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王宮の診察

 長い廊下に足音が響く。

 ライカとゼナイ、そして案内役の衛兵のものだ。王宮の回廊は天井が高く、音がうるさいほど反響した。


 王宮に参上せよとの通達があったのは三日前。

 ゼナイの用意した馬車に乗せられ、こうして宮中へ足を踏み入れることとなった。塵ひとつない回廊を歩くライカの足取りはおぼつかない。

 それも仕方のないことだ。国王・ナザリウスに呼ばれたのだから。


――選王会議を開けるかもしれない。


 しかし、あの苛烈な国王がそう簡単に許すだろうか。

 普段は淡々と業務を行う人物だったが、その判断は過激そのもの。一度必要と思われたが最後、高貴な貴族であろうと断罪は免れない。これが、エルドガールに公爵が一人となった理由である。

 ライカは不安で胸が押しつぶされそうだった。


「こちらでございます」


 衛兵が示したのは、大きな扉のある部屋だった。軋む音一つ立てずに、扉はゆっくりと開けられた。

 長い机が目に入る。いくつもの椅子が囲むように並んでいる。その内の一つに男が座っていた。


「やぁ、こんにちは」


 曇った空のようなくすんだ灰色の髪に、糸のように細められた目。そして、微笑む一歩手前の柔らかな表情を浮かべていた。

 角ばったところはあるものの、全体的にしなやかな輪郭をしており、ゼナイとは違った魅力のある端正な顔だ。


――陛下じゃない……?


 困惑するライカの後ろで、扉がそそくさと閉まった。部屋にはライカとゼナイ、そして灰色の髪の男の三人だけとなった。


「驚かせてすみません」


 彼はロゼスタ・フォルス。五大特権の一つ、<王国の薬杯>を持つ男だった。彼の家門は代々、王族の健康管理と記録を担っており、王室の内情に通じている。

 歳はロウザやセイランと同じくらいのはずだが、どういうわけか二十代に見えなくもなかった。


「……こんにちは、フォルス伯爵」


 ライカは動揺を隠すように頭を下げた。どこか気まずい空気が流れるのは彼女のせいだ。


――フォルスとは関わっちゃいけなかったのに。


 それはセイランに言い含められていたことだった。詳しいことは知らないが、フォルスとクラシェイドは折り合いが悪いらしく、目を合わせて会話をするなと注意されていた。


「すまん」


 ゼナイが軽い口調で謝った。どうやら彼も最初からライカをロゼスタに会わせる気だったらしい。


「どういうことです?」

「こうでもしないと診察させないだろう?」


 ライカは首を傾げた。診察ならもう何度も受けていたのだ。ネイゼンの生誕祭で打ち付けた頭の傷も、宝石強盗に負わされた顔の怪我もほとんど治っている。


「記憶喪失の方ですよ」


 穏やかに告げられたロゼスタの言葉に、ライカの顔がさあっと曇る。記憶喪失の件はできる限り秘密にしておきたかったからだ。

 けれどすでに国王の耳にも届き、ロゼスタを診察に回したと見るべきだ。


「それもすでに……」

「念のため診てもらえ。王国一の医者なんだ」


 ゼナイが嗜めるように言った。

 確かにロゼスタ・フォルスは王国きっての医者だった。

 医療の名門であるフォルスは、その後継者にも頭脳と技術を求めた。中でも、ロゼスタは歴代随一と呼ばれるほどの実力者だった。


「……わかりました」


 ライカは渋々頷いた。

 セイランがフォルスと距離を置こうとしているのは、娘の性別も理由の一つだろう。できる限り診察は短く済ませたいとライカは思った。


「緊張しないでください。いつも通り、ゆったりと」


 患者に語りかけるように、ロゼスタは穏やかな声色で囁くように言った。


「頭に怪我はありましたか?」

「はい。転んだ時に」


 ロゼスタの大きな手がライカの頭を撫でる。確認のためコブや傷を探しているのだ。


「もう治ってますね。――では、この指を見てください」


 彼は腰を曲げ、ライカと目線を合わせると、人差し指を真っ直ぐ上に立てた。

 左右に動かされる指を、ライカは静かに目で追った。指の向こうには細い目がこちらを見つめており、居心地の悪さを感じた。


「最後に、この手を握ってください」

「わかりました」


 ライカはおずおずとロゼスタの手を握った。がさがさと荒れた感触が指に伝わる。よく見ると白い手には、薬品のような染みが所々滲んでいた。


「もっと強くて大丈夫ですよ」


 遠慮がちに握っていた手に、ライカは力を込めた。


「はい、もういいですよ」


 ロゼスタの手が赤みを帯び始めた頃、彼はようやくライカを止めた。痛みがあったはずだが、表情には少しの乱れもない。


「左右の握る強さも問題ありません。――神経や運動に異常はないようですね」

「それは良かったです」


 彼の言葉にライカは安心したように頷いた。王国一の医者であるロゼスタの診断はやはり心強い。


「頭を打った衝撃で記憶を失くしたのでしょうが、何かのきっかけで思い出すかもしれません」

「家の医者も同じ判断です。それでよろしいかと」


 ぼろが出ないうちに切り上げたい。

 ライカが勝手に締めくくろうとしたその時、部屋にノックの音が響く。

 扉が開き、衛兵二人が現れる。部屋の中を見回し、何もないことを確認すると、彼らはさっと二手に分かれた。その奥から一人の男が前に出る。


――この方は……!


