第19話~暴発~
マードレッドに母親の記憶はほとんどない。
ずっと父と二人で暮らしていたから、幼い頃は母親がいないことを意識したことすらなかったように思う。
最初に母親の存在を意識したのは何時のことだっただろう?
あれは確か同世代の子供がドワーフばかりで、デカ女と呼ばれてイジメられた時だ。
泣いて帰って父から母親の話を聞き、その時初めて自分がドワーフとヒューマンの混血であったことを知る。
母親は冒険者として活動する魔術師だった。若き日の父は故郷を離れ鍛冶師として修業中、活動拠点が同じだった母親のパーティーと偶然親しくなったのだそうだ。
ドワーフである父とヒューマンの母親がどのような経緯で結ばれたのか、父はどれだけしつこく聞いても教えてくれなかった。ただ母親はどこかの貴族のご令嬢でかなりの世間知らずだったらしく、そのせいで散々迷惑をかけられたのだと父が楽しそうに愚痴っていたことだけは良く覚えている。
そして母親は今も生きていて、どこかの街で魔術師として研究を続けている筈だと父は教えてくれた。
どうして別々に暮らしているのか、母親が一度も自分に会いに来てくれないのかは困った顔をするだけで教えてはくれなかった。
ただ父の友人で母親の冒険者時代の仲間だった男が「お前の母親は父のことを愛していて、お前を生んだ時本当に幸せそうだった。だが彼女には使命があって、やむを得ずお前を父に託したんだ」と教えてくれた。
だから母親がいないことを寂しいとは思わなかったし両親を怨んだこともない。
ただどんな人なのだろうと思いを馳せ、よく父の友人に母親の話をせがんでいたことを覚えている。
だからすぐに思い出せた。あの印が一体何を示しているのかを。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「マドさん……?」
私が異変に気付いたのは、情けないことにその日の昼近くになってのことだ。
本当は朝食に起きてこなかった時、すぐ部屋の中を確認すべきだったのだろう。けれど私はその日、二日後に迫ったアンデッド討伐の準備で忙しく、部屋の外からマドさんに呼びかけただけで直接の確認を怠っていた。
そして聖水や毒消しなどの補充を済ませ、いったん宿に戻った折、女将さんからマドさんがまだ起きてきていないと聞かされ、初めて部屋の中を確認した。
「…………は?」
部屋の中は空っぽだった。
非常食や消耗品を詰めたバックパックも鎧も代替装備も先日取りにいった大剣用の鞘も、そこには何も残っていなかった。
「…………」
部屋の中に踏み入り、辺りを見回す。
争ったような形跡はなかった。何者かに襲われたわけではない。恐らくマドさんは自分の意思でここから姿を消したのだ。
理解が追いつかない──いや分かってはいたが脳が理解を拒んでいた。これではまるで──
「あら、置いていかれちゃったみたいね」
「────!?」
振り返ると部屋の入口にディネルースがいた。
彼女は焦る様子もなくゆっくりと部屋の中へと歩を進め、ぐるりと辺りを見回しそこに何も残っていないことを確認する。
「……うん。荷物は全部持ち出して帰ってくるつもりは無し、か」
「あんた──!?」
冷静過ぎるディネルースの態度を見て、私は反射的に彼女に掴みかかっていた。彼女はそれを避けることもせず、胸倉を掴まれたまま冷めた目で私を見下ろす。
「何でそんなに冷静なんだよ!? おかしいだろ!?」
「……この手、離してくれる?」
「マドさんがいなくなったんだぞ!? 一緒に行こうって言ってたのに、きっと一人で行っちまったんだ! なのに何であんたはそんな平然としていられるんだよっ!? あんた何かマドさんに──っ!?」
──ギリッ!!
エルフの細腕からは想像もつかない握力で手首を握りしめられ、私は痛みで彼女の胸倉を掴む手を離す。
「っ!」
「離せって言ってるでしょ。……全く、服が伸びちゃうじゃない」
ディネルースは私のことなどまるで歯牙にもかけていない様子で嘆息し、皺になった服を手で払う。
私はディネルースの手を振り払い、重ねて何か言ってやろうと彼女を睨みつけるが、私が口を開くより彼女の方が早かった。
「八つ当たりはやめてちょうだい。私は詳しい事情は何も聞いてないけど、彼女が何か個人的な事情でアンデッド絡みの事件を追ってたことは分かるわ。これはそういう子が周りに何も言わず暴走したってだけの話でしょ。一々何を驚けって言うのよ」
「っ!」
ディネルースの言葉は正論だ。
マドさんには暴走するに足る事情があった。だから周りに何も告げず一人でいなくなった。それだけのこと。
そしてそれは同時に──
「というか、君は彼女の事情を知ってたんじゃないの? 他人を責める前に、彼女の暴走を見過ごした自分を恥じるべきじゃない?」
まさしくその通り。私自身、羞恥と情けなさで気が狂いそうだ。もとより正気が怪しくなっていなければ大声で叫んでいたかもしれない。だが──
「論点をすり替えんなっ!! 自分がクソだなんてことは言われるまでもなく分かってんだよ!!」
「!」
あまりに堂々と開き直られ、ディネルースは目を丸くする。
「私のクソさ加減なんて今更どうだっていい!! 今問題にしてんのはあんただ!! あんただってあのアンデッドの群れをどうにかしたいって目的は一致してた筈だろう!? 協力できる人間が見つからない中で、マドさんが一人で突っ込んだのはあんたにとっても痛手の筈だ!! なのにどうしてそんな平然としてられる! あんた何か知ってたんじゃないのか!? マドさんがこうなることを予想してたんじゃないのか!?」
「…………プッ」
私に捲し立てられ、ディネルースは暫しポカンとしていたが、やがて我慢できなくなった様子で吹き出す。
「アハハハハハハッ!」
「何がおかしい!?
