魔王4
「ククッ……ようやくおいでなすったか。わざわざこんな人気のない城まで、ご苦労なこった。その重たい正義とやらを背負ったまま、よくここまで歩けたもんだね」
魔王は玉座に深く腰掛けたまま、退屈そうに爪を眺めている。剣を抜こうとする勇者の動きを、鼻で笑って制した。
「そんなに険しい顔をするなよ。君がこれまでなぎ倒してきた、力自慢の馬鹿な配下たちの非礼は詫びよう。……だが、あいにく私は、あいつらほど誠実な武人じゃないんでね」
「絶対に勝つ方法を知っているか? 教えてやろう。……勝負を、しなければいい。強い奴とは戦わない。それが唯一の正解だ。馬鹿正直に正面から突っ込んだって、泥水を啜って犬死にするだけだってことに、私は早々に気づいちまったんだよ」
魔王はゆっくりと立ち上がり、嘲るように勇者の全身を品定めする。
「君みたいな持ってる奴は、往々にして自分の強さに縛られちまう。剣が強ければ剣で語り、光の加護があれば光で闇を照らそうとする。だが、それは裏を返せば、それ以外の勝ち方を知らないという致命的な欠陥なんだよ」
「君が歩いてきた道を見てごらんよ。難攻不落の城を落とすのに、わざわざ正面から門を叩く馬鹿がどこにいる? 水源に毒を放り込み、食糧庫を焼き、……あるいは、君が守ろうとしている村の愛娘を、先にこちらの手元に招待しておけば済む話だ。君のその誇らしげな強さは、そういう脆いものの上に積み上げられた、ただの砂の城なのさ」
魔王は一歩、また一歩と間合いを詰め、獲物を追い詰める蛇のような目で囁く。
「君がどれほど神に近い力を振るおうと、君の持つ情……愛する人々、守りたい平和。そのすべてが、君の首を絞めるための、頑丈で逃げ場のないロープになる。皮肉だと思わないか? 君を突き動かすエネルギーが、そのまま君を殺す凶器になるんだ」
「卑怯? ククッ、最高の賛辞だ。負け犬ほどルールや正義を口にしたがるが、文句があるなら生き残ってから言うんだな。死人に口無し。この世には、生き残った勝者の意見しか通らない。歴史は、私がペンを走らせるままに書き換わる」
魔王は勇者の耳元で、冷たく、楽しげに言葉をこぼした。
「百年後の英雄譚にはこう書かせておこう。『偉大なる魔王の英断によって、世界に永劫の安寧がもたらされた。救世主を自称した大罪人は、己の罪を悔いて自決した』とな。そこには、君が背中から刺された事実も、人質を取られて膝をついた屈辱も、一行たりとも残らない。君という存在そのものが、私の都合の良いプロパガンダに塗りつぶされるんだ」
「さて、無駄なお喋りはこれくらいにしよう。君のプライドという名の安っぽいメッキが剥がれ落ち、喉元を食いちぎられる瞬間の、その情けない表情……。それこそが、この退屈な世界で唯一の娯楽だ」
「……さあ、君が一番大切にしているものから、ゆっくりと、確実に、粉々に壊してやるとしようか」
「……おっと、そんなに殺気立つなよ。君がその聖剣を振りかざした瞬間、あちら側のスイッチが入る手はずになっていてね。……そう、君の故郷、あののどかな村の広場に仕掛けた、ちょっとしたお土産さ」
魔王は懐から、古びた、しかし魔力を帯びた懐中時計を取り出し、わざとらしくチクタクと音を響かせた。
「君が旅立った後、村の人々は君の無事を祈って毎日集まっているらしいじゃないか。泣かせる話だ。だから私も、彼らの願いに応えてやったのさ。……広場の地下に、私の魔力をたっぷり詰めた結晶を埋めておいた。君が私を斬り、私の心臓が止まった瞬間に、その結晶が解放される。……ドカン、だ。村ごと、君の思い出も、待っている人々も、跡形もなく吹き飛ぶ」
驚愕に目を見開く勇者を、魔王は心底愉快そうに指差す。
「どうした? 聖剣が重くなったか? 君が私を倒せば、君は世界を救った英雄になれる。だが、同時に君は自分の手で故郷を皆殺しにした男になるわけだ。……これぞ正義のジレンマ、最高のエンターテインメントだろう? 」
魔王は一歩近づき、勇者の肩に馴れ馴れしく手を置いた。
「卑怯だと叫びたいかい? だが、これを用意したのは私じゃない。……君の村の、あの気のいい村長だよ。彼は金に困っていてね。私が少しばかりの金貨を握らせたら、喜んで地下への案内役を買って出てくれた。……人間なんてそんなもんだよ、勇者様。君が守ろうとしているのは、そんな薄汚い連中なんだ」
「さあ、選べ。私を殺して、最愛の人々の肉片が空に舞うのを見るか。それとも、その剣を捨てて私の足元に跪き、永遠の忠誠を誓うか。……君の選ぶ道が、そのまま君の正義の正体だ」
魔王は懐中時計を耳に当て、ニヤッと微笑んだ。
「……時間は刻一刻と過ぎていく。君が迷っている一秒ごとに、村の連中は一歩ずつ、死へと近づいているんだぜ? 」




