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ステンドグラスの礼拝堂

 連日の雨が嘘のように、雲一つない晴天が広がっていた。

 ライカは玄関の扉をくぐると、眩しそうに目を細める。


「本当に行くのですか?」


 見送りに来たセイランは、不安そうな顔をしてライカを見つめた。


「ネイゼン第二王子殿下との約束ですから」


 彼女はこれから、一度襲われたことのあるラカート宮殿に赴く予定だった。

 ネイゼンの生誕祭が開催された宮殿である。

 ルーフ・シェリス宝石店の件もあり、セイランはライカの外出を何度も引き止めた。


「犯人の目的は私を孤立させることです。

 だから、積極的に外に出ようと思います」


 そう説得されてセイランは渋々頷いた。

 母のことを思うと心が痛むが、ライカは事件を解決するためにも、記憶を取り戻す必要を強く感じていた。

 記憶を失った場所であるラカート宮殿に行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれないのだ。


「ゼナイが来てくれるので大丈夫ですよ」

「シルヴィス侯爵は本当に頼りになりますね。お忙しいでしょうに」


 今は戦争がないため、ゼナイが団長を務めるシルヴィス騎士団は演習ばかり行っているという。

 けれど、侯爵としての仕事を考えれば、彼はここまでライカに協力している余裕はないはずだ。

 感謝をしても足りなかった。


「あ、ゼナイが到着しました」


 普段は馬に直接乗って移動する彼も、ライカと行動する際は馬車を用意してくれるのだ。

 ライカはゼナイの元に駆け寄り、笑顔を浮かべた。


「おはようございます、ゼナイ」

「息子をよろしくお願いいたしますね」


 娘の後ろでセイランは頭を下げた。

 赤い髪の男は心配そうなセイランの表情に気がつくと、彼女を安心させるように頬の筋肉を緩めた。


「自分がいるので、どうぞご心配なく」


 彼はこれでもまだ十八歳であり、少年を過ぎたばかりの年齢だ。

 けれども、シルヴィス騎士団を指揮し、<王国の長剣>の特権を担うゼナイは、実際より何歳も年上の大人に見えた。


「それでは行ってきます」

「気をつけてくださいね、ライカ」


 そう言って手を振るセイランの腕には、雫が連なったような淡く繊細なブレスレットが、朝日を反射して輝いていた。




 ◇




「ようやく来たか」


 開口一番、第二王子はそう言い放つ。

 腕を組んでライカを見下ろす瞳は冷たく、黒い長髪も相まり、これでもかと言わんばかりに威圧的であった。


 宵闇を切り取ったかのような男――ネイゼンはユイレンとは真逆の風格がある。

 ゼナイとは従兄弟にあたる彼は、剣が得意な騎士然とした青年だった。


「事件の後、何もお返事ができず……」

「そんなことはどうでも良い」


 ネイゼンはばっさりと切り捨てた。

 そして、かつかつと靴の音を廊下に響かせながら、彼はライカの眼前に近寄った。


「何か思い出したか?」

「……」


 依然、事件に関する記憶は失ったままだ。

 ネイゼンの生誕祭に水を差した犯人に繋がるようなことは何一つ思い出せていない。


「宮殿で私を襲ったという男――」

「そいつの話なら聞いている」


 唯一伝えられそうだった情報を、ネイゼンはすでに耳にしていたようだ。

 ライカは小さく肩を落とした。


「指示者の方に目星はついていないのか?」

「それは……」


 ライカは口籠る。

 バーマン・セングにライカの暗殺を指示した計画犯は誰なのか。

 断定できる要素は何一つなかった。


「<王国の天秤>の特権を狙う上位貴族の仕業ではないかと考えています」


 それはあくまで推測だった。

 ライカが死んだところで、その特権がどうなるかはわからないからだ。


「爵位からするとコンザール、ケインズ、ヴィンス、ジゼル……」


 ネイゼンが躊躇いもなく名前を列挙し始めたので、ライカとゼナイは慌てて止める。


「いけません、ネイゼン第二王子殿下!」

「まだそうと決まったわけじゃないだろう!」


 ネイゼンは舌打ちをすると、ライカを上から睨む。

 いや、実際には見つめただけなのかもしれないが、とにかく彼女にはそう感じられた。


「もしかするとですが、それとは違う理由で私を殺害しようとしたのかもしれません」


 ルーフ・シェリス宝石店でライカが何気なく口にした推測だ。

 〝選王会議〟開催の特権を持つ彼女を殺害し、王位継承問題を混乱させるという目論見。

 それは、<王国の天秤>を亡き者にすれば、自然と起こり得る計画だ。

