祝福を
「じゃあ航、行ってくるわね」
「こう兄行ってきまーす」
「はいよー。気をつけてな」
「行ってらっしゃいピ!」
「キュキュイ!」
母さんと美波の声が玄関先から聞こえ、キッチンで洗い物をしていた俺たちも声を上げる。
「あ、そうだこう兄、今日の予定は?」
「特になし」
玄関から更に聞こえた美波の問いかけに答える。
「了解! 7時には家にいてね。じゃあ行ってきます」
カチャッと玄関ドアが閉まる音がして、朝の喧騒が嘘のように静かになる。会社を辞め、美波たちと住むようになって8ヶ月。この瞬間の取り残されたような静けさには、未だに慣れない。
「予定は特になし、か。無職の特権と一抹の寂しさってところかねえ」
シンクの水を止め、タオルで手を拭く。
「航平は無職でも、やることは沢山ありますピ」
「キュ?」
肩に止まったPちゃんが片方の羽を上げ、反対側のマシロが首を傾げた。
「そうだ、俺には内職がある」
今日も賢者の家で生命力回復、魔力回復、欠損回復ポーションを作って納品しなくては。
「でもひとみさんが生命力回復ポーションの中級までと、ダンジョンミミズの草玉から魔力回復ポーション低級が作れるようになって、随分と楽になったよ」
「冬馬の魔法陣はなかなかのものですピ」
「ああ、ダンジョンミミズの飼育がずっと楽になったって、ひとみさんが大喜びだったもんな」
冷蔵庫からPちゃんとマシロ用にオレンジジュースを取り出して、コップに注いだ。
『魔力吸収』の魔法陣があるなら、ダンジョンミミズの飼育ケースに利用できないかと、ひとみさんが頼んだらしい。ダンジョン外だと魔石の利用になる、忙しいとブツブツ言いながらも、速攻で作ってくれたとひとみさんが言っていた。
今までダンジョンの土に魔力回復ポーションを振り掛けていた手間を考えたら、そりゃあ喜ぶよね。
「冬馬もなんだかんだ言って、頼られるのが嬉しいんだろ。開発部には新人さん入ってこないし」
4月にギルド職員として採用された人たちは、この1ヶ月で各ダンジョンに潜ったり、それぞれの部門で研修中だ。35名のギルド職員募集に対し、予想以上の応募がきて面接が大変だったと徹さんが笑っていた。
それはそうだろう。二葉さんのインスタフォロワー数が100万人に達し、その効果もあるだろうけど、何より破格の給料、充実した福利厚生。嬉しい悲鳴だけどねと言い切るところは、さすが徹さんだと思う。俺ならそんなに多くの人間を相手にしたら間違いなく吐く。今のところ脱落者はいないらしいし、ギルマスの母さんも大忙しだ。
「さてと、オレンジジュース飲み終わったら行くよ」
「了解ピ」
「キュイ」
ファンッ
賢者の家への出入り口の膜を出すと、俺たちは中へ入っていった。
「おお……マジか」
中に入るとすぐに果樹園へ向かい、その変化に思わず声を上げる。リンゴの木には梅くらいの、まだ青く小さい実が成っていた。
「リンゴって実がなるまで、数年かかるって読んだけど」
傷つけないよう実を触る。栄養を行き渡らせ実を大きくするために、花を摘んだほうが良いとも書いてあったが……。
「ここの土地がよっぽど栽培に適しているか、魔力がダンジョンの1/6というのも関係しているかもしれませんピ」
「じゃあこのままで様子を見てみるか。紅玉もできたらアップルパイだな」
「ピ! アップルパイにはバニラアイスを添えてくださいピ」
「キュイキュイ!」
「分かってるよ。でもその前に、今日は色々ピクニック用に美味しいものを持ってきたから、ポーション作り終わったら森の泉に行こう」
「ピクニックで美味しいものですピ!?」
「キュイ?」
「うん。明後日5月9日は記念日だからね。そのお祝いだ」
賢者の家へと続く小道を歩き出す。
「ピ? 記念日?」
「ああ、1年前、俺の部屋にダンジョンが現れて、大いなる方に作られた光の粒と出会った記念日だよ」
「……それは私のことですピ?」
「決まってるだろ? 他に誰がいるんだよ。もちろんマシロとも出会えたから、今日はちょっと早いお祝いだ」
「キュイ」
