番外編 伯爵の友人観察日記
番外編です。
デイヴィッドの友人の伯爵さま視点です。
時期としては本編最終章の直前くらいかな。
「なあ、本当に俺が行ってもかまわないのか?」
「今さら何を言っている。エルストン子爵は快く了承してくれたんだし、お前は申し込みを間髪入れず受け入れたじゃないか」
「まあ、それは事実だけれどね」
小窓から秋も近いロンドンの街並みを眺めていると、不意にポツリと真向かいに座っていた男が呟いた。
「それに、お前に来てもらわなければ私が困る」
「…は?」
「いや、なんでもない」
無愛想でも恐ろしくうつくしく、そのまま広間に飾りたくなるような友人の顔を、俺は首を傾げ見返した。
俺、ブリストルム伯爵フィリップ・ヴァルフレーは、友人であるローランド公爵にエルストン子爵家との日帰り旅行兼ピクニックに誘われた。現在子爵家を訪れ子爵とそのご家族をお迎えに来ているところである。
正式に言えば主として誘われたのは友人であるローランドで、俺はおまけのようなものだ。
ローランド公爵デイヴィッド・エリック・フォントンといえば、完璧なる美貌と英国でも屈指の名家の家長である社交界で最も注目されている男の一人。とある事情もあり、あまり社交の場が好きではないため、舞踏会に出ても踊る事は稀。話をしている最中も滅多に表情を動かす事はないが、それでも圧倒的な人気を誇っている。花嫁候補である貴婦人方に冷静を通り越して冷徹な態度をとり続けるその姿は『氷の貴公子』と称されていた。
確かに、時折ブリザードが吹いたんじゃないかってくらい冷たい態度を取る男なので、この評価は実に真っ当なものと言えよう。それでも令嬢たちは諦めないのだから俺はそちらの方がすごいと思う。
そんなローランドが、最近エルストン子爵家に頻繁に出入りしており子爵家の令嬢との恋仲を噂されている。ローランド自身は否定しているし、俺も正直信じられないのだが、お相手であるキャロライン嬢は友人方に2人の仲をほのめかしているらしい。
2人の言い分のどちらが正しいか。ローランドがキャロライン嬢を公的な場で特別扱いしていない事から、彼の話の方が信憑性は高いが、万が一の可能性としてローランドの照れ隠しというのも否定できない。噂の真否は今社交界で注目の話題だ。
そんな中で降ってわいたこのピクニックのお誘い。これは噂の真否を確認する絶好の機会だと、俺は意気込んで二つ返事で受けたわけだ。
邸に入ると、主であるエルストン子爵が人の良い笑みを浮かべて俺たちを歓迎してくれた。元々ローランドとは遠い親戚にあたるそうだが、親しげな様子に彼が相当この家を訪れているのは間違いがないと思わせた。
「デイヴィッド、それにブリストルム伯爵も。よく来てくれたね」
「今日は、身内での日帰り旅行に誘っていただきありがとうございます」
「畏まらないでくれ。遠縁だが、今でも君と私は親戚だ。だから今日は我が家の親愛なる一員として過ごしてほしい。君もだよ、ブリストルム伯爵」
「ありがとうございます」
俺はにっこり笑って挨拶をしながら、目の前の子爵を気がつかれないよう観察した。
このエルストン子爵をローランドは心底敬愛しているという。しかし見るからに人の良さそうなこの中年紳士、見た目を裏切って実はかなり喰わせ者だ。先ほどの会話の中でローランドのファーストネームを呼んだり、『今でも』という思わせぶりな言葉を使ったりする点からもそれは明らかである。
おそらく本格的にローランドを娘の夫として迎え入れる気なのだろう。尊敬している親戚からの言葉を、この友人はどう思っているのか。少なくとも、過去似たような態度を取ってきた貴族たちに対して、ローランドは徹底して冷たい態度を取ってきた。
そんな事を思い出しながら隣の友人を見た俺は、目の端に映った光景に目を剥いた。
衝撃の大きさに、思わずこの光景を脳裏から焼き消せないものかと真剣に思う。
友人としてもうかれこれ10年以上付き合っているが、ローランドがはにかむように笑う姿など見た事がない。
嘘だ…これは幻だ…誰か冗談だと言ってくれ!!
