十一月三十日
十一月三十日、日曜日。
投票立会人を親父が務めていたので、投票する場所に親父がいるというシュールな光景だった。
子供の俺には実感がないが、村での親父は、そういう役回りを任される大人なのだと思うと、少し見直した。いや、思えば、親父はちゃんとしている大人だ。
しっかりと、誠実に生きている人だと、我が親のことをこう言うと照れくさいが、そう感じる。
それにしても……投票所の村役場は、異様な空気だ。
到着してから、投票を終えて外に出た今も、まだ緊張している。
原因は、輝く未来の会だ。
彼らは住所を天露村に移しているので、当然、投票権がある。その彼らが、続々と、あの真っ白い恰好で役場に入るものだから、村の人たちは皆、言葉にしないがある種の懸念を感じたはずだ。
と思うのも、俺でさえ、そう感じたからだ。
この村は、乗っ取られるのではないか。
直哉が「あいつら増えすぎ」「多すぎ」と言っていたのを、俺は、排他主義はよくないという思いから、同調していなかった。村の人たちも、入ってくる人たちも、仲良くやればいいと思っていたほうだ。
その俺ですら、思ってしまったのだ。
「よ!」
声の主は、真帆だった。
「ちゃんと投票来たじゃん? えらいえらい」
「当たり前だろ、大人なんだから」
「わたしはこれから……ちょっと待っててよ、お昼、食べない?」
「ああ、いいよ」
喫煙エリアに移動し、煙草に火をつけると先客の老人たちの会話が聞こえてきた。
「あいつら、えらい増えてるな」
「ああ……普段、増えてるっていってもそう感じるもんじゃなかったが、ぞろぞろと集まってくると威圧的だな」
「賛成派に、投票したんだろうな……」
この二人は、反対派なんだろうなと思いながら煙草を吸っていると、村役場に三人連れの家族が入って来たところが見えた。
彩花と彼女の両親だ。
彩花が俺に気づき、手をふってくれた。
手を振り返し、こちらを見た彼女の両親に会釈をすると、わざわざ立ち止まって頭を下げられて慌てた。
煙草を消して、三人へと近づいて丁寧に挨拶をする。
「こんにちは。お世話になっています」
頭をさげると、谷本社長が笑う。
「こちらこそ、よくしてもらって」
「ええ、本当に」
お母さんの笑顔に、彩花が「投票、早く」と急かし、三人と別れた。
少しして、スマートフォンが鳴る。
見ると、彩花からのメッセージだ。
『この後、お昼、行きません?』
……まずい。
さっき、何も考えずに真帆の誘いにOKを出した。
少し悩んだが、先約を断るのはよくないという……自分がされたら嫌なことはしないでおこうという気持ちから、彩花に断りをいれる。
『ごめん、先約がある。晩御飯、木佐呉に食べに行こう』
OKを意味するスタンプが返ってきた。
「おーい、お待たせ」
真帆が出てきて、自然と彼女が歩く方向へとついていく。
「車?」
俺の問いに、彼女は首を左右にふった。
「そこの蕎麦」
村にある数少ない食事処といえる。居酒屋の並びにある蕎麦屋に入ると、投票帰りの人たちが多く、少し混んでいた。
「二人?」
店のおじさんの問いに、俺たちは同時に頷く。すると、奥のテーブルを示されて、二人でそこに座った。
「ビール飲む?」
真帆の誘いに、頷こうとしたがやめた。この後、晩御飯を食べに木佐呉に行くので運転がある。
「やめとく。この後、運転」
「へぇ? この後ね? ……ん?」
その表情は、わかっているぞというからかいだ。
「……」
「彩花ちゃんとうまくやってんだ? へぇ?」
「……お前、すげぇな。なんでわかるの?」
「あんたが一人で車に乗る? 仕事ならありえるけど、それならあんたは仕事って言う。でも、運転って言った……これは女だと推理できる」
彼女は立ち上がり、コップをふたつ取り、水を入れて運んでくれた。どうやら、店が忙しいから自主的に動いたらしい。厨房のおじさんが、こちらに会釈をしてくれて、何もしていない俺は真帆に感謝する。
「ありがとう……探偵になれるな、お前」
「付き合い長いからね……直哉も……他の、裕太や和己、美波は大阪や名古屋……六人でずっと一緒にいたから」
「……俺は、出戻りだけどな」
「また、都内に戻る?」
「……本音は、戻りたい」
「だろうね」
店主が、俺たちのテーブルに来た。
「お待たせ。どうする?」
「わたしはざる」
「じゃ、俺もざる」
