赤髪の侯爵と悪徳商人・1
ライカはその日、二人の護衛を連れて、本を買いに王都郊外へ出かけていた。
その帰り道、どこから見ても目立つ赤髪が目に留まる。
「あれは……」
燃えるような赤い髪。
それは<王国の長剣>シルヴィス・ゼナイの髪の毛だった。
ライカは何かを思い出しかけ、首を捻る。
けれど、何か悪い記憶と繋がっているかのように、頭は思い出すことを拒んだ。
――やめておこう。
顔を横に振ると、視線を青年に向ける。
ゼナイは片膝を地面につけ、少年と同じ高さに目線を合わせていた。
おそらく彼は気付いてないだろうが、小柄な少年を見つめる眼差しは鷹のように鋭い。
――大丈夫かな?
対面する少年の顔はやはり強張っていた。
ただでさえ端正な顔立ちの騎士を前にしているのに、これほどの目を向けられれば気圧されるのも当然だった。
そんな少年の気持ちなどおかまいなく、ゼナイは先ほどから何やら訪ねている。
「怖がらなくていい。名前は? どこから来た?」
歳は十歳頃だろうか。まだあどけなさが残る少年だ。
その顔には疲労が浮かび、ゼナイが声をかけた理由が察せられた。
ライカは駆け寄ると助け舟を出す。
「こんにちは。
私はライカネル・クラシェイドと申します。――あなたは?」
同じ年頃の、しかも地味な顔立ちのライカが現れ、少年はようやくら安心したように表情を緩める。
「こんにちは……。僕の名前は、フィンレイ・トルマールです。
マークレン通りに住んでます」
その声に力はなかった。
ライカとゼナイはちらりと視線を交わし合う。
「体調が悪いみたいですが、大丈夫ですか?」
「僕、働かないといけないんです」
少年は目を潤ませると、暗い顔をして俯いた。
「父さんが、借金を残して死んじゃったんです……」
フィンレイの父、エルバン・トルマールは、王都でも有数の大商人であるオスカー・ラウヴェンから借金をしていた。
しかし、一月前、全て返し切る前に事故で亡くなったという。
フィンレイには他に頼る親戚がおらず、こうして幼いながらも借金を背負っているらしい。
まだ働こうとするフィンレイを休ませると、ゼナイはライカに尋ねる。
「どうにかならないのか?」
ライカはふむ、と口に指を当てて考える姿勢をとった。
「そもそも、親の借金を子が払う必要はないんですよ」
「ええっ!?」
休んでいたフィンレイが驚いて声を上げる。
「『エルドガール法大全』第3編・家と財の篇・第5章第18条にですね、
亡き者の借財は、その者の残したる財産の範囲で弁済すべし。
借財は契約を結びし当事者にのみ帰属し、その子孫に責を負わすことを禁ずる、とあります。
つまり……」
ゼナイがすかさず後を継ぐ。
「――つまり、亡くなった親の借金は遺産の中で返し、子や孫はそれ以上、背負う必要はないということだな?」
彼の説明はフィンレイにもわかりやすいものだった。
ライカはこくりと頷く。
「借金を全て放棄する、ということはできないとしても、お父様の遺産内で済ませることはできたはずです。ただし……」
ライカは少し言いづらそうにフィンレイを見た。
「借金を少しでも払うと返済義務は発生します」
その言葉に、少年はあっと声を上げる。
「親の借金だからお前が出せって言われて、それで僕……」
フィンレイは目に涙を浮かべ、泣きそうな顔をする。
そんな彼の頭に手を伸ばすと、ライカは安心させるように笑った。
「でも、大丈夫です。こういう時の救済措置もあります」
「本当ですか!?」
ええ、とライカは首を縦に振った。
「少し手続きがいるので、フィンレイさんも一緒に来てもらえますか?」
「はい! よろしくお願いします!」
喜ぶ少年の背後で、ゼナイは腕を組み、首を傾げた。
その顔には疑問が浮かんでいる。
「何か解決方法があったか?」
「ええ、ありますよ」
ライカは小さく付け加えた。
「まぁ、裁判所の判断次第なんですが」
◇
「いやぁ、上手くいきましたねぇ」
ライカはほくほくした顔で笑った。
手に数枚の書類を抱えて。
それは、王立裁判所の手続きを経たフィンレイの申請書だった。
「こんなにあっさり通るとは思いませんでした。
さすが王立裁判所です。しっかりしてますね」
喜ぶライカを横目に、ゼナイは目の前の豪奢な屋敷を睨んでいた。
それは例の大商人、オスカー・ラウヴェンの仕事場を兼ねた住居である。
「主人に話がある」
門番である二人の男に向かってゼナイは声をかけた。
男はぎろりとライカたちを無遠慮に見回した。
「お約束はしていらっしゃいますか?」
「いいや」
ゼナイは短く、はっきりと答えた。
話にならないと男たちは薄ら笑いを浮かべる。
「ここはオスカー・ラウヴェン様のお屋敷でございます。
どうかお帰りください」
言い方こそ丁寧だったが、相手を馬鹿にする響きがあった。
ライカは眉根を寄せ、ゼナイを見上げた。
「どうします?
