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Ep.01 神戸

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

車窓から見える景色は、記憶の中のそれとは幾分か様変わりしていた。

瀬戸内の海は、こんな色だっただろうか。

肩に食い込むカメラバッグの重みだけが、あの頃から変わらない。

二〇一三年。俺の隣に、まだ彼女がいたあの頃と。

窓の向こう。

陽光にきらめく瀬戸内の海に、目を細める。

不思議なくらいにゆったりとした気分だ。


──急がない旅が、いちばん贅沢かもしれない


どこかで目にしたその言葉を、今の俺は、呪文のように心の中で繰り返している。


「まもなく神戸、神戸です。地下鉄線はお乗り換えです」


アナウンスが流れた瞬間、指先が微かに震えた。

昔、ここで降りた時は、彼女の手を引いていた。

一昨日、十三年続いた関係は終わってしまった。

今は重い相棒だけが、俺の供だ。

金沢からの移動で新幹線と特急、新快速を乗り継ぎ、およそ三時間。

立つついでにグッと一度伸び、スーツケースと相棒を持って、列車をあとにする。

ホームに降りた瞬間、潮の匂いがわずかに混じった、ほんのり生暖かい風が頬を撫でた。

こんな匂いだっただろうか、と一瞬考えて、すぐにどうでもよくなる。

改札を抜ける足は、迷いがないようでいて、どこか頼りない。

けれど、行き先は決まっている。

コインロッカーにスーツケースを預け、カメラを持って構内を出る。

かつて、並んで歩いた道。

思い出そうとしても、霧がかかったみたいにボヤけている。

一応マップ案内と照らし合わせながら歩くが、こんな景観だっただろうか?

それでも、覚えているものもある。

見覚えのあるものもチラホラ見えてホッとした。

彼女と笑いながら何気なく立ち止まった場所や青空に存在感を主張する大きな観覧車。

思い出の断片を拾うように、海の方へ向かって歩く。

ハーバーランドに出ると、視界が一気に開ける。

吹き抜ける風音と潮騒と、どこか浮ついた空気。

あの頃と同じようで、やはりどこか違う。

スマホでシャッターを切る。

反射的に、何も考えずに。

画面に映ったそれは、悪くない構図だった。

光も、色も、きっと問題ない。

なのに、何も残らなかった。

さっきまで目の前にあったはずの空気が、薄く引き伸ばされたみたいに感じる。

ふと、白い船体が目に入った。

神戸港を巡る遊覧船。

ゆったり、桟橋と揺られている船体。

そういえば、一緒に乗った気がする。

あれはこの船だっただろうか?

気がつけば、俺はチケット売り場の列に並んでいた。

平日だというのにカップルも多い。

二〇一三年の俺たちも、あんな風に笑っていただろうか。

思い出そうとするほど、彼女の表情の柔らかさに胸が軋んで、グッと奥歯を噛んだ。

手にしたチケットは、やけに軽かった。

それを仕舞い、踵を返す。

時刻はまだ九時半前、乗船時間まで余裕がある。

ハーバーランドも開店前のため、ブラブラと歩き始める。

昔来た時は、彼女と何を食べたんだったか?

