オペラの題材
ルーフ・シェリス宝石店の強盗事件からおよそ一月後、ライカはカティスとともに王都にあるワーミストロン歌劇場に足を運んでいた。
「ここですか?」
案内された席を見て、ライカは驚いたような声を上げる。
二階中央の個室。この歌劇場で最も良い席だったからだ。
案内係は微笑んだまま頷いた。
「もちろんでございます。どうぞゆったりご観覧くださいませ」
ライカは落ち着かない気持ちで椅子に腰かけた。
その隣でカティスが目を輝かせて舞台を見ている。
「伯爵様、私も招待していただいた身ですので、お気になさらないでくださいね」
今日はカティスに誘われ、オペラを鑑賞しに来たのだ。
強盗事件はライカの責任だというのに、カティスは庇った礼をしたいと言う。
頬の腫れはすっかり治り、ライカの顔は元の青白いものに戻っていた。
また襲われないか心配したセイランに、今日は護衛を用意されていた。
ライカたちのいる個室は今、クラシェイドとアレシオンの護衛でごった返している。
「そう言えば、伯爵様は単眼鏡を持って来てらっしゃいますか?」
「単眼鏡ですか?」
カティスは小さな筒状の物を取り出すと、一つをライカに手渡した。
「これがあれば舞台がよく見えるんです」
「これはありがとうございます」
単眼鏡を覗くと確かに舞台に立つ歌手の顔までよくわかった。
豊かな表情もはっきりと見てとれる。
「綺麗な歌声ですね」
二人の男女が高らかに歌を重ねる。
貧しい騎士であるヴァイオネルと、公女であるサティスの恋物語らしい。
――ヴァイオネルにサティス?
この時点で違和感を覚えたライカだったが、歌手に合わせて表情を変えるカティスに意識が向いてしまう。
騎士ヴァイオネルは、偶然にも公女であるサティスと出会い恋に落ちる。
襲いかかる政治的試練や身分の差に難航する恋路。
「まぁ、どうしていつも身分が恋を邪魔するのでしょうか?」
すっかりと感情をのめり込ませたカティスが、悲しそうに呟いた。
「実はどれだけ身分差があろうとも、貴族同士の婚姻を禁じる法はないのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ、あるのは社会的な慣わしだけです。
つまり、まだまだ慣習は法を上回るということです。――でも、大丈夫ですよ」
ヴァイオネルの功績を祝う宴。
彼は次々と降りかかる火の粉を払いのけ、歩みを止めることなく前に進むと、想い人であるサティスと邂逅した。
ついにその手は彼女に向かって差し伸ばされる。
「まぁ」
カティスの顔が明るく輝く。
ところが、サティスが手を取ろうとしたその時、ヴァイオネルの師の娘であり、恋敵であるリーシュも彼に向かって手を差し出した。
――うん?
ライカは思わず単眼鏡を目から外す。
なんだか見たことのある場面だった。
二人の令嬢の手の間で、身分の壁、師への恩義、儚い恋心が錯綜する。
ヴァイオネルの葛藤が独唱で語られ、はらはらとした緊張感が歌劇場を包んだ。
やがてヴァイオネルはサティスの手を取り、会場からは拍手が巻き起こった。
リーシュと入れ替わるように大勢の歌手が現れ、合唱が始まる。
そんなフィナーレを前にして、カティスは顔を赤らめていた。
「すみません……内容をよく知らなくて……」
合唱にかき消される程小さな声でカティスは謝った。
「これはまた……」
貴族の噂が歌劇の脚本になることもあるとは聞いてはいたが、まさか自分がフリードの練習会で起こした騒動がそうなるとは思いもしなかった。
――あれから一月ぐらいしか経ってないのに。
道理でこんな良い席が用意されるわけだ。
中央二階の個室席。
それは王族や公爵が利用するような特別な場所だった。
「こんな経験は二度とできないでしょうね」
「本当です……」
カティスは恥ずかしそうに目を伏せたまま頷いた。
そして、単眼鏡を空いている隣の席に置くと、朱に染まった頬を膨らませた。
「今日はこれをお渡ししようと思っていましたのに」
「これは……?」
彼女が手渡したのは、綺麗に包まれた小さな箱だった。
「伯爵様がルーフ・シェリスで選んでらっしゃったブレスレットです」
「あの時の……!」
セイランの誕生日プレゼントにと選んだブレスレットだった。
「店員さん、強盗に驚いて服の中に仕舞ったんだそうです」
今度は顔を上げて、カティスは静かに微笑んだ。
「ご存知でしたか?
あのお店は公爵家の鉱山で採掘された宝石が売られていたんですよ」
「ああ、何か言いかけてらっしゃいましたね」
ライカはあの事件の直前にカティスと交わした会話を思い出した。
「そうだ、お代を……」
「まぁ、結構ですわ」
カティスは手の平を向けて断った。
「これがお礼ですの」
「でも、あの事件は……」
ライカネルを傷つけることが目的で、カティスはそれに巻き込まれてしまったのだ。
元凶は自分であり、非難されても当然だと思った。
けれど、彼女は首を左右に振った。
「伯爵様のせいではございません。
お命を狙う不届者が悪いのです。
それに、これはコンザール伯爵様の練習会で私の手を取ってくださったお礼でもあるのです。
だから……」
カティスはライカの手を包み込むように握り、プレゼントを受け取るように促した。
「ありがとうございます」
カティスから渡された小さな箱を見る。
青地の包装紙に金色のリボン。
空のようなデザインだとライカは思った。
「あの、伯爵様。
お名前で呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
視線を落としながら、カティスはおずおずと尋ねた。
「もちろんです。ライカでいいですよ」
「本当ですか? 嬉しいです!」
カティスは指と指を交差させ、はにかんだように笑った。
「では、私のこともカティスとお呼びください」
「わかりました」
思えば初めてできた友人だ。
ライカは空を切り取ったような小箱の感触を手で確かめながら、歌劇場の豪奢な天井を見上げた。