会ってもらえないと、文字通り話しになりませんよ?」
「簡単なことだ」
そう言うや否や、ゼナイは門番の男の一人に向かって拳を叩き込んだ。
鈍い音を立て、男が地面に転がる。
もう一人の門番が驚いて目を見開くが、その時にはもう、膝が男の鳩尾にめり込み、先に倒れた男の隣に横たわることとなった。
「ゼ、ゼナイ……!」
ライカは上げそうになった悲鳴を抑え込む。
そんな彼女に構いもしないで、ゼナイは門をくぐり、屋敷の中へと足を踏み入れた。
「これは立派な暴行ですよ!
『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第3章第21条、
一、他人の身体に……」
言いながらライカは気づいた。とても恐ろしい事実に。
――これは<王国の長剣>の特権を行使してるんだ……!
<王国の長剣>は軍隊を自由に動かせるという強力な特権である。
強力なのはもちろん、ライカも知っていたが、言葉でしか理解していなかった。
――今、ゼナイは単独任務として行動している、という想定で動いている。
だから、武力制圧が可能……?
そう考えて本当にその解釈で良いのか不安になってくる。
こうして目の当たりにすると、本当にあり得ない特権なのだと感じさせる。
――これが軍隊規模だとしたら……。
ライカの背筋が凍った。
どれだけ重い特権を彼は背負っているのだろうか。
いや、それはきっと自分も同じだ。
その事実を今、突きつけられて、ライカは慄いているのだ。
「ライカネル様……」
護衛たちがライカを見ている。
その目は明らかに行くなと言っていた。けれどライカは首を横に振る。
――私にもやるべきことがあるから。
二人の護衛たちはまだ何か言いたそうにしていたが、ライカがゼナイの後を追っても黙って従った。
「誰だ、お前たち!」
屋敷の中に入ると、すぐさま不審者として声をかけられた。
安全管理は徹底しているようだ。
しかし、青年は臆することはない。
「ゼナイ・シルヴィスとライカネル・クラシェイドだ。
屋敷の主人に会わせてくれ」
「何……!?」
二人の名前を聞いて、男が驚いたように一歩後ずさる。
エルドガールで五大貴族の名を知らぬ者はそうそういないだろう。
「約束はしているんでしょうね?」
やはりこの男も同じ質問する。
そう尋ねるのが決まりなのかもしれない。
「いいや」
ゼナイの返答も同じだった。
その言葉を聞いて、男は腰に下げた剣をさらりと抜いた。
「曲者だ!」
屋敷中に響き渡る声が男から発せられる。
ゼナイの体が動き、ライカの目が追いついた頃にはもう、相手の男の手から剣が弾き飛ばされていた。
「くそっ……」
男がじりじりと後退する。
「案内しろ」
いつの間にか抜いたゼナイの剣が男に向けられる。
武器を失った相手はただ、迫る剣先から逃げることしかできず、その額に汗を浮かべた。
「――そこまでだ」
ゼナイの動きを止めさせたのは、別の男の野太い声だった。
広い廊下の先に、男たちが道を塞ぐように立っていた。数はおよそ十人。
――これは……無理だよね……?
圧倒的な人数差にライカの心は折れそうになった。




