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22/22

Ep.22 帰路

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

陽はベンチの上で、買い物袋の取っ手を指でいじりながら、少しだけ視線を落とした。


「私ね」


静かな声だ。


「のりくんが思い出を忘れたことは、怒ってないよ」


木漏れ日が揺れる。

ザァ、と葉がなく音が聞こえる。


「そこじゃないから」


胸が詰まる。

分かっていた。

本当はずっと。


「……今後の話、だったよな」


陽が小さく笑う。

寂しそうな笑顔だった。


「うん」


風が吹く。

遠くで子どもたちの声が聞こえる。


「私、結婚したかったわけじゃないんだ」

「え……?」

「ああ、違うな、もちろんしたかったよ。でもね」


膝の上で細い手が重なる。

彼女の左頬を掠める光が、輪郭を白く飛ばしている。

髪をなびかせる風が過ぎ去って、ひたり。

真っ直ぐに目が合った。


「私が欲しかったのは籍じゃなくて、未来だった」


その言葉が胸に刺さる。

陽は笑う。

泣きそうな顔で。


「写真をやめてほしいなんて、一回も思ったことないよ」


肩が揺れた。

思っていた理由と、陽の思いが違いすぎて。

咄嗟に言葉が出ない。


「むしろ続けてほしかった」

「……陽」

「だって、写真撮ってるのりくんが好きだったから」


その言葉が苦しい。

優しいからこそ苦しい。


──いつか仕事が安定したら


──いつか売れたら


──いつかカメラだけで生活できるようになったら


「……あの日ね、のりくんが“仕事、変えようと思う”って言ったとき」


ずっと、追いかけていた夢を諦めようとした。

いつか、いつか、と願っていた夢を。


「私、……すごく怖かったんだ」

「怖い?」


陽は小さく頷いた。


「だって私は、のりくんの写真が一番好きなんだよ。それを“安定のためにやめる”って言われたら……なんか、私のせいでのりくんの未来を狭めちゃうみたいで」


言葉を失う。

そんなつもりはなかったのに。

ただ、一緒にいたかっただけなんだ。

慌てて首を振る。


「でも俺は、陽と一緒に生きるために……」

「うん。分かってる。のりくんが私のこと考えてくれてるのも、全部分かってる。でもね……」


小さく笑った。

泣きそうな笑顔だった。


「私、のりくんとの“安定した未来”より、のりくんの“好きな未来”を一緒に歩くほうが欲しかったんだよ」


心臓が一拍分、遅れて跳ねた。

喉の奥がぎゅっと縮む。


「……それで、実家に帰ったのか」

「うん。のりくんが私のために“好き”を手放そうとしてるのが、どうしても受け止めきれなかった」


ビックリして。ぐちゃぐちゃで。

そう言って、陽は空を見上げた。


「……私たち、同じ未来を見てると思ってたのに、そこに行く道が全然違ってて。怖くなっちゃったんだよね」


拳を握る。

もう逃げたくなかった。


「…………こっちに来る途中で、ずっと考えてた。人を撮るって、その人の何を残すことなのか」


陽が顔を上げる。

シャッターを切るのは、一番綺麗な瞬間か。

本人が見せたい顔か。

それとも、見せていない部分か。


「俺は今まで“一番分かりやすい答え”だけを撮ってきたって気づいた」


陽の写真を何度も見返した。

当時は最高だと思ってた。

でも今見ると、写真の中の笑顔だけが、妙に鮮明に感じた。

残していたのは彼女ではなくて、自分の都合のいい形だったのか。


「撮るのがこわくなった…………でも、旅先で会った人たちが、背中を押してくれたんだ」


正解は、今もわからない。

俺はまだ何も成し遂げてない。

でも、誰かにとっては“何かを決める理由”にはなっていたかもしれない。


「俺、順番を間違えてたんだな」


声が震える。


「成功したら結婚するんじゃない」

「……」

「陽と生きるために、成功も目指すべきだったんだ」


風が吹いた。

陽は何も言わない。

ただ、じっとこちらを見ていた。

その沈黙が怖かった。

昔の俺なら、きっとここで答えを急いだ。

笑ってほしい。

許してほしい。

安心したい。

でも今は違う。

陽が今、何を考えているのか。

どんな顔をしているのか。

その全部を見届けたかった。

葉が揺れ、降り注ぐ光が舞う。

まるで、ずっと待っていた答えを聞くみたいに。

だから俺も逃げなかった。


「写真は続ける。生活もちゃんと選ぶ。陽といる未来を決めに来たんだ。まだ、やり直せるなら……俺と一緒にいてほしい」


息を呑む音が聞こえた。

シャッターを切れなかった瞬間とも、どこか重なるんだ。

もう変化は始まっているのに、まだ形になっていない──そんな時間があることに気づけた。


「……ごめん、少し考えさせて」


返事は保留。

しばらくの沈黙。

子どもたちの声も遠ざかって、ベンチの周りだけ時間がゆっくりになったようだった。

陽は膝の上の手を見つめている。

俺も何も言わない。

言葉を重ねれば重ねるほど、今は軽くなってしまう気がした。


「……家まで送る」

「近いのに」

「いい」


そう言うと、陽は観念したように肩をすくめた。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