「アハハ、だって、そんなに堂々と、全然理屈になってないこと言うんだもの……ププッ!」
「~~~~っ!」
嗤われ馬鹿にされ、私の頬が熱を帯びる。
ディネルースは一頻り笑い、やがて目尻の涙を拭いながら言った。
「……あ~、おかし~。まぁでも、必死さは伝わってきたから及第点としましょうか」
「?」
「確かに君の言う通り私はこうなる可能性を予想してた──いえ、危惧していたと言った方がいいわね。それは単にマドちゃんに事情があるからじゃあない。例え彼女に事情があったとしても、それは一人で暴走する理由にはならないもの。マドちゃんにとっても、一人で行動するより私たちと行動する方が都合がいい筈だからね」
そうだ。焦って上手く言語化できずにいたが、マドさんが一人でいなくなって驚いた理由の一つにはそれがあった。
アンデッドの群れに対し、戦士であるマドさん一人で立ち向かうより私やディネルースがいた方が取れる選択肢は格段に多くなる。例え何か事情があったとしても、それは私たちを置いて行く理由にはならないのだ。
それでももし、彼女が私たちを置いて一人で向かう理由があるとすれば、それは──
「君、他のことで頭がいっぱいで気づいてなかったでしょ? 昨日これを見せた時のあの子の反応」
そう言ってディネルースが取り出したのは、昨日も見たアンデッドたちが持っていたという扉と月の印が刻まれた木片だ。
「本人は何も言おうとしなかったし、私も話し辛い事情があるのかと思ってその場では追及しなかったんだけど……きちんと確認しておいた方が良かったんじゃないかって少しだけ後悔してたの。もし驚いてないように見えたなら、多分それが理由ね」
「…………」
私はディネルースの言葉を半分ほども聞いておらず、ひったくるようにしてその木片を凝視する。
木片自体は古いが削り跡は真新しく、つい最近素人の手によって彫られた物のように見えた。
「これは……何なんですか?」
「昨日言った通りよ。本当に見つけたアンデッドが持ってたってだけで、それが何なのかは私も分からないわ。少なくとも私が知る限りそんなデザインの聖印は存在しないし呪的な意味があるようにも見えない。今になって思えば、削り口がまだ新しいから特定の誰かにだけ伝わるメッセージだったのかもしれないわね」
「──っ!」
それが何を意味するかは言うまでもなかった。
マドさんが暴走する理由など一つしかない。きっとこれはマドさんの父親の仇に繋がる──
「──それで、君はどうする?」
「?」
ディネルースに尋ねられ、私は意味が分からず眉を顰める。
「どう考えてもこれはマドちゃんに対する罠なんだけど──」
「くだらないことを。追うに決まってるでしょう」
たとえそれが私たちにとっても死地であれ──いやだからこそ、追わないという選択肢はない。
恐らくディネルースはそこまで付き合いきれないと言うだろうが──
「そう。なら私も付き合いましょうか」
「…………」
「そんな疑うような目で見ないでよ。これでも私、君たちの仲間のつもりなのよ?」
「……勝手にしてください」
思うところはあったが、マドさんを追う上でディネルースの助力は喉から手が出るほど欲しい。
胸に湧き上がる疑念に蓋をして、私はマドさんを追いかけるため動き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「何で……何で貴方が──ガンドルフォ」
「くくっ、幽霊でも見たようなツラだな、マードレッド」
マードレッドは一人の戦士と対峙し、いつもの気丈さが見る影もないほど動揺し、身体を震わせていた。
「嘘だ……貴方がここにいる筈が──」
「誤魔化してないでハッキリ言えよ」
戦士は嘲笑うような口調で、マードレッドにとって致命的な一言を口にする。
「『自分が殺した筈なのに』──ってな」




