赤髪の侯爵と悪徳商人・2
「好き勝手してくれたようだが、これでしまいだ」
まとめ役らしき男が笑いながら言った。
貴族相手に一泡吹かせて愉快だといった表情だ。
「いいんですか? 相手は<王国の長剣>ですよ?」
部下の一人がそっと呟くと、まとめ役の男はさらに大声で笑った。
「いいんだよ!
<王国の長剣>様がこんな所でぼこぼこにされたとあったら赤っ恥だ。
誰にも言えねぇよ!」
「それもそうですね!」
楽しそうな笑い声が廊下に響く。
無駄に広い屋敷だ。ライカは不愉快な気持ちに包まれた。
「お前は下がっていろ」
けれど、当の本人は冷静な顔のまま、鋭い目を光らせ、男たちを見つめていた。
剣を一度だけ握り直すと、ゆったりとした足取りで男たちの方へと歩み寄る。
――まさか、本当に戦うの?
いくらシルヴィス騎士団団長として日頃から鍛えているとはいえ、一人で十人を相手するのは無理がある。
袋叩きに遭う結果しか見えない。ライカは恐怖で足が震えた。
「どうか加勢を……!」
護衛たちに向かってライカは頼んだ。
けれど二人は首を横に振る。
「いけません、ライカネル様」
「ゼナイが倒れれば私も危険ではありませんか……!」
「そうではないのです」
護衛はライカを落ち着かせるように優しく言った。
「我々が加勢すれば邪魔になるのです」
言っていることの意味がわからず、ライカは呆然とことの成り行きを見届けるより他にはない。
ゼナイは怯むことなく前へと進む。
「こ、こいつ!」
悠々と近づいてくるゼナイの態度が気に食わなかったのか、男の一人が剣を持ち上げ、一歩前に踏み込んだ。
――その瞬間、彼の腕は捻じ曲げられ、体ごと床に叩きつけられる。
「ううっ!」
鈍い悲鳴を上げ、男は床の上で腕を押さえてのたうち回った。
「一人ずつ行くな! 一斉にかかれ!」
まとめ役の男が怒鳴る。
配下たちはぐるりと囲むようにゼナイに近づくと、剣を片手にじりじりと距離を詰めていく。
やがて呼吸を合わせたように、ゼナイに近い三人が武器を振り上げ、彼に襲いかかった。
「ゼナイ!」
ライカの叫び声が響く。
二人の護衛の隙間から見えるのは、男たちの中で揺れる赤い髪だった。
ゼナイは一歩だけ左にずれ、右から振り下ろされた剣を避ける。
そのまま左から襲ってきた男の腕を掴み、捻りあげる。
そして、呻く男の腕を掴んだまま振り返ると、後方で剣を振り上げている相手にその男をぶつけ、二人まとめて床に叩き伏せた。
「こいつ……!」
三人がやられると、残りの男たちが入れ替わるようにゼナイを襲う。
けれど、彼らは次々と床に倒れていく。
――何が……起きているの……?
ライカには理解できなかった。
敵の方が圧倒的に多いはずなのに。
流れるように敵の合間を縫い、己の技だけを通している。
相手の行動を見透かしたかのような無駄のない動き。
ライカはようやく、ゼナイが単独で屋敷に乗り込もうとしたその理由を理解した。
――それだけの自信があったんだ。
このゼナイ・シルヴィスには。
やがて最後の一人になると、ゼナイは問いかけた。
「主人はどこだ?」
男はぶるぶる震えながら、廊下の先を指差す。
「突き当たりを左です……」
その声は今にも消えてしまいそうだった。
◇
部屋の中には小太りの男が、大きな机の椅子に座っていた。
じゃらじゃらといくつも指輪をつけているのが印象的だ。
「だ、誰だ……!」
突然、ライカたちが部屋に入ってきたのだから驚いても無理はない。
二人は丁寧に挨拶をする。
「急な訪問で申し訳ない。ゼナイ・シルヴィスだ」
「ライカネル・クラシェイドと申します」
二人の名を聞くと、屋敷の主人――オスカー・ラウヴェンは顔を引き攣らせる。
しかし、すぐにそれも取り繕うと、商人らしい人の良さそうな笑みを浮かべる。
「これはこれは、<王国の長剣>様と<王国の天秤>様がお揃いとは嬉しい限りでございます。
――どのようなご用件でしょう?」
ライカは懐から書類を取り出し、オスカーに見せつけた。
「フィンレイ・トルマールさんの借金の件で来ました」