脳内で激しく葛藤しながらも、やはり子爵令嬢との縁談は事実なのかと唸った。ローランドが子爵を尊敬していたとしても、あの言葉でこれほどの反応を示すとは思えない。やはり今後より近い親戚になる予定があるからの表情ではないかと思う。
しかし、だ。
俺にはどうにも納得がいかなかった。
子爵家の二番目の娘であるミス・キャロラインは確かに美しい。金褐色の巻き毛も緑の瞳もほっそりとした、けれどメリハリのある身体つきも女性として非常に魅力的だ。だが、他に特筆すべきところはなく、あくまでそれだけの女性のように思える。他の大勢の貴婦人方と何の変わりもない。伯爵以上の爵位をもち彼女以上に美貌に長けた娘も社交界にはいる。それなのに何故ミス・キャロラインがローランドの目に適ったのか全くもってわからないのだ。
「…ブリストルム?」
訝しげな視線を受けて、俺はハッと友人に目を移した。
先程の笑顔はどこへやら、すっかりいつもの無愛想に戻っている。
「いや、今日のミス・キャロラインはさぞかし美しいんだろうなと思ってね」
少し考えてから冗談めかすように肩を竦めながら返す。
男の自分から見ても実に魅惑的なこの友人に、少しでも可憐に美しく見られようと必死になる令嬢が必死になるのは間違いがないだろう。
「…ああ、なるほど」
ところが、予想外に無反応であるローランドに、俺は思わずきょとんとした。
それが将来婚約する令嬢に対する反応か?
男であれば、女性が自分のために着飾ってくれるのは嬉しい事だろう。それが好意をもった女性なら尚更だ。それなのにこの関心のなさはなんだろう。
半ば呆然としている俺を尻目に、子爵が「そうだね」とのほほんとした様子で返答する。
「キャロラインもエレーナもピクニックを提案した一昨日からずっと今日の服装について悩んでいたから、相当着飾ってくるに違いないな」
にっこりとローランドに向けて笑った瞬間、彼の端正なる柳眉の間に皺が寄った。
冗談じゃないと言った風情は最初に子爵に対して見せた表情と随分異なる。そんな失礼な態度をとっていいのか?そんな岩のような表情では子爵令嬢にも子爵にも、あまりいい感情は引き起こさないだろう。
恐る恐る子爵の表情を窺うと、これまた予想に反して子爵はにこにこと楽しそうに笑っていて、俺は完全によくわからなくなった。
一体何がどうなってんだか…。ていうか、キャロライン嬢と結婚するんじゃないのか、こいつは?
事実と推察がかみ合わず、ちぐはぐな現状に大いに振り回されていると、二階のドアが開いて、小柄な二つの影が姿を見せる。
子爵夫人と噂のキャロライン嬢かと思って顔を上げたが、そこにいたのはまだ社交界デビューをしていないであろう少女だ。その隣には大きな白い犬が彼女に寄り添うようにつき従っている。
そう言えば、子爵にはあと一人娘がいたはずだ。この少女がおそらくそうなのだろう。
ほっそりとした身体の少女は、淑やかさを無視して駆け降りるようにして階段を降りてくる。黄色いデイドレスが翻り、きっちり纏められていた濃い栗色の髪がその勢いで少しほつれた。
「いらっしゃい、ヴィッド!」
もうすぐ階段を降り切るといったところで少女が元気よくそう挨拶する。その元気の良さにもびっくりしたが、それ以上に飛び出た名前にびっくりした。
彼女が読んだのはローランドの愛称だろうか。親戚だからかもしれないが、俺の知っている限り、彼は従姉妹にあたる婦人たちにもきちんと名前で呼ばせている。愛称だなんてとんでもない。
驚いて友人を見て―――おそらくコレが本日最大の衝撃だ。頭がくらくらしてきた。
友人は…『氷の貴公子』と名高い友人は…満面の笑顔を彼女に対して向けていたのだ!
満面の笑顔だ、満面の!
まだ彼がここまで捻くれる前の、寄宿学校時代にだって、こんな笑顔を見たことがないくらい、ローランドはとても嬉しそうにその少女に微笑みかけている。
「マーゴ、リラ」
あまつさえ自分から歩み寄って、階段を降りる少女に手を差し出しているのだから驚きだ。
儀礼的でない限り、彼はけして自ら進んで女性をエスコートするという事をしない。貴婦人たちから非常に羨ましい好意的な、あげくは煽情の瞳を向けられても彼はそうする義務がなければけして動かないのだ。自分から動くのはせいぜい親族の女性くらいだろう。
それがなんとまあ、この幼い少女にはサービスが良い。日頃のサービス精神を100集めてもまだ足りないくらいの歓待を彼女は受けている。
あげくに。
「そのドレスは初めて見る。よく似合っているな。ミモザの妖精のようだ」
ちょっと待て――――!!
ローランド、お前女性を褒めれたのか!?いつもなら社交辞令さえろくに言わない男だろうが!!なんだその砂を吐きそうな甘い台詞は!!
