後編
少し飛ぶと、ヒノの背中からは、クッキーが焼ける良い匂いがしてきました。ヒノの後ろを飛んでいる小鳥と、その背中に乗っているピノは、涎をすすりました。
「うわぁ、なんて良い匂いなんだ。きっと甘くてとびきり美味しいぞ」
ピノはそのクッキーの味を想像して、また涎をたらしました。
「ピノさん、そろそろ45分ですよ。下に降りますから、クッキーの入れ替えをしてください」
「はぁい!」
ヒノが下に降りて、おじいさんに言われた通り、上の段と下の段の天板を入れ替えると、下の段のクッキーはふっくらと膨らんで、こんがりと薄いきつね色になっていました。ふわふわのどんぐりの形からほくほくと湯気が上がっています。
「はぁあ、すごく美味しそう。ねぇ、味見しても良いかなぁ」
「ダメですよ。お客さんのものなんですから」
「えー・・・」
ここでおあずけを食らってピノはお腹がキュルルと鳴りました。でも、仕方がありません。おじいさんの娘さんが楽しみに待っているのですから、ちゃんと届けなければならないのは、ピノにも分かっていました。
「さあ、行きましょう。あと一息ですよ」
「うん、行こう!」
そうして二人はまた出発しました。
どんぐりのお祭りに行けば、きっとピノもクッキーを少し分けてもらえるでしょう。他にもごちそうがたくさんあるはずです。ピノは感謝祭がさらに楽しみになりました。
2回目のクッキーたちも良い匂いが漂い始めてきました。もうすぐ西の森です。
ところが、上空を飛んでいたヒノが「あ!」と叫びました。
「どうしたの?」
ピノが聞きました。
「突風が来ますよ!ピノさん、小鳥と一緒に避けてください」
「え、どこに!」
「ついてきてください」
ピノの目には見えませんでしたが、鳥さんたちは突風が来ることがわかるのでしょう。
ヒノは大きな羽をグンと動かして、少し左に曲がりました。その後ろをピノを乗せて、小鳥が必死にパタパタと追いかけます。突風に追いつかれたら、クッキーどころか、ヒノも小鳥もピノもみんな落ちてしまうでしょう。
「こっちですよ!」
「うん!」
ヒノは突風を避けるために、随分と身体が傾いています。クッキーは大丈夫でしょうか。
小鳥がまた左に曲がった時、ピノの右の耳元で、風がビュン!とすごい音を立てて通り過ぎました。寸でのところで小鳥は突風を避けられたのです。
「また来ますよ!気を付けて!」
ヒノが前で叫んでいます。今度は右に曲がって飛んでいきました。
その時、ヒノの飛んでいる下からすべてを掬い上げるように、ものすごい風が吹き付けました。
「うわぁ!」
ヒノも小鳥も突風にあおられて、ビューンと上の方へ飛ばされました。
「うわわわわ!」
ピノは小鳥にしがみつくしかありません。
だけど、しがみつきながらチラリと横目で見ると、小さなどんぐりが空をバラバラと飛んでいます。
「あ、クッキーが!」
そうです。風に飛ばされて、ヒノの背中にあったクッキーが飛び出してしまったのです。
「大変だ!クッキーが!」
ヒノも大慌てで、羽根を動かし、飛んでしまったクッキーを背中で受け止めようと飛び回っています。
だけど、全部を回収することはできませんでした。クッキーは森の中へ落ちてしまったのです。
「あー・・・クッキーが、大切なクッキーが」
ヒノは、泣きそうになりながら森の中へ降りました。
せっかく“ホット宅配便”の初めてのお仕事だったのに、荷物が飛んでしまったのです。
「大丈夫、まだ背中に半分以上残ってるから。急いであったかいクッキーをどんぐりのお祭りに届けよう」
ピノはヒノを励ますように言いました。
そうです。しょげていてもどうにもなりません。ヒノは頷くと、飛び上がり感謝祭へ向かいました。
ヒノとピノがどんぐりのお祭りに降り立つと、集まっていた人たちが笑顔で迎えてくれました。
「森のお菓子屋さんからお届け物ですよ」
ピノがヒノの背中から、天板を下ろすと、みんなが一斉に歓声を上げました。
「おやまあ!これはポットさんの!」
「ポットさんのクッキーが食べられるなんて」
「しかも温かい、焼き立てホカホカ」
お皿に並べて、みんなで口に入れると、甘い優しい味がホロリと溶けだすようでした。
ピノもやっとクッキーを食べられてとても満足でした。