最初は何のことかよくわかってなかったオスカーも、書類に目を通すとようやく理解したようで、頬を少しだけ朱に染めた。
「フィンレイさんが払う借金は、お父様の遺産内で処理されることが、王立裁判所の手続きによって認められました。
彼はまだ未成年ですからね」
ライカが王立裁判所で申請していたのがこの件だ。
裁判所はその申請を正式に承認し、フィンレイは借金を全額背負う必要がなくなった。
――このような問題が起きても、裁判所を頼れる平民がどれだけいるだろうか。
ライカはふと、そんなことを考えた。
「……さようでございますか」
オスカーはどこか悔しそうな表情を一瞬浮かべたが、それもすぐに取り繕うと、わざとらしく頷いた。
「これ以上の返済は求めませんので、ご安心ください」
いやにすんなりとオスカーは承諾する。
王立裁判所まで出てきたのだから、納得せざるを得ないのかもしれないが。
ふむ、とライカはゼナイを見た。
「どうします?」
「まさか、これで終わりなわけがないだろう?」
ゼナイの目は鋭いままだ。
赤い瞳の奥に、倒すべき敵を見据えるような光を湛えている。
「こういう輩は他にも何か余罪がある。――そうだな?」
「な、何を……」
ゼナイに詰め寄られたオスカーは、目を泳がせる。
一瞬、現れた表情の揺れ。青年はオスカーではなく部屋の隅を見た。
「ここか」
そこには異国風の壺が置いてあった。
見たことのない模様が刻まれている。
ゼナイがその長い足で壺を蹴り上げた。
「何をする……!」
オスカーの怒鳴り声と同時に壺から出てきたのは、丸めた紙の束だった。
ライカはそれを手に取ると、書いてある内容に目を通した。
「これは帳簿のようですが……。
穀物五十袋に対して金貨たったの一枚……!?
宛先も存在しているのか怪しいですし……」
普通ではない金額が記された帳簿には、見覚えのない土地や商会の名前が載っており、普通ではないことを直感させた。
「まさか……裏帳簿……というものでしょうか?」
ライカから紙束を受け取ると、ゼナイもそれにじっくり目を通す。
「間違いなさそうだ。
――後で騎士団に調べさせよう」
表情こそ変わらなかったが、ゼナイの声は少し弾んでいた。
悪事が露見すること。それは彼にとって喜びなのかもしれない。
――少し怖いけど、こんな人が<王国の長剣>で良かった。
赤い髪を見つめながらライカはそう思った。
◇
<王国の長剣>ゼナイ・シルヴィスが大商人オスカー・ラウヴェンの罪を白日の下に晒したこと。
それは今、エルドガールで最も口に上る話題だった。
「ライカネルお兄ちゃんも頑張ってくれたのになぁ」
フィンレイが残念そうに呟く。
その顔はつややかで、以前のようにやつれてはいない。
「全くだ」
隣に座ったゼナイが頷く。
「いいんですよ、私は。
裁判所で申請をしただけなのですから」
ライカはあの日のことを思い出しながら、二人に向かって微笑んだ。
あれから数日が経つ。
借金の心配が必要なくなったフィンレイは、新たな保護者も見つかり、安定した生活を取り戻していた。
「僕、妹ができたんです。
お兄ちゃんたちに守ってもらったように、今度は僕が妹を守りたいんです」
フィンレイは頬を赤らめながら、けれどはっきりとそう言った。
ライカとゼナイはきゅっと目を細め、そんな少年を見返す。
「頑張れよ、フィンレイ」
「でも、無理はしすぎないでくださいね」
「はい!」
明るく笑う少年。彼を救ったのは――もちろんライカも手助けしたが――その多くがゼナイの功績だ。
最初に顔色の悪い彼に気づき、声をかけたことから始まったのだから。
――ゼナイは……。
本当は繊細な青年なのかもしれないと思った。
相手の感情を細かく読み取り、理解できる、そんな人なのかもしれないと。
――考えすぎかな。
フィンレイの向こうにいる青年に目を遣る。
彼は少年と楽しそうに会話を紡いでいた。
「……聞いてるか? ライカネル」
「ええ、聞いてますよ」
ライカは慌てて誤魔化すが、ゼナイの目はそんな彼女を見透かすようで、じっとりとしたものだった。
――やっぱり、よく見てる。
ライカはさらに目を細めた。