そんな俺の当惑をよそに、本人たちは仲睦まじそうに会話をしている。妖精と褒められたせいか、少女の頬は少し赤いが、会話が続けられないレベルではなさそうだ。素晴らしい。これが舞踏会でローランドに焦がれているお姫様なら顔から火を吹いて卒倒している事だろう。
年の差があるため一見仲の良い兄妹のようなのだが、言いきるには違和感がある雰囲気だ。
「今日は髪も結っているんだな。珍しい。大人びて見えて別人みたいだ」
ローランドがほほ笑みながら、少しほつれてしまった彼女の髪を整える。左手は以前彼女の手をもったままだ。マーゴと呼ばれた少女はそれを照れる事もなく受け止め、自分より随分長身のデイヴィッドに可愛らしい笑顔でお礼を言っていた。
「しょうがないでしょ。今日はお庭にいるのとは違うのだもの。でも、髪を結ったくらいでは大人になんてならないわ。お世辞を言っても喜ばないわよ」
少女はくすくすと笑いながら、エスコートしていたローランドの手からするりと抜ける。
それから俺の方を向きニコッとほほ笑んだ。近寄って来る彼女の向こうで、離された手を宙に余しながら名残惜しげに少女の背を見つめるローランドが見える。
なんなんだ、その切なげな表情は。お前そんな表情できたのか。思わず口元を引き攣らせる。
離れてしまった主人の代わりか、彼女の犬がデイヴィッドに近づいて鼻を寄せていた。どう見ても慰められている。天下のローランド公爵が犬に慰められている。どんな夢だこれは。
「はじめまして。ブリストルム伯爵さまですよね?マーガレットと申します」
「末娘だ。14歳になる。見ての通りおてんばでね」
ふんわりとしたスカートの裾をつまんで可愛らしく挨拶するマーガレットに、父親であるエルストン子爵が苦笑する。
もう、と拗ねたように頬を膨らます彼女の仕草は可愛らしいが幼い。
「ブリストルム伯爵フィリップ・ヴァルフレーです。ご機嫌うるわしゅうミス・リースエル。今日は招いていただいてありがとうございます」
「私ではなくてお父様が、だけれどね。ヴィ…ローランド公爵と並んで名高い伯爵さまをご招待できる事はお母様もお姉さまも喜んでいらしたわ。2人ももう少ししたら参りますのでしばしお待ちください。えっと、その間にリラを紹介させていただきます。私の親友なんです」
闊達な物言いは14という若さもあるが生来の要素が強いに違いない。まだ洗練されきっていない言動は溌剌とした少年のようで、淑女とは程遠いが、思わず口の端を上げてしまうような微笑ましさがあった。
紹介するといった『リラ』とは、あの白い犬の事だろうか。マーガレット嬢が振り向いて名前を呼ぶと、犬はローランドとともにこちらに歩いてきて、主人の隣に並ぶ。
毛並みの素晴らしい大きな犬で、アーモンド形の賢そうな瞳が印象的だ。気性が大人しいのは見て分かるが、首輪だけしてリードも付けられていないのは珍しかった。そもそも、こんな少女がこれほどの大型犬を好む事から珍しいが。
「これはまた、見事な犬ですね」
俺の言葉に、マーガレット嬢が一瞬片眉を上げる。何か不快だったのだろうか。それに気づいて謝ろうとする前に、横からローランドが素早く口を挟んだ。
「リラは確かに素晴らしいけれど、マーゴの大切な親友だ。犬と言う一括りで締めてほしくないなブリストルム。もっとも、君に悪気がないのはわかっているけれど」
穏やかだが確実に俺を諌めるローランドの言葉に、俺は今度こそ開いた口が塞がらなかった。やばい。わずか四半刻で一生顎が外れたまま戻らなくなりそうだ。
かばっている。
あの『氷の貴公子』が淑女と呼べない年齢の少女をかばっている。
マーガレット嬢はそんなローランドを嬉しそうに見上げているが、驚いた様子は皆無である。つまり、彼女にとっておそらくコレは当り前の光景なのだ。
あ、ありえない…
絶対絶対ありえない……
お前そんなに優しい奴だったか!?いつもならここでは鼻先をフンと冷笑して終わりだろうが…!!
