一冊目の文芸誌①
「ねぇ、武藤くん」
「なんだ」
それは、ある暑い夏のこと。世間はすっかり夏休みだ。なのに二人は今文芸サークルの部室にいた。ブゥン、と慰めのように、古いエアコンがほんのり涼しい風を届けている。
「武藤くんは小説とか書かないの?」
「最初の自己紹介でも言ったと思うが、俺は”読み専”だ」
猫柳が一生懸命パソコンと睨めっこしている傍で、武藤は悠々とソファに座り、過去の文芸誌を読んでいる。
「みんな、家で書いているんだろう?猫はどうして家じゃないんだ?」
「うーん……武藤くん、俺のあの部屋見て、集中できると思う?」
「思わんな。むしろレポートができてること自体が驚きなぐらいだ」
「じゃあ、俺のこの状況わかるよね!?」
「ああ、分かる。お前が『文芸誌の締め切り』に追われていることはな」
武藤はいつも思う。どうしてこの馬鹿猫はギリギリにならないと動かないのか。サークルでも夏コミ合わせの文芸誌の原稿締め切りは告知されていた。
「で、武藤くんはどうしてここにいるのさ」
「どうしてって……文芸誌を読みに来てるだけだが?今日はお前以外にメンバーが来てないから、騒がしくなくて助かっている」
「もしかして、今までも結構ここに来てた…?」
「そうだな。部室が静かな時は大体いるぞ」
「知らなかった…!!」
がくりと猫柳が項垂れる。確かに1回目のフィールドワークより以前は、あまり武藤は視界に入るタイプではなかった。だけど、今となってはなんと勿体ないことをしていたのだろうと悔やまれる。
何故だか武藤の傍はとても呼吸がしやすい。今まで猫を被って生きてきた自分にとって、武藤という男の存在はどこか安心できるものだった。
どさどさと、数個のダンボールが部室内に運ばれてきて、部長である柿原が言った。
「夏コミ合わせの文芸誌、できたぞ~」
その言葉に部員たちがワッとテーブルに群がる。珍しくもその中には武藤が混ざっていた。今までは『コミケで頒布されているものを買う』だけだったが、今回は出来上がったすぐのものが見られるのだ。顔には出さないが武藤だってわくわくする。
ビーッと段ボールのガムテープが剥がされ、箱が開けられた。新しい紙とインクの匂い。それが箱の中に凝縮されていたのがブワッと広がるように感じて、武藤は半ば呆然とそれを見ていた。中に詰まった本たち。新しく出来上がったばかりの文芸誌。
「はい、武藤くん」
すっと本を指し出され、武藤がハッと気がついたように顔を上げる。そこにはにっこりと笑みを浮かべた環が立っていた。
「読み専の武藤くんに、はい、最初の一冊。講評してもらうからね?」
「……ええ?あの話…本当だったんですか…?」
「もちろんよ。”読みたい”だけでこのサークルに入ってきたの、たぶん武藤くんが初めてなんじゃないかな?それだけ色んなものを読んできたんでしょ?期待してるわよ?」
「あ、でも俺、読むっていってもフィクション小説ばっかりだから…もし、エッセイとか評論とか哲学とか、そういうの入っててもちゃんと意見言えるかどうか…」
「なるほどねー。うーん、でも今回はほとんどフィクションばっかりだから大丈夫だと思うわよ?今の四年のアホに評論とか哲学とか無理ゲーだから」
「聞こえてるぞ、環!」
柿原の鋭い指摘に「やべっ」と言って舌を出した環は、本を武藤に手渡すと、また部員の輪の中に戻っていった。手の中に残った文芸誌。コミケはまだ先だ。このサークルでは、完成した本はまず部員に手渡すべし、というルールが設けられているらしく、イベントに直接搬入はせずに、もう少し早い時期に印刷に出して、こうして大学に届くようにしているらしい。
武藤は自分のカバンの中に文芸誌を押し込むと、さっそく読むべく部室を出ようとした。その背後から聞きなれた声がかかる。
「あれ?武藤くん帰るんだ?」
「ああ。この騒々しさではじっくり読めないからな。家でじっくり読むことにする」
「やっぱり武藤くんって、武藤くんだよねー」
「……どういう意味だ?騒音猫」
「えっ、なんで今悪口言われたの、俺!?」
「悪口じゃない。事実を言ったまでだ。だいたい部室が騒がしい時はお前がいる時だからな。そういうわけで俺は帰る。じゃあな」
「うーん……じゃあ、俺も帰ろうっと」
「は!?」
まさかついてくる気なのかと思い、恐る恐る後ろを振り返ると、ヘラっとした笑みを貼り付かせた猫柳がボディバッグを手に駆けてきた。ちゃんと手には文芸誌を持っている。
「……うちには来るなよ」
「まだ何も言ってないじゃん!?」
「今日の俺は一日、この文芸誌を読み込むのに費やすんだ。邪魔をするな」
「えー、じゃあ、邪魔しないから、行っていい?」
「やっぱり来る気だったんじゃないか…」
「だって武藤くんちって、見た目アレだけど、凄く居心地がいいんだもん」
「見た目がアレなのは余計だ。しかし…お前がいるだけで気が散る」
「じゃあさ、武藤くんは文芸誌を自分の部屋で読めばいいじゃん。俺はリビングのソファにでも寝っ転がって読むからさ」
「意地でも来るのか……迷惑猫め」
一度、レポートを書かせるのに家へ招いた結果、週に1~2度の頻度で猫柳が遊びに来るようになった。別に何をするでもないのに。しかも、上手く武藤のバイトの時間を避けているのが腹立たしい。そもそもどうしてバイトの予定を知っているのか。
その答えは意外とあっさり猫柳が白状した。
「古書店の店長さんに訊いたら教えてくれたよ?」
店長……シフトは個人情報ではないのだろうか…。そう心の中で武藤が嘆いたのは当然のことであった。
次回へ続く!!
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