24:<郭嘉編>濮陽争奪6
初戦で呂布が勝ったものの、決着はつかないままふた月がすぎようとしていた。焦る張邈は郭嘉に曹操を討つ策を献じよと言ってくる。郭嘉はそれを好機と思い、利用することに。
曹操に勝った後、濮陽の城内はひとしきり戦勝に浮かれたようだ。
あれだけの大軍に勝ったのだ。無理はないと思うが、呂布は追撃しろという陳宮の献策を完全に無視し、一日中浮かれて飲んだくれるだけだったという。
二日目、さすがにいい加減にしてくれと怒り出した陳宮に、呂布もまずいと思ったのかもしれない。再び城外に陣を敷いたが、その時にはもう、曹操も態勢を立て直していて、大軍が整然と並び、攻城兵器の製造も始まっていたそうだ。
四日目、再び両陣営はぶつかり合った。呂布は以前のように簡単に勝てると思ったようだが、曹操もさすがに対策は考えたようだ。馬止めの柵などを利用して、うまく騎兵を抑え込んだらしい。呂布が思うように動けないうちに周囲の歩兵を蹴散らされ、攻城兵器が城壁近くまでやってきた。なんとか呂布が走り回って兵器を壊し、曹操は再び退いたが、今度は引き分けだったと言っていいだろう。
その後、何度か攻防は続いた。呂布の騎兵を警戒して防御に重きを置く曹操と、うまく歩兵と連携が取れないまま攻めあぐねる呂布。必然的に決着はつかない。
途中、ぽつぽつと援軍がやってきたが、いずれも曹操に蹴散らされてすぐに逃げ出してしまったという。
結局、攻防を繰り返すうち兵の少ない呂布側が不利になり、籠城を余儀なくされていた。
初戦が終わってすぐ、張邈はまた郭嘉を口説きに来ていた。
勝ったら膝を屈してもいいと言っていただろう、というのだ。
それでも郭嘉がうなずかずにいると、張邈はしばしば郭嘉を高楼へと連れだすようになった。郭嘉が戦の趨勢を見たい、と言ったら、あっさり応じてくれたのだ。
相変わらず人質扱いではあるが、薬湯が与えられて体調は戻りつつあったし、こうして高楼から戦の趨勢も見られて、郭嘉としては言うことはなかった。兵法書で読んだだけの知識が、眼下で繰り広げられる攻防でどんどん肉付けされていく。これ以上の娯楽は郭嘉にはない。
張邈としては郭嘉の機嫌を取るに越したことはない、くらいに思っていたのかもしれない。自然と張邈と話す機会が増え、なんとなくお互い構えるようなこともなくなっていった。おそらく、元々は鷹揚な人物なのだろう。それは、郭嘉にもなんとなく感じられた。
ただ、なぜ張邈が郭嘉を味方に引き入れようとするのか、その意図は読めない。
あの、初戦で曹操が死にかけた時の彼の青い顔は、明らかに曹操と決別しきれていない彼の心の表れだろうと思う。
救い出しほしいと思っているのか、それとも本当に郭嘉を反乱に加担させようとしているのか。張邈の言動からはどちらか判断が付けられなかった。
最初に無念そうに力のなさを嘆いた、あの張邈の瞳が忘れられなかった。
同情と言えば同情だ。静がいれば、またくだらないことをと怒ったかもしれない。
それでも、郭嘉は張邈が曹操の下へ戻りたいと思っているのなら、力を貸してもいい、と思っていた。ただ、張邈ははっきりとした態度を見せないので、まだ協力するとは言っていない。
この日も高楼の窓に座り、郭嘉は眼下を眺めていた。
「もうすぐ、ふた月か」
一緒に高楼にやってきていた張邈がぽつりとつぶやいた。
ほとんど顔色を変えなかった張邈だが、ここ数日は少し焦燥の色が見え隠れすることが多かった。攻囲もやがてふた月ともなれば、心労もそれなりだろう。呑気に構えていられる郭嘉とは訳が違う。
「まあ、あの大軍相手によくやったほうだと思うけど。最初に曹操殿にあんだけ勝てただけでも大したもんだよ」
今、城は曹操軍に囲まれている。呂布が出てこなくなったので、曹操は積極的に攻城兵器をくり出してきていた。しかし、守兵側も負けてはいない。兵器を燃やしたり、時には城壁の上から油を撒いて火をつけたりして、今のところは城壁の下に兵器の残骸と死体が積み重なるだけだ。
「呂布はもう、外に打って出るのはやめたんだ?」