「はいよ」
真帆が、少し声量を落とす。
「で、誰に投票したの?」
「そういうの、言っちゃいけないんじゃないの?」
俺も、自然と声量を落とした。
「いいじゃん。私は須永さん」
須永さんとは、須永雄太郎議員で、村議員を務めて長い。議長もしていた。学校の校長をしていたそうで、教員の真帆は付き合いがあるのだろう。
「俺は……高木さん」
親父の友人だし、あの夜のことがある。それに、そのことで改めて、俺は高木さんに投票したいと思ったのだ。
親父から、あのことは高木さんに伝わって、彼はさっそく動いてくれていた。
神社の出入り口二か所に『無断で集会場所に使用してはいけない』という看板が立ったのだ。もちろん、高木さんが動いてくれたのは確かめずともわかることだ。
「ちゃんと、反対派にしたんだね」
真帆が水を飲み、こう言った。
「……どういう意味?」
「うっかり、賛成派にしたのかと心配してた」
彼女は自分で笑うことで、冗談だと伝えてきたが、俺は真面目な顔で口を開く。
「……それさ……俺、ちょっと今日、心配になったよ」
「何に?」
真帆の問いに、俺は口にするのを悩んだが、ここまで言って話さないのはないだろうなと思って口を開く。
「投票会場、白が多かった……」
「うん……」
「てかさ……村のためになることだと思ってはいたものの、賛成とまではいってなかったのが、気持ち的には近かったんだよね」
「なるほど」
「でも、個人的にちょっとあって……今日のこともあって、気持ちよくないっていう直哉の気持ちもわかるってなった」
「わたしたち、やっぱり親友だね」
「……やめろよ、教員がそんなこと言ってるってばれたら、怒られるぞ」
笑った真帆は、わざと目をきょろきょろとさせて店内を見渡すと、声量を抑えたまま言う。
「ところで、彩花ちゃんとはどこまで?」
「……お前、そういうこと聞く?」
「お店、継いであげんの?」
「は?」
意外なことを言われて、俺は目を丸くする。
「どういうこと?」
俺の問いに、彼女もきょとんとする。
「え? だって、一人娘だよ? 彩花ちゃん」
「……」
「何にも考えず、付き合うだけ? あんたはやっぱ、不誠実なオスよ」
「……ひどいな、それ」
苦笑を返すのが、やっとだった。
たしかに、真帆の言うこともわかるが……そこまでちゃんと考えて付き合うのは珍しいと反論しようとして、やめた。
俺も三十だし、彼女も二十八で、いい大人だ。当然、そういうことを考えないで交際する年齢……とは言えない年齢になってきたと自戒した。それに、彼女のご両親は俺とのことを聞いたから、今日のあの態度だったのではないかとも思ったのだ。
彩花のことだ。
きっと、俺とのことは話しているに違いない。
彼女の両親は、当然ながら、もしこのままうまく進んだとして、お店を継いでくれるんだろうかと考える。
娘のことを考えると同時に、食品店のことを考えるはずだろう。
何も言えないでいると、真帆が俺の肩をポンと叩いた。
「ごめん、よけいなこと言った」
「いや、ありがと。何も考えてなかったからさ……」
真帆はここで、周囲を再度、気にして口を開く。
「でも、お店は大変だから、あんたじゃ無理か」
「その言い方。焚きつけたくせに」
俺は笑顔で抗議したが、彼女は真面目な顔だ。
「ううん、冗談じゃなく……やっぱ経営、大変みたいよ」
「……そうなの?」
「当たり前じゃない。木佐呉に大手スーパーいっぱいできているから、皆はそっちに行っちゃって……食品だって値上がりしてて……」
「たしかに……」
「最近、陳列棚が寂しいなって思うこと、増えてきてさ……勝手に心配してる」
たしかに……この村の、個人に毛が生えた食品店では厳しいだろうなと思う。
真帆は、また俺の肩をポンと叩く。
「ま、悩んでもしかたないっしょ。好きになっちゃったんだから」
「……その言い方!」
再び、笑顔で抗議をする。
今度は、真帆も笑ってくれた。
「じゃ、今晩はデートだろうけど、開票結果はちゃんと気にしていなさいよ」
「はい、お待ちどうさま」
店主が蕎麦を運んできて、受け取る。
そうだ。
今晩は、開票だ。
俺は、投票会場の光景を脳裏に描く。
白い人たちばかりが、目立った会場。
よくない結果を予感して、笑みを消した。
-・-・-・-・-
木佐呉にあるイタリアンレストランで食事をした。