何も言えずただ口をパクパクさせている俺の肩を、ポンと誰かが叩いた。ぎぎぎ、と音が鳴るんじゃないかというくらいのぎこちなさで首を回した先では、エルストン子爵が同情の視線で苦笑している。
「残念ながら、夢じゃないよ」
それは天使の慈悲か悪魔の宣告か、俺には何とも言う事ができなかった。
それからしばらくして子爵夫人とキャロライン嬢が揃いピクニックに出かけたものの、ローランドは大半の時間をミス・マーガレットとその親友のために費やし、残りの時間も子爵と議論するなどで2人の貴婦人のお相手はもっぱら俺が務める事となった。
デイヴィッドのおまけとして付いてきたつもりが、主役級の扱いになって戸惑うばかりだ。
何だか生贄にされるために自分が連れて来られたような気がしたし、おそらくその考えは間違っていないのだろうが、まあ仕方ない。
少なくとも、マーガレット嬢に対するローランドを見続けるよりは遙かに精神衛生上楽であったので、むしろ喜んで務めたくらいだ。
何しろマーガレット嬢と共にいる友人といったら、日頃の無愛想が何かの間違いかと思うくらい表情が豊かで、実に楽しそうなのだ。それでも後からマーガレット嬢が「今日はいつもよりずっと表情が乏しくて堅苦しかった」ともらしたのだから、普段はどれだけ寛いでいる事か想像するに恐ろしい。
絶対間近で見たら精神発狂するという妙な自信がある。
「…お前が少女趣味だとは知らなかった」
子爵家からの帰り道でポツリと口にすると、恐ろしく冷たい目で睨まれた。
「冗談だよ。そんな恐い目で見るな」
そう言いながらも、彼の様子からローランドは本気でマーガレット嬢を想っている事を確信する。
妹のように可愛がっているにしては、朝会った時彼女がすり抜けた際に見せた表情は切なすぎた。
子爵家に通い詰めているのも、マーガレット嬢がいるからなのだろう。子爵令嬢にご執心という噂は事実だったというわけだ。
…もっとも、相手は噂と違っていたけれど。まさかキャロライン嬢ではなくその下の14歳のマーガレット嬢だとは誰も思うまい。
ただ、友人としては大いに納得できる選択ではある。
マーガレット嬢はまだ少女だという事もあって、普通の貴婦人にはない天真爛漫さと活発さを持っている。幼いがそれなりにしっかりした考え方も持っているし、話していて楽しい。変わったところがあるのは否めないがそれすらも微笑ましく思え、愛敬のある笑顔は実に魅力的だ。
つまるところ、今まで誰にも心を開かなかった『氷の貴公子』を動かすには持って来いの人物というわけで…
「なあ、朝子爵が言ってた『今は』って、もしかしてそういう意味?」
返答の期待は半分くらいしかしていなかったが、驚いた事にローランドは仏頂面を浮かべながら、でもどこか不貞腐れたようにポツリと答えてくれた。
「口約束はしているよ。もちろん数年後の話だが」
「なるほど。つまり子爵には了解を得ているんだな」
「了解というか…もともと提案してきたのはエルストン子爵の方だ。まあ、冗談半分といった感じではあったけれど」
なるほど。確かにそれなら納得だ。それにしても、あの喰えない子爵はローランドが何を求めているのかよくわかった上で、次女ではなく末娘を勧めてきたとしか思えない。
「まあ、お前が幸せになれるなら俺はそれでいいと思うぞ」
苦笑しつつもそう返したら、ローランドは実に幸せそうに笑った。ああ、絶対こいつ幸せボケしていやがる。
本当に、俺が知っていたローランドと、表の皮だけ一緒で中身は別人なんじゃないかと思うくらいの違いだ。けれど、こいつがもっと少年の頃は、確かにこんな純粋でやわらかな一面もあったなと思い返せば、やはりマーガレット嬢と一緒にいる時のローランドの方が本来の姿なのだと思う。
こうやって、氷が溶けたかのような笑顔を俺が見られるだなんて思いもしなかった。
羨ましい事だ。
年が離れていようと少しくらい相手が変わっていようと、たった一人その人だけを欲する。そう思えるだけの相手が見つかるって事は相当貴重で珍しい。ローランドには是非そのたった一人の相手と幸せになってほしいと思う。
友の顔を見ながらやれやれ、と息を吐く。
友とその幼い想い人のために、どんな協力ができるかと考えながら、俺は流れゆくロンドンの街並みに視線を移した。
訪れるのは秋のはずなのに、なんだかとても温かそうな景色だった。
…実は書いてて一番楽しかったお話です(苦笑)
フィリップ(伯爵)の一人称が書いててとても書きやすかったv
誤字脱字、表現間違いなどがあればご指摘ください。よろしくお願いします。
では、これでライラックの庭シリーズは一度閉じようと思います。
お付き合いいただきありがとうございました!