「そのようだ。孟徳側がうまく騎兵を抑え込むので、動きづらいから、出ても負けるだけだと思ったらしい。公台殿が歩兵をうまく使えと言っていたのだが、結局それもできぬまま、歩兵は半分以下に減ってしまったのだそうだ。もう、外に出すに出せないのだろう。城壁を守る兵も必要だ」
「ふーん」
郭嘉は腕を組み、片足を窓の桟の上に乗せ、遠く城壁の向こうを眺めていた。眺望台は比較的城壁にも近く、喚声も聞こえてくる。
「近頃は公台殿と奉先殿言い争いがひどい。時々城壁の上でもそれをやるので、兵たちも不安がっているようだ」
「それもう、負け決定なんじゃないの?」
「どうだろう。兗州各地からまだ援軍が来るはずだ、と公台殿は言っている。あと、呂布の部下に何人かしっかりしたのがいるらしくてな。その者たちがうまく城壁を守っているようだ」
「呂布に? そんな部下がいるんだ」
「奉先殿は軍略には欠け、粗暴なところもあるが、部下には情の篤い男なのだそうだ。騎兵たちは皆、奉先殿に心酔しておる」
「へぇ、意外。あんなバカでも部下がついてくるんだな」
「奉先殿は、本来大将向きではないのかもしれぬな。自分の目の届く範囲の部下を把握することはできるが、何万という軍を自在に動かすとなるとまた話は違うのだろう。本来は、彼をうまく使いこなすような将に巡り合えれば、大きな力を発揮したのかもしれんが……」
「うまく使いこなす将ねぇ」
それって曹操殿のこと? と言いそうになって、やめた。張邈が今何を考えているのか、今ひとつ読めない。最初のぶつかり合いで死にかけた曹操を見た時、彼は明らかに動揺していた。やはり、まだ曹操と決別する決意まではついていないのだろうと思う。だが、その後彼は何をするでもない、こうして毎日郭嘉を高楼に連れてくるだけだ。
――俺も、そろそろ動いた方がいい、かな。
ふた月もたてば、曹操軍の方でも膠着を破ろうと色々と考え始めるだろう。例えば、調略を用いて城内を切り崩す、というようなことをだ。元々兵も官吏たちもほとんどが曹操の部下なのだ。積極的に陳宮たちに加担している者は少数だろう。場合によっては切り崩せるはず、と曹操だって考えるに違いない。
攻囲が続いて疲弊しているのは、城内の者たちだって同じはずだ。中には陳宮に付いたことを後悔している者もいるはずだから、うまく糾合すれば、陳宮や呂布を陥れることだって不可能ではないだろう。
「なあ、陳宮、追い出せないかな?」
郭嘉が言うと、張邈が怪訝そうに眉をひそめた。
「言い訳はいくらでも立つと思うんだ。例えば、援軍を集めるのにあのおっさんじゃないとだめだとかさ。あいつ、そういうのは得意だろ? 援軍が今のまま分散して来たら潰されて終わるだけだとか、適当に理由をつければいい。今、城は囲まれてるとは言っても、夜中まで囲んでるわけじゃない。夜に紛れて陳宮が外に出るくらいできると思うんだけど」
「公台殿を追い出して、どうする」
「俺が、呂布を使う。結構単純な男そうだから、やりようによってはうまく操れると思うんだ。軍略には自信があるし、呂布もいい加減膠着にうんざりしてるだろ。陳宮じゃない奴の言うことなら、聞く可能性あると思うんだけど」
張邈が考えるようにあごのひげをさすった、
「……で、どうするのだ? この攻囲を破って見せると?」
「どっちがいい? あんたの好きな方でいいよ。曹操殿をぎゃふんと言わせて攻囲を破るか、じゃなきゃ、呂布に無茶やらせて、曹操殿に討たせるか」
冗談めかして言うと、張邈が顔色を変えた。
「呂布さえいなくなれば、あとはどうとでもなると思うんだけどな。陳宮だけじゃ大したことはできないだろ。それで全部片が付いたら、これはあんたの策だったってことにすればいいんだ。陳宮たちに巻き込まれたけど、曹操殿を助けるために敵対するふりをした、って。そうすれば、あんたは曹操殿に殺されずに済むかもしれない」
「なにを、ふざけたことを。もはや、孟徳は」
張邈が色をなして怒鳴る。その声は震えていた。
「あんたは曹操殿を策で陥れたけど、面と向かって罠にはめたわけじゃない。あの書簡は本気だったのに陳宮に利用されただけだとか言えば、多分わかってもらえるさ。実際、信じてるからこそ、曹操殿は罠にもはまったんだ。そうだろ?」
