銀杯の役目
ネイゼンの黒い瞳がライカの姿を捉えている。
膝をつき、肩を震わせる姿を目にしても、彼は慰めるようなことはしなかった。
「五大貴族は国王から特権を象徴する宝物を下賜されているな?」
「はい」
<王国の天秤>はその名の通り天秤で、厳重にクラシェイドの屋敷に保管されている。
「<王国の長剣>は剣。<王国の甲冑>は兜。<王国の車輪>は車輪。そして――……」
ネイゼンは一段と声を潜めた。
「<王国の薬杯>は〝銀杯〟だ」
ライカは息を飲んだ。
セイランが避けるように言っていたフォルスの名が、立ち塞がるように登場したからだ。
「過剰な薬が毒となるように、フォルスには裏の顔がある」
ぴりぴりとした空気がネイゼンから放たれる。
静かだが、どこか怒りを含むような声色だった。
「王国に仇なす者を毒によって粛清するという顔がな」
ライカは目を見開き、体を硬直させる。
窓から明るい光が降り注ぐが、部屋にいる三人は夜に浸かってしまったかのように暗い気持ちに包まれていた。
「その際に使用されるのが、<王国の薬杯>に下賜された宝物〝銀杯〟だ」
思考は止まり、ネイゼンの言葉だけが耳を通り過ぎた。
そんなライカを見つめながら、ネイゼンは淡々と告げる。
「〝銀杯〟を渡されること。
――それはつまり、王国の敵であるということ」
耳を塞ぎ、目を瞑ってしまいたいと思った。
けれどライカは耳を澄まし、ネイゼンの目を凝視していた。
「祖父である先代国王陛下は〝銀杯〟を渡されたとされている。
賢明なる王であったが晩年は心を病み、政治的腐敗を招いたからだ」
先代国王・ラウドニウドは公には病死したことになっている。五十にも届いておらず、早すぎる死だった。
ライカは震える声で尋ねた。
「それは……飲まないといけないのですか……?」
「飲まなければ他の方法で殺すまでだ。フォルスなら可能だろう」
耳を疑うような言葉だった。
けれど、ネイゼンははっきりと言い切った。
当主であるロゼスタがユイレンの伯父であるように、フォルスは代々王室と関係が深い。
いくら人の良さそうな表情を浮かべようとも、その瞼の奥の瞳がどんな色を湛えているのかわからないのだ。
俯くライカをネイゼンは黒い瞳で見つめながら、抑揚のない口調で続ける。
「どの道、フォルスに殺される。
――ならば、渡された〝銀杯〟の毒を飲み、自ら引導を渡すことが最後の名誉なのだ」
「そんな……」
ライカは愕然とした表情を浮かべたまま、あの夜の自分のことを思った。
部屋の机に置かれた〝銀杯〟を見て、どんな気持ちになったのだろうか。
すぐにその意味を理解し、絶望したに違いない。
「私は……そこまで酷いことをしたのでしょうか……?」
頭を押さえながら、ライカは呟くように声をもらした。
バーマンに襲われて殺されそうになったことよりも、王国の敵として粛清されそうになったその事実の方が、遥かに心を締めつけた。
「<王国の天秤>として上手く立ち回れていなかったかもしれません。それでも……!」
そんなライカを、ゼナイが宥める。
「落ち着け、ライカネル」
少女の小さな肩に、青年の大きな手が触れる。
柔らかな温もりは、それだけで心の安定を思い出させた。
「まだフォルスの〝銀杯〟と決まったわけじゃない」
肩に置いたゼナイの手に力が込められる。
冷えた体に伝わる熱を感じながら、息を深く吸う。
乱れた鼓動が徐々に一定の音を刻み始める。
冷静になったライカは、ようやく頭を働かせる。
「……フォルス伯爵ならばネイゼン第二王子殿下の生誕祭で私を殺そうとはしない、ということですか?」
「そうだ」
ゼナイが大きく頷いた。
いつもの調子に戻ったライカを見て、青年は安堵したように目を細めた。
「ロゼスタはユイレン第一王子殿下の伯父で、もちろんユイレン殿下を支持している。
だが、<王国の薬杯>の目指すところは〝繁栄〟。
――つまり、ネイのことも尊重する立場だ」
この国に王子がたくさんいれば話が変わってくるかもしれないが、二人しかいないのだ。
ユイレンに何かあった場合、残るネイゼンが王位に就くより他にはない。
そんな彼をロゼスタが蔑ろにはしないと考えるのが妥当だった。
「〝銀杯〟は偽物で、他に犯人がいるということですか?」
「そうだ」
ライカは考える。
ゼナイの言う通り、その方が納得がいくように思われた。
けれどそうなると犯人について心当たりが一つなくなる。
「バーマン・セングに襲撃を命じた指示者、宝石店の強盗をけしかけた計画者、
そして〝銀杯〟を寄越した犯人を突き止めねばならんのか」
やれやれと言うように、ネイゼンはため息を吐いた。
少なくとも、バーマンに指示した者と〝銀杯〟の偽物を用意した者に関しては別の犯人だと考えられるが、宝石強盗との関係性はよくわからない。
同一人物が控えているのか、あるいは別の存在によるものなのか。
――少なくとも二人、計画犯がいる。
〝銀杯〟を用いてライカを殺害しようとしたところに、バーマンが襲撃してしまったと推測すべきだろう。
けれど、やはり犯人に繋がる情報はどこにもない。
ただ、〝銀杯〟という道具を用い、ライカネルを暗殺しようとしたことだけが今回得た手がかりだ。
考えだしたライカをゼナイは心配そうに見下ろした。
「酷い顔だ。少し休ませてもらったらどうだ?」
「ありがとうございます、ゼナイ」
ライカの体はいまだに震えが残っていた。
そんな彼女にゼナイは手を差し伸べ、立ち上がらせようとした。
「――なんだその様は」
けれど冷たい声が突き立てられる。
見上げるとネイゼンが腕を組んでライカを睨んでいた。
「いつもそんな風にメソメソして慰めてもらっているのか?
一人で立ち上がったらどうだ?」
「え……?」
上から放たれた言葉は矢のように刺々しく、淡々とライカを責め立てる。
「伯爵位を持ちながら、とんだ軟弱者だな。
今回の件は起こるべくして起きたのだ。
――こんなことで王国の安定が図れると思うのか?」
ネイゼンはゼナイを押し退けると、首をくいと持ち上げ、自分で立つように促した。
その勢いに負けたライカは静々と体を起こし、目を伏せたままネイゼンの前に立った。
「どうも鍛え方が足らんと見える。
――今から訓練場に来い」
ネイゼンはくるりと背を向け、すたすたと歩き始める。向かう先は、おそらく訓練場。
その背は彼の父・ナザリウスと重なって見えた。
「え……?」
目をきょとんと丸め、ライカはその背について行くしかなかった。