ただ、ヒノだけは、少しばかりクッキーを落としてしまったので、ため息をつきながらクッキーを食べていました。それだって、美味しくいただきましたけどね。
どんぐりのお祭りはたくさんのごちそうがあって、森の実りをお祝いしていました。本当にこの森は、美しくて豊かなのです。
お祭りは夜まで続き、暗くなってくると森の中に明かりがいくつも灯されました。
いつもは明かりなどありません。年に一度だけ、幻想的なお祭りの夜です。
だけど、子どもたちはお家に帰る時間です。お母さんに連れられて、子どもたちはお祭りを終えて帰って行きました。
ピノのところに1人の女の子が来ました。
「ねえ、今日はウチに泊まりに来ない?」
女の子は1人でした。小鳥と一緒に1人で来たのでしょうか。
「良いの?」
ピノが聞くと、女の子は嬉しそうに笑いました。
「うん、ウチでママが待ってるから。お友だちを連れて行ったらきっと喜ぶと思って」
「ありがとう。僕はピノ。君は?」
「パコよ、さ、行きましょ」
二人は小鳥に乗ってパコの家に向かいました。ヒノも一緒について行きました。
パコのお家に着くと、お家の中にはお母さんが椅子に座って待っていました。手元に杖があります。
「ただいまぁ」
「こんばんは」
「あら、こんばんは」
ピノが挨拶をすると、パコのお母さんは少し驚いて、それでも嬉しそうに笑いました。
「ママは足が悪いから、お祭りに行けなかったの」
と、パコはピノに言いました。
すると、お母さんは笑顔で言いました。
「だけどね、ママも今日はお祭りの気分を味わったわよ」
「え?」
パコとピノが声を揃えて聞くと、お母さんは膝かけをとりました。
「ほら」
お母さんのスカートには、どんぐりクッキーが乗っていて、美味しそうな匂いが漂いました。
「ママがお外で日向ぼっこをしていたら、このクッキーがママのスカートにたくさん降ってきたのよ」
お母さんは嬉しそうに笑いながら言いました。
「まあ、ママ!すごいわね。私もこのクッキー食べたわ!とっても美味しいわよね」
パコも興奮して答えました。
「そうね、とても美味しいわ。この味は、森のお菓子屋さんが作った味だわ。とっても懐かしい味。これが空から降ってきた時はびっくりしちゃったわ。本当に不思議だもの」
「あのそれ」ピノがおずおずと言いました。「僕たちが運んでいたんです。ここまで来た時に、風に吹き飛ばされちゃって」
「まあ、あなたが?でも、焼き立てみたいにホカホカだったわよ?」
「それは、ヒノがクッキーを焼きながら飛んできたからなんです」
ピノはお菓子屋さんのおじいさんからクッキーを託されたこと、また、ヒノは“ホット宅配便”屋さんだということを話しました。
「そうだったの。どうもありがとう」
お母さんはとても幸せそうに笑いました。
その夜、もうパコもピノも眠ってしまってから、お母さんは杖を付いて、外の木の上で寝ているヒノを探しました。そして、ヒノのいる木の下から呼びました。
「もしもし、ヒノさん」
ヒノはすぐにお母さんのところへ降りました。
「はい、なんでしょう」
「ヒノさん、美味しいクッキーを届けてくれて、どうもありがとう。あなたじゃなければ、私はクッキーを食べることができなかったわ」
「でも、私はクッキーを落としてしまったんです」
「あなたが、落としてくれたから、お祭りに行けない私もアツアツのクッキーが食べられたの。本当にありがとう」
お母さんが焼き立てのクッキーを食べられたのならば、きっと良いことだったのでしょう。残念なことだと思っていたのに、役に立てて、ヒノはそれまでの憂鬱な気分が晴れました。
「それで、お願いがあるのよ」
「はい、なんでしょう」
「その天板を返しに行くときに、この手紙を一緒に届けてほしいの」
お母さんはヒノに手紙を託そうとしました。
「すみません、私は手紙を運べないんです」
「どうして?」
すまなそうに、声を小さくして謝るヒノにお母さんは聞きました。
「私は熱い火の鳥なんです。私が運ぶものはなんでも焦げてしまうんです。手紙を運んだら、森のお菓子屋さんに着く前に黒こげになって読めなくなってしまいます」
「そうなの・・・じゃあ、天板の間に挟んでおくから、黒こげになってしまっても良いから、それを届けてちょうだい」