張邈は震える手をきつく握り、口を引き結んでいた。
「あんたが曹操殿の下へ戻りたいって言うんなら、俺はあんたに協力する」
重ねて言う。
張邈は押し黙ったまま、しばらく口を開かなかった。それを、じっと待つ。
長い沈黙の後、張邈は首を横に振った。
「……なにを、ふざけたことを」
震え、かすれた声が言う。張邈はさっと郭嘉に背を向け、絞り出すように言った。
「私は、孟徳を討つために協力しろと言ったのだ。それを、姦計で私を惑わそうなどと。その手には乗らんぞ」
張邈が逃げるように高楼から出ていく。すぐさま外に控えていた兵がやってきて、郭嘉もまた、高楼から連れ出された。
――絶対乗ってくると思ったんだけどなー。
兵にせっつかれるようにして、郭嘉は城壁から府への道を歩いていた。少し前を張邈が歩いている。
人質のはずだが、手かせ足かせなどつけられることもない。ただ、行動の自由は、基本ない。人質のいる座敷牢から外に出るときはいつも張邈と一緒で、見張りの兵が一人つく。張邈に言えば高楼には連れて行ってもらえるが、それだけだ。陳宮に会いたいとか、呂布に会いたいとか、言ったこともないが、おそらく言ったところでほいほい連れて行ってはもらえないだろう。
――どうしたもんかな。
張邈の協力が得られないとなると、事を起こすのは難しいかもしれない。なにせ陳宮がいる。あの男は、絶対に郭嘉の言うことなんて聞かないだろう。仮に呂布に会えてうまくおだてられたとしても、陳宮はそうはいかない。
自分でも始末が悪いと思うのは、こうやってああでもないこうでもないと考えるのが妙に楽しくてしようがないことだ。
一応母が人質に取られているので、下手をすれば彼女に危害が及びかねない。もちろん郭嘉自身だって、下手をすれば殺されるだろう。
わかっているのに、あれやこれやと思索して、どうやったら大団円に持っていけるか、と考えるとわくわくした。それ以上に、もし呂布を使って戦をできるなら、と考えるとどうしようもなく心が躍る。自分だったらあの騎兵、使いこなせるんじゃないか。そんな馬鹿なことも思い、苦笑したりもした。
「何を笑っておる」
府に着くと、張邈が声をかけてきた。
またいつの間にか薄笑いをしてしまっていたらしい。慌てて顔を糺すと、張邈が腕をつかんでくる。そのまま引き寄せられ、張邈は郭嘉の鼻先で小さく問うた。
「先程の話、勝算があって言っているのか」
「え? そ、そりゃ」
一瞬面食らったが、すぐにうなずくと、彼は突き放すように郭嘉を放し、そのままどこかへ歩いて行った。
「な、なんなんだ?」
戸惑いをよそに、郭嘉は兵士にそのまま奥の座敷牢へと連れて行かれた。
座敷牢の面々も、そろそろ疲労の色が濃い。ふた月近くも同じ部屋に閉じ込められていれば、疲れるなという方が無理だ。母もまた、来た頃の元気さを失いつつある。
「奉孝殿」
母のところへ戻ると、それでも彼女は力なく微笑んで見上げてきた。その隣に座る。
「戻りました、母上」
こくりとうなずくそのしぐさにも疲れが見える。郭嘉自身は外に連れ出してもらえて、戦も見られて文句はないのだが、母がこの調子でやつれていくのなら、いっそ張邈に交換条件でも出して臣従のふりでもしたほうがいいかもしれない。臣従したふりをしてある程度自由になれば、呂布をそそのかす機会も増えるだろう。そうなれば、計略も練りやすくなる。
そんなことを考えていると、一時もしないうちにまた兵士が郭嘉を呼びに来た。
なんだろうと思ってついていくと、兵士は府の入り口ではなく、奥に向かって歩いていく。それも、寝所のある方だ。
呂布と陳宮の言い争う声が先に聞こえ、次いで行きついた先の室の前に、張邈が立っているのが見えた。
室に近づくと、いよいよ呂布と陳宮の声がはっきりと聞こえてくる。どうやら、陳宮は呂布が表に出ないのを責めているようだ。
部屋の扉の前に立つ張邈が、郭嘉に気づいて視線を向けてきた。
「来たな」
「これ、どういう状況?」
じっと張邈を見つめると、彼は閉じられた扉の向こうへ視線を向けた。