 そのことを伝えると、ネイゼンたちは顔を見合わせた。


「王位継承問題を混乱させるだと?」

「ネイやユイレン第一王子殿下ではないな」


 順当にいけば第一王子であるユイレンが王位に就く可能性が高く、ライカを殺害する動機はなかった。

 かと言ってネイゼンである可能性も低い。

 彼が犯人ならば、自分の生誕祭でそんな事件は起こさないからだ。


「誰かはわかりませんが、この国のためにはならない人物だと思います」


 〝均衡〟を目指す<王国の天秤>の命を狙うのだ。

 そのような者が王国の安定を望むだろうか。

 周りがどうなっても構わない。

 そんな、身勝手な考えを感じた。


「どちらにせよ、手がかりはお前だということだ。

 ――ここに来たからには思い出せ」

「えっ……?」


 ライカは驚いて目を丸める。

 そんな無茶な要求を突きつけられるとは思っていなかったのだ。


「あの夜、貴様はどういうわけか会場から抜け出し、かつて礼拝堂として使われていたこの部屋まで来た」


 ネイゼンが指差した先には小さな扉があった。

 二人の兵士が左右に分かれて警備している。


「入れ」


 壁の一面を飾るステンドグラスが目に入る。

 どこか懐かしいその景色に、ライカは思わず息を飲んだ。


「ここで私は……」


 日差しが溢れる小部屋には、ステンドグラスを通して色とりどりの光が波のように揺れていた。

 けれど、ライカの目には暗い夜の景色が重なった。

 日差しは月光に、部屋は暗く、波が星のように煌めいている。


――これは、過去の記憶……?


 ぼんやりとした頭でその景色をたどる。

 部屋には細長い机が均等に配置されており、その一つに何かが載っていた。

 それは小さな銀色の杯だった。


 ライカの頭に痛みが走る。


 重く鈍いその痛みは、まるでかつての自分――ライカネルが受けた心の衝撃のようだった。

 知らぬ間に涙が目に浮かんでいた。


――どうして、これを見た途端……。


 手はその杯に伸び、冷えた感触が伝わってくる。

 中には透明な液体が入っていた。

 表面はライカネルの心情を表すようにガタガタと震え、波打っている。


 そこに映る紫の瞳。

 絶望したように歪んでいた。


――ライカネル……。


 暗く深い感情に包まれていた。


――きっとこの杯の中身は良くない物だ。


 けれど、杯は少しずつ自分の方へと近づく。

 ライカネルが中の液体を飲もうとしていた。


――どうして?


 唇に触れそうな程、杯は間近に迫る。

 その時、ふいに視界が揺れた。

 ライカネルが振り向いたのだ。


 杯が手から落ち、中の液体が床に溢れる。


 目の前で何かが掠めた。

 それが剣の切っ先であると気づいた瞬間にはもう、体は床に押し倒され、次の大振りが迫っていた。


――セングさん……!?


 剣を持った男の顔を見てライカは驚く。

 そこでようやく、これが記憶を失う直前の出来事であることに気づいた。


「ライカネル!」


 耳元で誰かの呼び声が聞こえる。

 それは何度もこちらに向かって発せられている。


「ゼナイ……」


 それがゼナイの声であると認識できた頃、ライカは強ばっていた体の力をようやく抜いた。

 全身に汗をかき、体は小刻みに震えている。

 ついた膝は床から離れない。

 重なっていた景色はもう、見えなくなっていた。


「大丈夫か、ライカネル?」

「少し思い出しました……襲われた時のことを……」


 ライカは今見た記憶を二人に話す。

 犯人に繋がることは何もないと思いながらも。

 けれど二人は口を止め、ただじっとライカを見た。

 急に重くなった部屋の空気に、彼女は一人戸惑った。


 やがてネイゼンが吐き捨てるように口を開く。


「銀色の杯、か……」


 感情を無理やり押さえつけるような口調で、忌々しそうにこぼした。


「――ネイ」


 ゼナイが小さく嗜める。


「銀色の杯がどうかしましたか……?」


 ただならぬ二人の様子に、ライカは戸惑うような視線を向ける。

 ネイゼンは淡々とした口調のまま告げた。


「それは〝銀杯〟かもしれん」

「〝銀杯〟……?」


 そう尋ねたライカの言葉に、ゼナイとネイゼンは黙って顔を見合わせる。

 お互いに何かを言おうとして、探っているような表情だ。


「〝銀杯〟とは何ですか?」


 沈黙を破るようにライカは再び尋ねた。


 ネイゼンは兵士たちを下がらせ、ライカを見下ろす。

 夜のように黒い瞳に映るライカの姿はどこか不気味だった。

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