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化ける猫と黒縁眼鏡  作者: 佐伯 みのる
<春の章>
10/30

フィールドワーク⑤



 一、産土の社に於いて、七つまでの宵闇の内に自らの「名」を認めた紙を、古びた鏡の裏へ貼り置くべし。是れは、古より伝わる「影拾い」の義にして、鏡の中に自身の影を封じ込め、現世の災いを其の影に肩代わりさせるなり。



 最初の一文を読み上げるのを、どこか不思議な気持ちで猫柳が見つめる。こんな話し方もできるのか、と。ゆっくり、言い聞かせるように、だけど優しく、心地よく響く声。

「……おい猫柳。タイピングの手がお留守だが…?」

「はっ!思わず聞き入っちゃった!!てか、聞いてただけだった!!」

「おまっ……もう読むの止めるぞ!?」

「ごめんって!なんていうか、本当に絵本読むように話すから、ビックリしちゃって」

「まぁ……下の弟に読んでやったりしてたからな」

「武藤くん、弟いるの?」

「ああ、いるぞ。それで、そのお留守の手はどうするんだ?」

「わああ!!しまった!!ごめんだけどもう一回!!」

「お前な……時間的にも、もうギリギリだぞ。だいぶ日が落ちた。電気が無いから暗くなると読めなくなる」

「大丈夫、懐中電灯もこうして…」

 カバンから、こんなこともあろうかと!とばかりに猫柳が懐中電灯を取り出すが、武藤は目を据わらせて猫柳の後ろ頭を豪快に叩いただけだった。

「いった……なに、なんで?」

「時間を考えろと俺は言っているんだ。これ以上遅くなると村長さんの迷惑になるだろう?」

「あ……そっか。そうだね、うん。じゃあお願い」

「分かった。じゃあいくぞ」

 そうして読み上げられたのは、冊子の半分にも届かなかった。ここで19時、さすがにこれ以上は無理だろう。

 猫柳はそれを残念に思ったが、どうせ最後まで読めてないのだからと、その冊子をカバンに入れる。

「猫柳、お前それをどうするんだ!?」

「村長さんに貸してもらえないか交渉する!無理だったら諦めてここに返しにくるよ」

「……まぁ、許可が出るならいいが……」

 まだ渋っている武藤の背を押して、猫柳は倉庫の中から出ると、元の通りに施錠した。暗くなってしまったので、懐中電灯で地面を照らしながらゆっくりと歩く。

 慎重に長い階段を下りて、鳥居を潜ったところでぽつり、と猫柳の鼻頭を水滴が弾く。ここにきて雨。せめてもう少し我慢してて欲しかった。

「おい猫柳、さっきの古文書こっちに寄越せ」

「え?」

 武藤の言葉に猫柳が目を向けると、武藤は己のカバンから折り畳み傘を取り出しているところだった。

「濡らしたらまずいだろう、ほら早く」

「え?傘あんの?」

 自分のカバンから古文書を取り出すと、猫柳は武藤に手渡しながら訊ねる。

「梅雨時だからな。折り畳み傘ぐらいは常備している。むしろなんでお前が持ってないんだ。馬鹿か?」

「ひどい!!」

「おい馬鹿猫。フィールドワークをするなら、懐中電灯だけじゃなくて、こういう折り畳み傘や、カバンを防水仕様のものにしておくとか、念のための簡単な保存食とか、現地の天気予報ぐらい確認しろ。素人の俺でもこのぐらいまでは思いつくんだ、もっとしっかりした準備が必要だったりすることもあるだろう?」

 一息に説教をされて、ぐぬぬ…と猫柳が口を噤んだ。何も言い返せない。そもそも今回だって、レポートの期限を忘れていたから、大慌てで出てきたのだ。もっと時間に余裕を持たせて、必要な持ち物を吟味する必要はあったと思う。あれもこれも「必要になるかも」といって用意すれば荷物は膨大になる。しかし今回のようにほとんど何も持たずに出てきてしまっては、こんな雨ひとつに対処できないのだ。

 猫柳は静かに反省をした。が、出てきた言葉は違うものだった。

「……武藤くんが一緒に来てくれて、良かったぁ」

「おい、お前は俺の話を本当に理解しているのか?」

「もちろんだよ。次は失敗しない。でも、今回は本当に武藤くんが一緒で助かったんだよ。ありがとう」

「俺は強制的に拉致されたとしか思ってないが」

「あはは、辛口だねぇ」

 話している内に、ぽつぽつと落ちてきていた雨粒は、どんどん勢いを増してきて、夕立のような勢いでザァっと降り出した。

「うわ、本格的に降ってきたな。早く行こう、猫柳」

「え、傘に入れてくれるの?相合傘!?」

「ふざけるな。これは古文書を入れたカバンを守るためにある。お前の入る余地は1ミリだってない」

「えー…まあいいや。こうやって雨に降られて歩くのもオツなものだからね!」

「せいぜい風邪を引かんようにな。ああ、馬鹿猫なら大丈夫か」

「どうして武藤くんはそう俺に辛辣なんだろ。まあいいや。あはは!」

 声を上げて笑いながら、本降りになった雨の中を機嫌良さそうに猫柳が歩いていく。その後ろをついて歩きながら武藤が「濡れ鼠が…いや、濡れ猫が。はしゃぎやがって」と悪態をついていた。

 歩くこと20分、村長の家に辿り着いてインターホンを押すと、出てきたのは村長だけでなく、奥さんと二人一緒だった。そしてすっかりびしょ濡れになっている猫柳を見て、まあまあと慌ててタオルを取りに奥へと戻っていく。村長は呆れた顔を隠しもせずに傘は持って無かったのかい?と訊いてきた。

「あはは、すいません。いけると思っていたんですけど、降られちゃいました」

「まったく…二人ともびしょ濡れだと風邪を引くだろう。中に入っていきなさい。帰りはどうするつもりだったんだい?」

「雨さえ降らなかったら、どこかで始発のバスが出るのを待とうかなと」

「は~…最近の若いモンは無謀だねぇ。せっかくだ、泊まっていくといい」

「えっ、……ご迷惑になりませんか?」

「迷惑も何も、研究に来た大学生を雨の中外に放り出してるって思われる方が迷惑だよ。田舎っていうのは、こういう噂はあっという間に回るからねぇ」

「申し訳ありません。お世話になります」

 深く頭を下げる猫柳の頭にパサリとタオルがかけられて、驚いて顔を上げると奥さんがにこやかな笑みで、タオルをもう一枚猫柳に差し出してきた。

「ほら、そっちのずぶ濡れのお兄ちゃんにも渡してやっとくれ」

「え……は?武藤くんなんでそんなにびしょ濡れなの!?傘は!?」

「だから言っただろう。俺の傘はな、大切なものが入っているカバンを死守するために使った。俺が入る隙間があるわけないだろうが」

 なんでもない風に言う武藤だが、ぶっきらぼうだけど確かにある優しさを感じて、猫柳は少しだけ泣きそうになった。


次回へ続く!!

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