「ここ数日、ずっとこれだ。これでは士気も上がらん。もちろん、攻囲を跳ね返すこともできん」
「だろうな」
「そなた、先程勝算はあると言ったな。ならば、私と取引をしないか。そなたの自由はある程度保障しよう。その代わり、そなたは我らに手を貸すこと。どうだ」
まるで、以心伝心伝わったかのような言葉だ。思わずうなずきかけ、慌ててとどめる。
「それは、俺に曹操殿を討てって言ってんの?」
「……そうだ」
わずかな逡巡の後、張邈が言う。だが、彼には先程高楼で見せたような動揺はもうない。呂布や陳宮の前では、こういう態度を取らざるを得ないということか。それとも、やはりまだ曹操を討つしかないと思っているのか。
わからない。ただ、呂布に与するふりをした方が、絶対にやりやすいことは確かだった。
「母上をここから出して、城下の邸に戻してほしい。そうしてくれるなら、俺はあんたの言うとおりにするよ。どう? もちろん、邸に監視はつけてもらっていい」
「それは、公台殿がうなずくかどうか」
「今から、俺が陳宮を追い出す。その後でいいから」
「それは、どういう……」
「さっき言ってた話。援軍をかき集めるために陳宮に兗州各地を周れって献策する。そうすれば、陳宮はしばらく城を離れるだろう。それなら、色々とやりやすくなる」
じっと見つめると、張邈がまた逡巡の色を見せた。
陳宮を追い出して、呂布を操って、殺す。
さっきの話を思い出しているのだろう。
しばらく経ってから、張邈はためらいがちにうなずいて見せた。こういうところもまた、彼が何を考えているかよくわからないところだ。
「いいだろう」
「じゃ、交渉成立だ。約束は守れよ。それじゃ、俺はあんたに説得されてあんたに協力することにしたってことにしておいて」
「よかろう。だが、お前も忘れるな。お前の母親は、あくまで我らの人質だ。私はそれをたてに、お前を利用している。いいな」
妙な言い方だ。脅しているのか、それともそういうことにしようと言っているのか、よくわからない。とりあえず郭嘉がうなずくと、張邈もまたうなずいて、閉じられた扉を何度か叩いた。
「失礼するぞ」
扉を開くと、張邈が郭嘉の腕を引っ張って室の中へと入っていく。
案の定、室は呂布の私室のようだった。牀に呂布が座っていて、その隣に困惑顔の女性の姿が見える。そしてその前に陳宮が眉を逆立てて立っていた。
「二人とも、そろそろやめられよ。見苦しいぞ」
張邈の声に、呂布と陳宮が振り返る。二人はそれぞれに苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「攻囲が長引いていらだつのもわかるが、お二人がそのようでは兵の士気にも影響する。ほどほどにしてもらわねば」
「だが、孟卓殿」
「攻囲されておる状況で、指揮を執るべき呂将軍が私室に籠って酒色におぼれておるなぞ、放っておけるわけがありますまい!」
「お、オレは別にっ」
「策がなく、奉先殿が腐るのも無理はない。そこで、策を持ってきた」
張邈に腕を引かれるまま、郭嘉は張邈の隣に立った。
陳宮が睨んでくる。対して、呂布は困惑したように郭嘉を見、張邈を見た。
「こいつは?」
「曹操に軍師として仕官する予定だったそうだ。そうだな、公台殿。あなたはご存じだろう」
「まあ、ええ」
陳宮は眉を顰めたまま、郭嘉の前に歩いてきた。
「どうした、小僧。今頃我らに膝を屈する気になったか」
「俺は、あんたには生涯膝を屈するつもりはない。けど」
隣の張邈に視線を動かし、すぐに陳宮に向き直った。
「この人のひたむきさに、心動かされた。元々、曹操殿に仕えるかどうかは迷ってたんだ。徐州のことを聞いて、そんな無謀なことする奴、主にするのもどうかと思ってたからさ。それに、あんた」
呂布に視線を動かし、にこりと微笑む。
「あんたの騎兵、すごいな。見ててわくわくしたよ。それなのに、使う側がヘボだから、うまくいってない。ずっともったいないって思ってたんだ。俺なら、もっとずっとうまくあんたを動かせるのにって」
「なっ」
陳宮が顔色を変える。それを無視して、郭嘉は呂布の前に立った。