各館のフロアマップを見ても食べた店を思い出せず、断念した。

館内を見たら思い出すかもしれない。

そうしたらそこで昼食にしよう、と心に決める。

歩いて行けば壁面に、ヒーローショップのロゴが見えた。

あそこには行かなかったな。

彼女は入りたがっていたが断念したはずだ。

入ろう、と手を引けばよかった。

時間はたっぷりあったのに。

やや緩やかになった歩調を、意識して早める。

パッと開けた視界に、大きな観覧車。

赤やオレンジなどカラフルで鮮やかな骨組みが、抜けるような青空を鋭く切り裂いている。

露出を少し下げれば、もっとドラマチックな孤独が撮れるだろう。

そんな職業病のような思考が、今はひどく空虚だ。

相棒のファインダーを覗いてみるが、指が動かない。

緩く首を振って、相棒を肩にかけ直す。

観覧車は乗らなかった。

彼女は高い所が苦手だから。


 「絶対無理!後悔しても降りれないもん。でもカラフルでかわいい」


彼女は観覧車を見上げ、笑っていたが。

あれは本気で嫌がっていたな。

フッと口元が綻んだ。

見上げていた首を戻し、更に歩けばハーバーウォークに出た。

足元で、乾いた音が一定のリズムを刻む。

木のデッキを踏むたびに、わずかに軋むような感触が伝わってくる。

手すりに肘を預け、ぼんやりと海を見た。

視線の先で、波が光を細かく砕いている。

キラキラとしたその揺らぎは、どこか掴みどころのないもののようだ。

あの時も、こうして海を見ていた気がする。

隣に、彼女がいて。

何かを話していたはずなのに、その内容はきれいに抜け落ちていた。

思い出そうとすると、場面だけが先に浮かぶ。

無声映画みたいに、口が動いている。

だから、それが本当に自分の記憶なのか、確信が持てない。

笑っていたこと。

風が強かったこと。

少しだけ、距離が近かったこと。

それだけしか覚えていないのに、本当に一緒にいたと言えるだろうか。

無意識に、カメラへと手が伸びる。

ファインダーを覗くと、視界が切り取られる。

余計なものが消えて、ただ形と光だけが残る。

癖のように、指がシャッターボタンにかかる。

やや離れた場所で、カップルらしき誰かが海に向かってスマホを掲げていた。

風に揺れる髪と、白く飛びかけた空。

何度も角度を変え、笑い声をあげながら思い出を記録している様を。

風景の一部としてフレームに収める。


  パシャ


乾いた音が、思ったよりもはっきりと耳に残った。

液晶を確認する。

構図は悪くない。

光も柔らかく回っている。

被写体の配置も、きっと問題ない。

ちゃんと“撮れている”。

なのに。

胸の奥に、何も引っかからなかった。

もう一度、同じ場所を見る。

さっきの二人はもうスマホを下ろしていて、笑いながら歩き去っていく。

俺たちも、あんなふうに笑っていた気がする。

けれど、それが本当に“あの時の俺たち”だったのか、

もう自信がない。

撮った画像を消し、カメラを下ろす。

彼女を撮った写真は、どうだっただろうか。

ふとそんなことが浮かんで、すぐに消した。

思い出そうとすれば、いくらでも思い出せる気がする。

どんな表情で、どんな光の中で、どんな距離で撮っていたのか。

記憶のなか、笑顔だけが、妙に鮮明だ。

けれど、それを実際に確かめることに、どこか躊躇いがある。

代わりに、レンズキャップを指で弄ぶ。

小さな傷がいくつもついていることに、今さら気づいた。

こんなもの、前からあっただろうか。

どうでもいいことばかりが、やけにはっきりと目につく。

喉が、軽く渇いていることにも気づいた。

何か適当に買うか。

それとも、船に乗ってからでもいいか。

頭の中で、そんな取るに足らない選択肢を並べる。

ふと腕時計を見る。

思ったより時間が経っていた。


「……そろそろ、戻るか」


誰に言うでもなく呟いて、来た道を引き返す。

中突堤のクルーズ乗り場まで戻ってきて、足が止まる。

乗船客が乗り込んで行くのをただ眺める。

カップルに混じって、一人の女性も乗っていった。

そういえば、チケットを買う時に見かけた気がする。

俺の他にも一人客がいることに少しホッとした。

けれど、足は動かない。

乗る理由なら、いくらでもある。

取材でもいい。

写真でもいい。

ただの暇つぶしでもいい。

そういう体裁はいくらでも整えられる。

問題は——それでもなお、乗る理由が足りないと感じることだ。

それが、ひどく気持ち悪い。

ふと、甲板から笑い声がひとつ落ちてきた。

反射的に顔を上げる。


——ああ。あの時も、こんな音だった


考えるより先に、足が動く。


 「のりくん、早くー」


頭のなかで、聞こえた声に誘われるように。

岸壁に停まる船体が、朝の光を受けて淡く輝く。

乗客たちが手すりにもたれ、港の景色を眺める中、船のエンジンが静かに唸りを上げる。

空気を震わせるその音に、指が震える。

乗船時間の通知。

思い出の答え合わせをするための、執行猶予が終わる合図のようだ。

ロープが少しずつ解かれ、船はゆっくりと岸を離れる。

波を切る水音と小さな推進音だけが港に響く。

ポートタワーや倉庫の向こうに街の輪郭が広がり、船が水面に描くさざ波が、これから始まる航路への期待を静かに告げていた。


ご一読いただき、感謝いたします

引き続きお楽しみいただけましたら幸いです

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