マシロが嬉しそうに頭を擦り寄せてくる。その頭をなでながら、薔薇が咲き誇るアーチ門をくぐった。
「まずは内職を終えないとな」
庭に挟まれた石畳を通り、木製のシンプルなドアについた金色の丸いドアノブを回して中に入ると、
「私も、初のダンジョン介入者が航平で良かったと思っていますピ」
そう言って、Pちゃんが肩から飛び立った。
「キュイッ」
その後をマシロが続く。
「え? なんだって?」
「ピ! ニヤニヤしている航平には二度と言いませんピ! 早く仕事をしてくださいピ!」
癒やしのソファーに止まり、プリプリと両羽を上げた。
「ごめんごめん」
「終わったらピクニックですピ!」
「はいはい」
「キュワァ……」
マシロが可愛らしいあくびをひとつして、ソファーの上で目を閉じた。
「こう兄遅いねー。予定ないって言ってたのに」
「ほんとねえ」
「ボクたちも参加させてもらっていいのかな?」
「別にいいんじゃね? こうへー友だちとかいなそうだし。泣いて喜ぶだろ」
「ふむ、冬馬が来るとはな」
「それはこっちのセリフだ! なんで千駄木の親父さんがいるんだよ。俺は暇だったから来てやったんだ」
「冬馬は忙しいと言っていたけどね」
「なっ……」
「徹様、それは言わないほうが」
「……澤井さんはなんでいるんだよ?」
「航平様は命の恩人ですので」
「あ、帰ってきた!」
賢者の家から戻り、キッチンからなぜか騒がしいダイニングルームに入ると、そこには母さん、美波、冬馬、澤井さん、千駄木一家がテーブルについていた。
「あれ? なにしてるんですか? みんなで」
テーブルの上には豪勢な料理がところ狭しと置かれ、その中央には大きなホールケーキが置かれている。
「ほらお母さん、やっぱりこう兄気づいてなかった」
「ほんとだわ」
母さんがふふっと悲しげに笑う。
「え?」
「こう兄、24歳の誕生日おめでとう!」
「おめでとう、航」
「おめでとう航平君。少し歳が近づいたな。クククッ」
「まだ24歳か、若造め。俺のように早く大人の魅力を──」
「航平様、お誕生日おめでとうございます」
「田所くん、おめでとう」
「……おめでとう」
「ピ、航平が生まれた日ですピ?」
「キュイ?」
「……そうだった。忘れてた」
「もう、もう少し自分のことにも興味を持ってよね。こう兄、あそこに座って」
美波が呆れたように立ち上がると、テーブルの端の席を指差した。いわゆるお誕生日席だ。言われるがままに、椅子に座る。澤井さんと母さんがそれぞれに飲み物を注いでいく。
「では航平君に一言もらおう。ほら、立って」
ぼんやりその様子を眺めていた俺に、先輩がにっこり微笑んだ。
「え? ええっと……」
みんなが俺を見ているが、不思議と吐き気はやってこない。
「ピ」
「キュイ」
ふたりが両肩に止まる。
「……去年から信じられないようなことが色々あって、すっかり自分の誕生日を忘れていました。こうして集まってくれてありがとうございます。これからも、Pちゃんマシロ共々、どうぞよろしくお願いします」
「よろしくですピ」
「キュイ」
頭を下げた俺の両肩でうまくバランスを取りながら、Pちゃんとマシロも片手を上げた。拍手が起こる中、妙に気恥ずかしくなり椅子に座った。
「さあ食べましょう。三好さんがたくさん作ってくれたのよ」
母さんがどんどん皿に料理を乗せていく。
(ピクニックであんなに食わなきゃ良かった……)
(私はまだ食べられますピ)
(……マジで?)
初めてPちゃんが羨ましいと思った夜は、騒がしくも楽しく過ぎていった。
5月6日15時 ラスベガスダンジョン地下28階 火山帯
『イーサン! 危ない!』
後ろのマグマ溜まりから現れたサラマンダーの攻撃に、一瞬反応が遅れる。次の瞬間突き飛ばされ、岩場を転がっていた。
『バリー!!』
アレンの叫び声が聞こえ、顔を上げるとサラマンダーの燃える舌がバリーの右足に絡みつき、そしてもとに戻った。バリーの右足をもぎ取って。
『うわああ! バリー!』
トムの泣き声のような叫びがダンジョンに響き渡った。
読んでくれてありがとうm(_ _)m