「あんたの武、俺に使わせてほしい。このおっさんなんかよりずっとうまく、あんたを有効に使って見せる」
胸に手を当てて、じっと呂布を見つめる。どこか嬉しそうな呂布に、張邈が畳みかけた。
「ここしばらくこの者と話していたのだが、いや、軍略は目を見張るものがある。孟徳は軍略に長けた男。こちらにも、兵法に通じた男が必要かと思ってな」
「しかし、曹操に仕えようとしていた奴だろう。そんな奴に作戦を任せるというのも」
「そこは心配ない。彼の母親は我らに囚われの身だ。母親がいる限り、我らに逆らうことはできん。もちろん、そのくらいはわかっているだろう?」
張邈が見つめてくる。それに嘆息して見せ、郭嘉はうなずいた。
「わかってるさ。だから、来たんだ。俺がこの攻囲を解いたら、母上と一緒にここから解放してほしい。俺の望みはそれだけだ。もちろん、今すぐ解放してくれるってんならそれに越したことはないけど」
「まあ、そのくらい」
呂布がうなずくのを、陳宮が慌てて止めた。
「駄目だ! 絶対に駄目ですぞ。この男、本当に鼻持ちならぬ男なのです! 母親が金を積んだから解放してやったものの、本来は獄につないでおくべきような男」
「は、あんた、単に俺に地位脅かされそうだからビビってんだろ? 実はそんな軍略に長けるわけじゃなさそうだしな。いやもう、ホント見ててもったいないって思ったんだよ。最初の策以外、あんたの策、全部だめじゃないか」
「なんだと!?」
「よせ、二人とも」
張邈が陳宮と郭嘉の間に入り、二人を引き離した。彼はそのまま呂布に向き直り、言う。
「奉先殿。ここまでうまくいかず逼塞しているのも事実。ここはひとつ、新しい策に賭けてみるのも手かと思うのだがな」
「そうだな」
呂布が立ちあがる。
優に頭一つは上から見下ろしてくるその視線を、郭嘉は真正面から受けた。殺気にも似た、威圧感。逃げたくなる心を奮い立たせ、強いて平静を装って見つめ続けた。
「いいだろう。だがもしうまくいかなかったら、母親共々血祭りにあげてやる」
「それは、あんたが俺の言うこときちんと聞いてさえくれれば絶対にありえない話だ」
「なんでオレが、お前の言うことなんぞ」
「どんな優れた策だって、実行する側が馬鹿じゃ実現できない。俺の神算鬼謀をあんたがきちんと形にさえしてくれれば、曹操殿を跳ね返すくらい、簡単だって言ってんの。それとも、あんた、その程度の頭もない噂通りの馬鹿なのか、――っ」
鼻先で笑おうとした寸前、呂布の大きな手が襟首をつかんできた。
「小僧、言葉遣いには気をつけろ」
きつく締めあげられ、足が浮きそうになる。
「誰が、なんだと?」
恐ろしく低い声に、凍り付くような殺気。反射的に体が震える。それでも、郭嘉は必死になって声を振り絞った。
「はっ、あんたが馬鹿じゃないなら、なんだっつーの」
襟首をつかむ呂布の腕を外させようとしたが、びくりともしない。
「せっかく曹操殿をあそこまで追いつめたのに追撃もしないで、いまこうやってここに押し込められてる。反撃の方法と言ったら馬鹿の一つ覚えみたいに騎兵で駆けまわるだけ。歩兵をうまく使えばどれだけでもやりようはあったはずなのに、あたらその歩兵は蹴散らされるだけ。ついには防衛を部下に任せて私室で飲んだくれてる奴のどこが馬鹿じゃないっつーんだよ、説明してみろ!」
「なっ……!」
「あんた、そんなだから長安を追い出されるんだよ。せっかく董卓を殺して英雄になりかけたってのに、大混乱の長安で、格下の武将にすら負けて追い出された。なんでか解ってないんだろ? どっからどう考えたってあんたの頭が足りてなかったからだろうが。あんた、今までなんでうまくいかなかったと思う? 長安で董卓を殺しながら、なんで今ここで放浪なんかしてるんだ? 袁術は、袁紹は、どうしてあんたを使おうとしなかった? それもこれも――っ」
半ば浮いていた体が突然投げ出された。床に強かに体を打ち付け、痛みに声が詰まる。
なんとか体を起こすとその瞬間、鼻先に白く輝く切っ先が突き付けられた。視線だけ挙げて呂布を見ると、彼は顔を真っ赤にして鬼のような形相で郭嘉を見下ろしていた。
「小僧、いい度胸だな」
