理不尽の領域
二死一三塁。バッターボックスには、本川中学校の「脳」であり、四番に座る城島健二。
拳士のフェンス直撃二塁打と、源田のシフトの裏をかく芸術的なセーフティバント。完璧だった東広島ボーイズのアルゴリズムは、想定外のノイズの連続によって目に見えて軋みを上げていた。
キャッチャーの藍沢翼は、マウンドの前田健太郎の激しい呼吸を見て取り、即座にベンチへサインを送った。
(前田の精神が完全にバグを起こしている。ここで城島と勝負するのは確率が悪すぎる。……ここは一度、盤面をリセットする)
東広島ベンチが下した決断は「敬遠」だった。
二死満塁にして次打者との勝負を選ぶ。点差は4点。1点もやらないための、極めて冷徹で合理的なマニュアル通りの選択。
藍沢がバッターボックスから大きく外側へと外れ、立ち上がってミットを構えた。
「……チッ」
打席の城島健二は、メガネの奥の瞳を不快そうに細めた。
前田がセットポジションから、大きく外した位置へ、力を抜いた敬遠球を投じる。白球がふわりとキャッチャーの手元へ向かう。
誰もが、これで満塁になり、試合が一度落ち着くと思った──。
だが、本川中の四番は、その「綺麗なセオリー」を底の底から嫌悪していた。
「僕たちの野球を、そんな安い計算(数式)で片付けるな!」
──バチィィィィンッ!!!!!
スタジアム全体の時間が凍りついた。
城島は、キャッチャーが構える完全なボール球──右打席の遥か外側を通過するはずだった白球に向かって、身体を文字通り「投げ出す」ようにして踏み込んだ。バットの先端を、執念だけで白球の芯へと衝突させる。
あり得ない体勢。あり得ないコース。
しかし、城島の強靭な手首のローテーションが、その無理やりなスイングにプロ顔負けの爆発的な推進力を与えた。
弾かれた白球が、カクテル光線を切り裂く強烈な高弾道となって、ライト方向へと向かって夜空へ突き上がった。
「嘘だろ……あんな球を……!?」
ライトの鈴木が、一歩も動けずにただ夜空を見上げた。
バックスクリーン右、ライトスタンドの中段へ、白球がドスッと突き刺さる。
逆転満塁ホームラン。
4対4。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
本川中のベンチが、地鳴りのような大歓声とともに完全に崩壊した。宮﨑がフェンスを叩き壊さんばかりに暴れ、石井は涙目を浮かべてジャンプし、大槻が狂ったように叫ぶ。
城島健二は、バットを静かに放り投げ、いつもの冷静な手つきでメガネの位置を直した。そして、ダイヤモンドをゆっくりと一周する。
敬遠球すらもホームランにするという、データの外側の「理不尽」。東広島ボーイズが誇る鉄の檻は、この一撃によって完全に粉々に粉砕された。
マウンドの前田健太郎は、膝からその場に崩れ落ちた。白球を見つめたまま、彼の計算回路は完全に停止していた。
ここで、ついに東広島ボーイズのベンチが動いた。
「東広島ボーイズ、投手の交代をお知らせします。前田くんに代わりまして、森下くん」
背番号「11」を背負った少年、森下正樹がゆっくりとマウンドへ歩を進める。その瞳は、前田が流した動揺の汗とは無縁の、底知れない冷たさと、どんな窮地でもブレない圧倒的な「体幹」を感じさせる静かなオーラをまとっていた。
「前田、お疲れ。システムが壊れたなら、ここからは僕の『力(王道)』でねじ伏せるだけだよ」
森下がマウンドで小さく微笑み、白球を軽く放り上げた。
4対4の同点。東広島が誇る次なるエースの投入によって、試合は中盤戦にして、最も過酷な第2ラウンドへと突入しようとしていた。




