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祖父の裁判と王子の証言

 書斎の椅子に座り、ライカは天秤を見つめていた。

 それは台座のついた希少な天秤だった。

 手に持って吊り下げるのではなく、こうして机の上に置いて物の重さを量ることができる代物だ。


 ライカは左の皿に指をかける。

 左右の皿は大きく揺れながら、上下に浮いては沈んだ。

 やがてその揺れも小さくなり、均衡へと向かう。

 左右の皿が釣り合うと、天秤は動きを止めた。


――私には〝選王会議〟を開く資格がない。


 それはナザリウスに言われたことだ。

 ライカはその意味をあれから考えていた。


――後継者を選んだ後、何を成したいのか。

 その展望が私にはないからだろうか……?


 おそらく、他の〝特権〟たちにはそれがある。

 当主として運命づけられた立場でありながら、己の目的を持って生きている。


――ゼナイからは特にそれを感じた。


 戦争中でもないのに、死ぬ気でいる彼の言動。

 やるべきことを見つけている者の覚悟があった。


――お祖父様はどうだったんだろうか。


 亡くなった祖父、ケオニールのことを考えた。

 先代<王国の天秤>であった彼のことを。


 背が高く、肩幅の広い老人だった。

 何も知らない人なら、セイランではなくロウザと血が繋がっていたと思うだろう。

 あまり笑わないせいで、どこか話しかけにくいところがあった。

 しかし、セイランに内緒でぶどうジュースを飲ませてくれるようなところもあり、幼いライカはそれがささやかな楽しみだった。


――あの後、決まって体調を崩したのだけど。


 ライカはくすりと笑った。

 ケオニールは、尊敬していた父・イドルが編纂した『エルドガール法大全』を遵守していた裁判官だった。

 けれど、誰よりも法律が完全でないことを知っていた人物でもある。


 法律書は全てを網羅していない。


 それが祖父の考えだった。

 だから、裁判官の自分が必要なのだと。


――あれは、そんなお祖父様の考えを象徴するような裁判だった。


 ライカが生まれる前に起きた事件の裁判である。

 母から聞いたその話を、ライカは静かに思い出した。




 ◇




「――そこで私はヴァレンス伯爵に〝うさぎにでもペンを取らせた方が領地民も顔を綻ばせましょう〟と嘲弄されたのです」


 証言台に立つのは、三十代前半の背筋が伸びた男性、カリヴェル伯爵ラザール・エルヴァルトだった。

 法廷に響く声は少し震えており、怒りと不安が混ざっている。

 目線はどこかすがるように恰幅の良い老人――ケオニール・クラシェイドに向いていた。


 主座に就いたケオニールはラザールの証言を聞き終わると、今度はもう一人の男性に発言を促した。


「その発言に間違いありません。けれど、ほんの軽口です。

 侮辱というほどのことでしょうか?」


 そう反論するのは、ヴァレンス伯爵イリディアン・ダルクメルだ。

 彼は四十に差し掛かった中年の男性だ。

 どこか焦りはあるものの、ラザールよりは落ち着いているように見える。


 今回の裁判で問題となっているのは、モルデンフェル侯爵が開いた個人的な晩餐会で、イリディアンがラザールを馬鹿にする発言をしたが、それが侮辱罪に抵触するかどうかだ。

 ケオニールは一つの条文を頭の中に思い浮かべた。


――『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第1章第42条、

 貴族に対し、公然とその名誉を毀損、あるいは侮辱した者は、相応の刑罰に処す。


 条文にはそう記されているが、実際の事件で適用するかどうか、その線引きは裁判官の判断に委ねられている。


 皺の入った顔は感情を抜き去ったように無表情で、何を考えているのか傍聴席に座っている者たちにはわからなかった。

 ただ淡々とケオニールはやるべきことを進める。


「ヴァレンス伯爵の発言が冗談にもとれる内容であったこと、場所がモルデンフェル侯爵の開催した小規模な晩餐会で耳に入れる者が少なかったことから、その罪は軽微と言わざるを得ない」