「ほ、奉先殿、落ち着かれよ。この男はこういう鼻持ちならん男なのだ」
張邈が慌てた様子で呂布の手を掴む。しかしそれも、呂布は振り払っていた。
「うるさい! こんな奴」
「殺してしまっては元も子もない。口は悪いが、頭は切れる。使いでのある男なのだ」
「だからといって」
「あんた人の話聞いてなかっただろ」
「何!?」
郭嘉が言うと、脅すように切っ先が近くなる。わずかに身をひいてそれをかわし、郭嘉はまっすぐに呂布を睨みつけた。
「衝動の赴くまま、気に入らない奴全員殺してたら、あんた絶対どこかで行き詰まるぞ。いい加減学習したらどうだ?」
ぎり、と音がしそうなほど呂布が睨んでくる。しかし彼の腕を、張邈がまたも止めた。
「奉先殿、落ち着かれよ。殺すのは策を為してからでも遅くはない。ひとまずは使ってみて、駄目ならば母親もろとも殺してしまえばいいのだ」
今度は言うことを聞く気になったのか、呂布はしようがないとばかり嘆息した。
「いいだろう。小僧、孟卓殿に免じて、今回だけ、許してやる。ただし!」
切っ先が再び鼻先に突き付けられる。
「失敗すればその命、即なくなるものと思え」
「は、やれるもんならやってみろ。俺があんたの武、使いこなしてみせるさ」
郭嘉が襟を直して立ち上がると、今度は陳宮が挑むように睨みつけてきた。
「で? 小僧、策があって言っているのだろうな。この状況、容易く打ち破れるものではないぞ」
「もちろん。まず、援軍を分散させるんじゃなくて、まとめる必要がある。この先も援軍が散発的に来たんじゃ曹操殿に蹴散らされて終わりだろう。だから、おっさん、あんたが城を出て援軍をまとめて戻ってくること。これが、勝つための第一条件だ」
陳宮が眉を顰める。
「次に、おっさんが援軍をまとめて戻ってくるまでに曹操軍の士気を極力落としておくこと。これはすぐにはできない。一つ一つ策を重ねていく必要がある。いくつか俺に案があるから、それを一つずつこなしていく。地味だけど、これが一番勝率が高い方法だ」
腕を組む陳宮を見、その後目を細めて睨んでくる呂布を見上げた。
「差し当たって、今晩夜襲をかける。対陣が始まってからふた月、一回も夜襲なんてしてないから、向こうもたいした備えはしてないだろう。必ず不意をつける。その動乱の隙に、おっさん、あんたは援軍を集めるために城を出るんだ」
どう? と言うと、呂布が困ったように陳宮を見た。どうやらいいか悪いか判断がつかなかったらしい。呂布に見つめられた陳宮は、片目をすがめながら郭嘉を見ていた。
「援軍を集めに行くのが私である必要はあるのか」
「あんた、兗州の名士だろ? 文若殿があんたは兗州に顔が利くとか言ってたけど。下手に呂布の部下なんかが行くより、あんたが行った方が絶対に兵は集まる。それとも、一人で行くのが不安なのか?」
にやりと笑って見せると、わずかに陳宮の頬がひきつった。しかし、彼はつっかかってくるとはしない。
「ふん、そうではない。確かに、このまま城に逼塞していたのではいずれ手打ちになるとは思っていた。援軍を誰かが取りまとめぬ限り、曹操に対抗はできまい。一番の適任が私なのも、間違いない。ただ……この状況で城を空けるのが」
「公台殿、それは任せてくれ。確かにあなたがいないと心許ないのは事実だが、それでも援軍を集めねば負けるのは必定。ここは、我らが抑えて見せる」
横から張邈が口を挟んだ。真のこもった言葉に、陳宮がしぶしぶと言った様子でうなずく。
「いいだろう。半月。その間に兵を集め、ここへ戻って来よう。いい加減収穫の時期とも重なる。このまま城に籠っていては収穫もままならん。いずれ潰されるのは目に見えている。その前になんとしても攻囲を打ち破らねば」
「頼みましたぞ、公台殿」
「で、オレは何をしたらいい?」
うなずきあう陳宮と張邈を見て、呂布が小首をかしげる。それに、郭嘉はにやりと微笑みかけた。
「言ったろ、まずは夜襲だ。城壁へ行こう。明るいうちに、説明する」
うまく乗ってきそうだ。
そう思うと、自然と頬が笑みを刻む。楽しんでは駄目だと思っているのに心が沸き立っていた。