 その人物を目にして、ライカは息を飲んだ。

 衛兵の背後にいた男は、誰よりも煌びやかな服を纏い、日の光がなくてもきらきらと髪を輝かせていた。

 彼を見た瞬間、ライカは何者が入室したのかを理解したが、ゼナイやロゼスタのように頭を下げることはできなかった。


 国王・ナザリウス。 


 その存在があまりにも威圧的で、体が鉛のように固まってしまったのだ。まるで、日没へと傾きかけた日が最後に見せる最も熾烈な光のようだった。


「――ライカネル」


 ゼナイがライカの頭に手を回した。その時になってようやく、ライカは頭を下げて、臣下としての態度を表すことができた。


「事件の記憶が戻らないらしいな、ライカネル・クラシェイド」


 淡々とした声が頭上から降り注ぐ。熱がなく、無感情。そんな印象だ。 

 含みを持たせないように、あえて無駄を排除したその声は、遠い昔に聞いたような錯覚を起こす。


「それ以外は問題ないようです」


 ロゼスタの言葉に頷いて返すこともなく、ナザリウスはライカだけを見つめていた。

 その視線を感じ、彼女は身をすくめる。聞こえてしまっているのではないかと思うほど、心臓は高鳴っていた。


――言わないと。


 ここに来たのには目的があったはずだ。選王会議を開催することを国王に認めてもらうという目的が。


――体が動かない……。


 ライカは緊張のあまり、口が閉じたまま開かなかった。セイランに言い含められ、用意していたはずの言葉は全て頭から消し飛んでいた。


「そうか、わかった。なら良い」


 そうしている間にもナザリウスは三人に背を向け、用は終わったとばかりに部屋を出ようとしている。


――言うか、言わないか。


 ライカはその二択を頭に浮かべ、瞬時に選ぶ。


「お待ちください! ナザリウス国王陛下!」


 ナザリウスが足を止め、ゆっくりと振り向く。その顔にやはり表情はなく、けれど目だけは鋭くこちらを見据えていた。


「選王会議の開催を所望したく……」

「――またその話か」


 聞き飽きたとばかりにナザリウスは吐き捨てた。


「会う度に同じことを言う。――何度、断れば気が済むのだ」

「ですが、会議を開かねば……」

「お前にはまだ資格がない」


 ナザリウスの言葉に、ライカは口を止める。<王国の天秤>であるライカに、選王会議を開催する資格はあるはずだが、ナザリウスの言葉にはもっと別の意味が含まれているように思えた。


「貴様はなぜ、会議を開こうとする?」

「それは……」


 彼の問いかけにライカはいよいよ言葉に詰まる。改めて考えると、その根本的な質問に対する答えは持ち合わせていなかった。


――王国のため……?


 呆然とするライカに、ナザリウスは冷たい目のまま見下ろした。


「前のお前も駄目だったが、今のお前も駄目だ」


 それだけ言い捨てると、彼は再びライカに背を向けた。衛兵たちに囲まれながら部屋の外に出ていく国王を、ライカは止めることができず、黙って見送るより他にはなかった。


「ライカネル……」


 ゼナイは俯いて視線を下に落とすライカを見た。なんと声をかけて良いのか迷っているようだ。


「会議の許可は下りませんでしたが……」


 けれどライカの声は落ち込んではいなかった。


「大切なことを教えていただきました」


 ライカには選王会議を開く資格がないのだとわかった。なぜ開催すべきなのかという自分なりの意思がないことが問題なのだ。


「まずは記憶を取り戻し、事件を解決しようと思います」


 自分の身を守るために選王会議を開こうなどと、前提が間違っていたのだ。まずは己の身を最低限、保証できる人間にならねばならない。


「ああ、そうだな」


 ゼナイも大きく頷き、賛同した。


「ああ、そうだ。記憶のことなのですが……」


 前向きな気持ちになったライカに水を差すように、ロゼスタは目を細めながら言った。


「何か思い出したら教えていただけませんか?」


 瞼の奥の瞳はどんな色をしているのだろうか。ライカはロゼスタの言葉に顔を引き攣らせる。


「なぜフォルス伯爵が事件のことを知りたがるのです……?」


 彼は微笑む手前の柔らかな表情のまま、ライカに顔を近づけた。


「どの道、ユイレン第一王子殿下にはお伝えするのでしょう? でしたら、私に教えてくださってもよろしいではありませんか?」


 甥であるユイレンに報告すれば、いずれ自分の耳にも届く。彼はそう言いたいのだ。けれどライカは拒絶せずにはいられない。


「……ユイレン第一王子殿下からお聞きしてください」


 そう返すのが精一杯だった。

 そんな彼女の様子に、ゼナイが呆れた表情を浮かべている。もしかすると彼は、フォルスとクラシェイドの仲を取り持つよう、頼まれていたのかもしれない。


「残念ですね」


 そう言うロゼスタは、少しも残念そうではなかった。

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