お母さんはそう言って、重ねてある天板の間に手紙を挟み込みました。
次の日の朝早くに、ヒノはピノと別れて、森のお菓子屋さんに戻りました。
天板を返しに行くことと、お母さんの手紙を届けるのです。
とはいえ、手紙をなるべく焦がさないようにしなければなりません。ヒノは熱くなりすぎないように注意深く飛びました。
ヒノの頭の毛には、風で飛んできた落ち葉がささっていました。その葉っぱは、ヒノの熱さでみるみるうちに焦げてしまいました。そんなヒノが、手紙など無事に届けられるでしょうか。
天板の間に挟まっていれば、少しは焦げないでいるでしょうか。
ヒノは時々、気になっては、天板から手紙を出してみました。
「まだ大丈夫だ」
手紙は封筒の中ですから、封筒が焦げていなければきっと大丈夫でしょう。
それから、また少し飛んで、また手紙を見てみました。
「ああ、少し焦げ始めている」
端っこから封筒が黒くなり始めています。急いで届ければなんとか中身が読めるでしょうか。ヒノはまた天板に手紙を挟むと、飛び始めました。
次に手紙を見たときには、もう封筒は真っ黒でした。
「どうしよう!もうこんなに真っ黒になっちゃった!」
このままでは、中身はもう読めないかもしれません。いや、今かろうじて読めたとしても、お菓子屋さんに着くころには中身も真っ黒、それどころか、灰になってるかもしれません。
ヒノはすぐに飛びました。
だけど・・・またすぐに下りてきました。
「もうダメだ!」
パコのお母さんの書いた手紙。きっと大事な手紙でしょう。灰にするわけにはいかない。だけど、ヒノにはこれ以上熱くならないで飛ぶことはできないのです。
ヒノはどうしようもなくなって、それを破いてしまいました。
「うう、うう」
ヒノは泣きながら飛びました。
そして、やっと森のお菓子屋さんにたどり着きました。
「おじいさん、ただいま」
「おや、ヒノ!クッキーを届けてくれて、ありがとう。それに、もう天板を返しに来てくれて、ありがとう」
おじいさんは、ヒノをねぎらって優しく声をかけてくれました。
おじいさんがヒノの背中から天板を10枚下ろすと、その天板から真っ黒な紙がパラりと落ちました。
「おや、これは?」
おじいさんが拾うと、それは封筒のようでした。上の方が少し破けていて、中身も真っ黒の紙でした。
「おじいさん、すみません。私は手紙を預かってきたのですが、どうしても焦がしてしまって、そんなに真っ黒になってしまったんです」
ヒノは申し訳なくて、小さな声で謝りました。
熱い火の鳥のヒノなのですから、クッキーを焼きながら飛ぶことはできても、手紙を焦がさないで飛ぶことができないことくらい、おじいさんにはわかります。
「なにを言うんだい。クッキーをちゃんと届けてくれて、こうして天板も返しに来てくれて、君は立派な宅配便の鳥さんじゃないか」
ヒノはそう言ってもらえて、悲しそうな顔をして、それでも無理やり笑おうとしました。そして、お礼を言おうと思いましたが、上手く口が動きません。
「あの、おじいさん・・・悪いと、思ったのですが・・・手紙の中を見せてもらいました。それで・・・書いてあったことを、言います」
ヒノは一度静かに息を吐いて、口を開きました。それは、手紙に書いてあったことです。
「『おとうさん、クッキーをありがとう。とても美味しかったです。パティ』・・・そう書いてありました。焦がしてしまって、すみません」
おじいさんはそれを聞いて、それから真っ黒焦げになった手紙を見つめました。うんうん、と何度もうなずいて、優しく笑いました。
「ちゃんと手紙も届けてくれて、ありがとう」
おじいさんはそう言うと、たくさん瞬きをして、メガネをはずしました。それから、また笑顔になって
「さあ、中に入って美味しいお菓子を食べようじゃないか」
と、言いました。
お互いを思いやる優しい気持ち、ヒノはそれをちゃんと運ぶことができたのです。おじいさんと、お嫁に行った娘さんは、ヒノが運んだあたたかい幸せを受け取りました。
少し遠くてなかなか会うことはできませんが、素敵な贈り物が届いて、おじいさんも娘さんも、そのまた娘さんのパコも、みんなが幸せを届けてもらった感謝祭でした。
おしまい