巻き込み、巻き込まれ
河川敷のグラウンド。西日に赤く焼かれたバックネット裏で、城島健二は度入りのメガネを押し上げた。
「え……? ぼく、野球なんてやったことないよ」
突然突きつけられた白球。戸惑う健二に対し、拳士は獰猛な笑みを浮かべる。
「関係ねえ! おまえ、箸もペンも左だろ? なら左で投げろ」
拳士は強引にリトルリーグ用のグラブを押し付けると、自分もまた左手にはめ替えたグラブを掲げてマウンドへ駆け出した。
二年前、父がマウンドで死んだその日から、拳士の左腕は「呪い」を解くための兵器と化した。ただ壁に投げつけるだけの作業ではない。球の回転、指の掛かり、リリースポイント。十二歳の少年の脳は、理詰めで左腕という未知の回路を構築していた。
健二が恐る恐る放った不格好な球を、拳士は「バシィン!」と乾いた音で捕らえる。
(速い……いや、重いのか?)
内気な読書少年の胸に、白球の冷たい感触が熱い火種として灯った。拳士の、誰をも拒絶するような真剣な眼差しが、健二の奥底にある何かを呼び覚ましていた。
同じ頃、拳士の自宅リビングでは、杉谷茂治が狂気にも似た執念でバットを振っていた。
「諦めんぞ。マウンドがダメなら、打者として証明する」
かつての同僚、山内が投げる打撃練習。しかし、プロの速球は投手のプライドを無残に打ち砕く。空を切り続けるバット。足元に散らばる汗の飛沫。
そこへ、ドラゴンズの炎のストッパー・津田恒斗が姿を現した。
「泰輔、代われ。わしがこいつの『化石』のような意地を叩き割ってやる」
津田の投げた一球目は、文字通り光速だった。風を切る音が空を裂く。
二球目、三球目。茂治は打席で膝を折る。だが、その目は津田の指先を、そして重心の移動を、誰よりも深く観察していた。投手として生き、投手として死んだ男にしか見えない「投球の予兆」。
「親父ーーーーッ!! 逃げるな!!」
バックネット裏、拳士の絶叫が響く。それは父への激励ではない。かつて同じマウンドで、肘が引きちぎれる幻影に怯え、逃げ出した父と、自分自身に対する決別だった。
拳士の瞳には、父の姿が鏡のように映っている。右手がダメなら左で。マウンドがダメなら打席で。我らは何度でも、この理不尽なゲームに再挑戦するのだ。
茂治が大地を踏みしめる。ヘルメットが震える。津田が薄く笑う。
「そうだ、その顔じゃ! いくぞ、茂治ッ!」
放たれた火の玉が、茂治の胸元へ迫る。
(右投手の癖など、誰よりも分かっている……!)
茂治のバットが、獣のように唸りを上げて空を切り裂いた。
――ガキィィィィン!!
津田の剛速球を捉えた白球が、閃光となってバックネットに突き刺さった。それは、泥にまみれた男が掴み取った、最初で最後の反撃の狼煙だった。