その笑顔は、さっきよりほんの少し自然だった。

並んで歩き出す。

少し前までは、当たり前だった距離。

肩が触れそうで触れない。

公園の前に数台停められている、子ども用の自転車。

道端に揺れる名を知らぬ花。

そんなものばかりが目に入る。

話さなければと思うのに、何を言えばいいのか分からなかった。

でも不思議と苦しくはない。

沈黙を埋めなくてもいいと思えたからだ。


「……のりくん、変わったね」


その声は優しいのに、どこか距離があった。

返事をしようとしたが、陽は首を振る。


「今日、来てくれてよかった」


陽の家の前まで来たところで、陽が立ち止まる。


「……ここまででいいよ。親、いるから」


そう言って、少しだけ申し訳なさそうに笑う。

俺も頷く。

息を吸い、言葉を探す。


「……陽。もうひとつ、言わなきゃいけないことがある」


陽がこちらを向く。

なあに、と柔らかく浮かぶ微笑みが重なる。

どの写真も笑ってた。

やっと気づいた。笑顔しか撮っていなかったこと。

彼女が笑っていない瞬間の記憶がほとんどない。


「応援してくれて、支えてくれて、ありがとう」


言葉にすると、思っていたよりずっと重かった。

陽はまた、少しだけ目を見開く。


「……今さらだね」

「うん。今さらだ」


苦笑する。

本当に今さらだった。

支えられていたことも。

待ってもらっていたことも。

当たり前みたいに隣にいてくれると思っていたことも。

全部。


「ねえ」

「ん?」

「今ののりくんは、撮れる?」


不意な問いだった。

風が吹く。

花壇に咲く花が揺れる。

俺は陽を見る。

泣きそうだった顔も。

怒れなかった優しさも。

不安も。

期待も。

全部抱えたまま立っている人を。


「たぶん」


ゆっくり答えた。


「前よりは」


陽が少しだけ目を細める。


「そっか」


それだけ言って、小さく頷いた。

そして扉に手をかける。

振り返るその表情は、初めて会った日より大人で、それでいて少しだけ昔のままだった。


「ちゃんと考えるから」


胸の奥で何かが静かに鳴った。

希望なんて大げさなものじゃない。

ただ閉じられていた扉が、ほんの少しだけ開いたかのようだ。

陽は家の中へ入っていく。

背が見えなくなるまで見届けて、俺はゆっくりと歩き出した。

角を曲がった瞬間、胸の奥がふっと空洞になったように感じる。

歩くたびに、靴底がアスファルトを叩く音がやけに大きい。

少し冷えた風が頬を撫でた。

さっきまで陽がいた距離が、もう手の届かない場所みたいに遠くなる。


「……一緒に歩きたかった、か」


陽の声が、耳の奥で柔らかく反響する。

その言葉が優しいほど、胸の奥がじんと痛んだ。

“やっと向き合えたんだ” 、そう思う一方で。

“もう戻れないかもしれない” 、という不安も同じくらい強かった。

ふと立ち止まる。

来るときも見た景色と同じはずなのに、まるで別の場所みたいだ。

喉の奥が熱くなる。

息を吸うと、胸がきゅっと縮んだ。


「……会いたかった、なんて言って……」


言葉にした途端、胸の奥の何かがほどけた。

視界がじんわり滲む。

涙なのか、風のせいなのか。

自分でも分からない。

十三年分の記憶があやふやになっているのに。

陽の表情だけは、今日のあの瞬間だけは。

やけに鮮明に焼きついて離れない。

歩き出そうとした足が、少し震えた。


「……補える」


笑った日も。喧嘩した日も。

どこかが欠けているように感じる。

陽が言った言葉を思い出す。

曖昧でもいい。二人いれば補える。

その優しさが、今は少しだけ苦しかった。

でも、苦しいのに、前より少しだけ息がしやすい。

曖昧な記憶。

曖昧な関係。

曖昧な未来。

曖昧なままでも、全部を抱えたままでも。

それでも歩いていける気がした。

風に涙の跡を冷やされながら、俺はゆっくりと駅へ向かって歩き出した。


帰りのホーム。

電車を待つ間にふと、スマホを取り出す。

陽からのメッセージは、やっぱり来ていない。

それでも“既読”の文字が、胸の奥でじんわりと温かく広がる。

ポケットに仕舞おうとしたスマホが震えた。

写真コンテスト事務局からの通知。


 【重要】第十三回 写真コンクール 入賞内定および今後の手続きについて


応募したのは、別れる前に撮った陽の写真。

あの日の光、あの日の表情。

画面が滲む。

受賞が嬉しいのか。

陽を思い出したのか。

もう分からない。

十三年のすべてが写っていた一枚。

その瞬間、気づく。

少し前までは、「これ、いいだろ」って見せる相手がいた。

今回の旅でも撮り続けられたのは、そういうことなのかもしれない。

彼女がいたから、続いた。

陽に見せる、彼女と共有するための。

陽を撮る、彼女を知るための。


「俺はずっと、撮りたくて写真を続けてきたんだ」


写真は記録だけじゃなく、共感や理解の手段に。

確かにその場に触れた証として、写真はそこにあったのだ。


ご一読いただき、感謝いたします

少しでも楽しんでいただけましたら、評価やご感想をいただけますと幸いです

リアクションや感想はすべて拝読しており、執筆の糧とさせていただいております

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