然そうだろう。
けれどその奥にある真意は何か。ライカは彼女の目を見つめた。
「何のためにですか?」
「それは……」
レーネは何かを考えるように下を向いた。
上手く言葉にできないだけで、彼女なりの理由があるようだ。
侯爵令嬢という貴い身分でありながら、レーネは剣を握っている。
きっとそこには強い意志があるはずなのだ。
「そうね。目的に合った型を身に付けたらいいのよね」
暗く翳ったレーネの顔が、元の天真爛漫な明るさを取り戻す。
「兄さん、アタシ、もうちょっと考えるわ」
そう告げられ、ゼナイは残念そうな顔をしながらも頷いた。
光差す訓練場に並び立つ赤い髪の兄妹は、仲良く笑っている。
ライカは眩しそうに二人を見つめた。
「続きを始めるぞ」
ネイゼンが再開を促した。
相変わらず、その口調には温かみがない。
「次は護身術だ」
「まだやるんですか……?」
ライカはいまだに息が整っていなかった。
けれどその不満は軽く聞き流される。
ネイゼンはレーネにちらりと視線を送った。
「レーネもおさらいしておけ」
「アタシはいいですよ」
面倒な顔をして逃げ出そうとした彼女の首根っこをゼナイが掴む。
「まずは背後からナイフを突き立てられた時の躱し方からだな」
そう言うゼナイはどこか楽しげである。
冷たい表情を貼り付けたネイゼンとは対照的だった。