 裁判長である彼の言葉にイリディアンが表情を緩める。


「しかし……」


 ケオニールは続きを付け足した。


「今回の件はそれだけでは収まらぬ特殊な状況であったと思われる」


 その言葉が終わると同時に、傍聴席から一人の青年が立ち上がる。

 朱が交じった黄金の髪と瞳。

 美しく整った顔。

 何故、そこに座っていたことに今の今まで気がつかなかったのか不思議なくらいだ。


「ルーカディアス第二王子殿下……!」


 傍聴席の人々はその存在感に息を飲む。

 彼は椅子から離れ、ゆったりとした足取りで証言台まで歩いた。

 護衛が一人、足音も立てずに後を追う。


 ルーカディアスの堂々とした、けれど流れるような優雅な所作は、見る者の目を釘付けにする。

 証言台に立つと、ルーカディアスはその顔に見合った中性的な声を発した。


「証言しよう。モルデンフェル侯爵の晩餐会に私も参加しており、ヴァレンス伯爵がカリヴェル伯爵を侮辱したところを目撃したと」


 静まり返る法廷。

 それはルーカディアスの存在感によるものだった。

 彼の声は恐ろしくよく通り、法廷の隅々にまで届いていた。

 それは人々の耳の奥底を撫で、彼の言うことこそが真実であると囁いた。


「ありがとうございました、ルーカディアス第二王子殿下」


 どこかうっとりとした表情を浮かべる傍聴席の観衆を正すように、ケオニールは威厳のある声でルーカディアスを下がらせた。

 ルーカディアスは再び、ゆったりとした足取りで元いた席へと戻った。椅子に座った彼には存在感が残ったままだ。


 そんな王子に向けて、遠くからイリディアンが手を伸ばし、口をぱくぱくと動かしていた。

 何かを訴えかけるように。

 ルーカディアスに証言をされ焦ったのだろう。

 そう判断したケオニールは視線を前に戻し、傍聴席に語りかける。


「モルデンフェル侯爵の晩餐会にはルーカディアス第二王子殿下もご列席されており、その御前でヴァレンス伯爵は件の発言をしたのだ」


 王族の前での嘲弄。それは貴族にとってこの上もない恥辱である。


「影響力の多大な王族の前で侮辱したとなると、その公然性も認められよう」


 晩餐会を開催したモルデンフェル侯爵ではなく、ルーカディアスが証人として現れたということは、すでに公的記録にイリディアンの発言が残ったということだ。

 それは何よりも公然性を明白にする証だった。

 ケオニールは青ざめた顔をするイリディアンに向かって、淡々と言うべき言葉を告げた。


「公然とした侮辱。

 これは『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第1章第42条に抵触する」


 判決には責任が伴う。だが、彼が躊躇うことはない。


「よってヴァレンス伯爵イリディアン・ダルクメルに公式の謝罪を命じ、半年間、王族の催しへの出席を禁ず。

 また、一年間、その爵位を停止する。

 期間中はそれに伴う権利、義務を行使してはならない」


 ケオニールが判決を言い終わると、イリディアンはその場に膝から崩れ落ちる。

 それは、貴族としては致命的な、あまりにも重たい罰だった。


 法廷は静かなまま、誰も口を開かない。

 イリディアンに同情する者、自戒する者、ただただケオニールを恐れる者と様々だ。


「これにて閉廷する」


 木槌の音が大きく響く。




 ◇




 条文には全ての条件が記されていない。

 だから、それを補完するのが裁判官の役目だ。


――お祖父様は実現されていた。


 ライカはそんな彼に深く憧憬の念を抱いていた。

 彼女がこんなにも頑張ってこれたのは、ケオニールの存在があってこそだ。


――でも、法律を大切にされていたあの人が、どうして私に男装をさせたのだろう?


 ライカは動きを止めた天秤を見つめながら、首を傾げた。

 孫娘を男と偽らせるくらいなら、たとえ素質がなくても、ロウザに譲った方が良かったのではないだろうか。


――もしかして、何か法的な抜け道がある……?


 男装をしていてもライカが罪に問われない道が。

 そう考えて、思わず首を横に振った。

 それはあまりにも自分に都合が良い解釈だったからだ。


――どんな理由があっても、王国を裏切っていることに変わりはない。


 それでも、ネイゼンの生誕祭でライカは変わった。

 彼女を救ったゼナイの、彼が持つ鮮烈な赤が頭の靄を取り除いたから。


――いつか、この罪が裁かれる日が来るとしても。


 不思議と恐ろしくはなかった。

 それ程までに、ライカは変わっていた。

 以前の怯える彼女ではなくなっていた。


――それでも私は……。


 このままで生きていたいのだと思った。

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