県内に三店舗を展開するレストランで、子供の頃は祝い事の時に連れて来てもらえる場所だった。
帰路の車中で、彩花がスマートフォンを操作する。
村役場の、ホームページを開いたようで、投票結果を口にした。
「開票速報、来てますよ……え?」
「どうしたの?」
「……開票率、三十パーセントで、反対派の人が一人と、賛成派の人が二人、当確です……」
「反対派の人は?」
「高木雄一さんです」
高木さんだ。
良かった、という気持ちよりも、昼間のよくない想像を思い出して、少し緊張した。
工業団地を抜ける道を選ぶ。
DHI木佐呉工場は、生産ラインは二十四時間稼働なので、前を通ると明々としていた。
天露村へと向かう県道へと入る。
くねくねと、ゆるやかに上った後、天露村へと今度は下りが続いた。
「あの、先輩」
「……ん?」
ハンドル操作をしながら、ちらりと彩花を見る。
「わたし、契約更新してもらえるんでしょうか?」
工場の、契約のことだとわかる。
「十月の更新は大丈夫だったんですけど……四年目後半なので心配で」
「ごめん。俺から人事に、確認することなんてできないから……」
「そうですよね……すみません」
夏から現在にかけて、契約更新されない非正規社員の数は増え続けている。
表向きは、工場全体の人員計画の見直し……これはすでに、発表されている。
ただ、現場では別の噂もあった。
四年を過ぎた人間から危ない。
有期契約が五年を超える前に、会社は整理をかけているのではないか……と。
もちろん、人事がそんなことを口にするはずはない。だが、実際に更新されなかった人たちの勤続年数には、俺が知る限りでも嫌な符合があった。
彩花の場合、更新は四月、七月、十月、そして次回が一月……だけど、こればっかりは俺にどうこうできることじゃない。それでも、彼女が俺に尋ねたくなるのも理解できた。
真帆との会話を、思い出す。
お店のこと、仕事のこと……彩花はいつも明るいけれど、そういうのを普段は出さないようにしているだけなのかもしれない。
俺は、車道の途中にある待避スペースに車を停めて、彼女を見た。
「ごめん。何もできなくて……不安だよね?」
「……すみません。先輩は悪くないのに……ただ、やっぱり不安です。ほら、村って仕事、ないじゃないですか」
たしかに。
「実は、ちょっと心配だったから求人サイトに登録して、いろいろ探してるんですけど……お店の手伝いをしながら、働くとなると正社員て難しいんです」
彼女は、膝の上に置いたスマートフォンを見ているようで、そうではなかった。
「お父さんとお母さんだけじゃ……でも、アルバイトを雇う余裕ないし……でも、わたしが外で働かないと家も大変なんで……愚痴ってごめんなさい」
もしかして、彼女の収入も、家族の生活費にあてているんじゃないかという考えがよぎる。
「今の仕事、シフトを選べるので本当に助かっているんです……だから、続けたくて」
俺は助手席に手を伸ばし、驚く彼女をゆっくりと運転席へ抱き寄せた。
抱きしめて、髪を撫でる。
スケベ心じゃなくて、ただそうしたいと思った。
「俺、お気楽でごめん……ちょっと、時間もらえない? ちゃんと考えたいから」
「……何をですか?」
「いや、なんというか……都内に戻りたいと思っていることとかふまえて、全体的なこと、俺はちゃんと考えるよ」
「よくわかりませんよ」
「ごめんね……説明、難しいんだ。でも、彩花とのことを、ちゃんと考えたいってことだから」
彩花は、俺の腕の中で小さく頷く。
ゆっくりと、彼女を助手席に戻した。
「キスくらい、してくれるのかと思ったのに」
彩花の言葉に、もう一度彼女を抱き寄せて、キスをした。
離れようとしたけど、彼女が俺の袖を少し掴む。
もう一度、キスをする。
ゴトっという音で、俺たちは自然と離れた。
彩花のスマートフォンが、彼女の膝から助手席の足元に落ちている。
拾おうとした彼女は、スマートフォンを掴んだところで声を漏らす。
「あ……」
「え?」
「……負け……です」
負け?
彼女が、スマートフォンの画面を俺に見せた。
反対派は、二人が当選。
賛成派は、五人が当選。
それが、今回の村議員選挙の投票結果。
俺は、何も言えないまま、スマートフォンから視線を逸らして、外を見つめる。
そこには、暗闇があるだけだった。




