第六話 「九月三日に一つの未来を見た」
「安岡さん、朝ごはんはしっかり食べなきゃダメよ」
お節介なほど優しい看護師、松岡ユキノ。
彼女との出会いが、止まっていた俺の時間を動かし始める。
九月三日。
あの日の言葉は、今、別の意味を持って響き出す。
【フェーズ4】
ユキノ。
松岡ユキノは俺が勤めている病院で看護師をしていた。病棟担当で主任として働いていたのだ。
俺は患者の血圧や心電図など、複数の患者の情報をナースステーションで一度に映せるセントラルモニターや輸液ポンプ、シリンジポンプの点検などで各病棟を日々、回っていた。 トラブルや修理の報告などは師長が不在の時は主任に報告することになっていて、それまでにユキノとも何度か喋ったことはあった。
いつも、おっとりした口調で、
「あ、安岡さん、いつもありがとう」
って言ってくれて、トラブル対応ですぐにどうにかならず、しばらく装置が使えない時でも、
「わかった。じゃあ、別の方法で対応しとくね。でも早めに対応してよ」
と言ってくれる優しい主任さんというのが俺の印象だった。
ある日、セントラルモニターのトラブルがあって病棟に呼び出された俺は、師長の前に立ってるユキノを見かけた。師長は何か怒っているような様子だったが、俺はとりあえずセントラルモニターの状態を確認した。 俺は送信機を取り替えて、心電図がセントラルモニターに映るのを確認した。
報告のため師長の席の前まで行ったが、師長はまだ主任と対峙していて、とても話せる雰囲気ではなかった。
(どうしようかな)
と思ってると、師長が気づいて声かけてくれた。
「あ、モニター、どうだった?」
「ベッドサイドの送信機がエラーになってたみたいなので取り替えておきました」
「そう、わかった。ありがとうね」
師長の言葉は柔らかだったが、明らかに早く帰れという感じで俺を見た。
「また何かあったら言ってください」
そう言って俺はその場を離れた。
(主任さん、大丈夫かな?何があったんだろう)
俺は少し気になったが、とても近寄れる雰囲気ではなかったので、そのまま病棟を離れた。
*
それからしばらく経ったある朝、お昼用のサンドイッチでも買おうと病院内にあるコンビニに立ち寄った。
いつものように玉子と野菜の入ったサンドイッチに手を伸ばした時だった。
「あら、安岡さん、それ朝ごはん?」
と聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。振り向くとユキノがいた。
「あ、松岡主任、今、出勤ですか? 早いですね」
「何言ってるの。安岡さんだって、もう来てるじゃない」
と言って笑った。
コンビニの壁時計は七時五分を指していた。
「俺はいつも早めに来るのでこれくらいですよ。主任さんは?」
「私もこれくらい。いろいろやることがあるからね。そんなことより、朝は食べたの?」
「いや、コーヒー飲んだだけです」
「それで、そのサンドイッチが朝ごはん?」
「あ、これはお昼に食べようかと。俺たち、いつ病棟に呼ばれるかわからないんで、いつもサッと食べられるものにしてるんです」
「え、それじゃあお昼まで持たないでしょ。朝はしっかり食べなきゃダメよ」
「まぁ、そんなんですけどね。一人暮らしなもんで、夜、遅くなることも多いので外食したりして、朝は食べられないんですよ」
「えーそうなの?安岡さん、病棟で会う時はテキパキ仕事してくれるから、普段も、もっとちゃんとしてるかと思った」
「すみませんね、イメージ壊して」
俺は苦笑した。
「はぁ、仕方ないわね」
とユキノは、近くにあった、おにぎりと野菜が入った朝食弁当を手に取って、
「これ、わたしが買ってあげるから、仕事始めるまでに食べなさいよ」
「あ、え、いや、それは申し訳ないんで」
「自分で買います」
「絶対、買わないね。でも私が買ったらイヤでも食べるでしょ。朝のエネルギー補給は大事なんだから、ちゃんと食べなさいよ」
と言っておにぎり弁当を買って渡してくれた。
俺は、
「主任さん、すみません。これ、ありがとうございます」
「しっかり食べるのよ」
「ハイ、しっかり食べます」
俺は彼女に頭を下げた。
ユキノは笑顔で手を振って病棟へ向かって行った。
その後ろ姿を見送りながら、なんかすごくうれしい気持ちが湧いてきて、俺は急いでME機器センター裏の休憩室に戻って、おにぎり弁当を全部食べた。
(やっぱり朝ごはん食べないといけないんだな。主任さんありがとう)
俺は心の中で呟いた。
*
それから一週間経って、俺はまたユキノと病院のコンビニで会った。
「またサンドイッチ?」
という声が聞こえてきた。
「あ、主任さん。ハイ、これお昼用です。でもほら、ちゃんと朝メシ用も買ってます」
と俺はコンビニ用の小さい買い物かごに入れたおにぎり弁当を彼女に見せた。
「おー、えらい、えらい。ちゃんと朝ごはん、食べるようにしたんだね」
「ハイ、主任さんに言われてから毎日、朝食とってます。おかげで体の調子もいいです」
「そう、それは良かった。でも毎日、コンビニと外食じゃダメね」
「そうなんですけど、それでも調子いいんですよ。そうだ、今度、一緒に飲みに行きませんか?」
俺は自分の言葉にビックリした。
(俺、何言ってるんだろ)
自分から誘うなんて、これまでの自分では絶対有り得ない。 俺はドクドクと自分の心臓の鳴る音が聞こえるほど動揺していたが、それに気づいてか、気づかずか、ユキノは、
「何?誘ってくれるの? うれしい! このところ、仕事めちゃくちゃ忙しかったし、飲みに行きたかったけど、誰も誘ってくれないからストレス溜まってたのよ。 ね、いつ行く?」
俺はこのユキノの返事にもっと戸惑って、
「主任さんの空いている日はいつですか?」
と言うのが精一杯だった。
「あ、ちょっと待って予定見てみるから」
とスマホのスケジュールアプリを開いて
「……えっと、三日なら大丈夫。翌日はオフだし、安岡さんはどう?」
そう言われて俺も自分のスマホを開いて、
「三日……ですね。えっと、大丈夫です。自分も四日は休みなので」
と答えた。
「じゃあ、決まりね」
「はい、じゃあ、お店決めておきますね。もちろん、自分が奢りますから」
「いいわよ、そんなの割り勘で。三日か。ちょっと楽しみになったな。誘ってくれてありがとね」
「いえ、こちらこそうれしいです。三日、よろしくお願いします」
「何をよろしくお願いするの?」
「あ、いや、そんな変な意味じゃなく」
「変なこと考えてたの?」
「あ、いや……」
俺は年甲斐もなく耳を真っ赤にして照れた。
「ふふ、まぁいいわ。じゃ三日ね。仕事の後だから、八時くらいにここで待ち合わせにしましょ」
「八時ですね。わかりました」
「じゃねー」
と言ってユキノは笑顔で病棟へ向かって行った。
(九月三日か…… KAHOちゃんの誕生日だな……)
俺はふとそんなこと考えたが、すぐにお店どこにしよう?とスマホで二人で入れそうな居酒屋を検索した。
*
そして九月三日の夜八時過ぎ、仕事を終えたユキノがコンビニにやってきた。
普段のナース服とは違う少しおしゃれした私服に俺は少しドキドキした。
二人でタクシーに乗って繁華街まで出た。
そして少し入り組んだ路地の裏にある「ふみ町」という小料理屋といった雰囲気の店に入った。
「へぇ、安岡さん、こんなお店知ってるんだ。なかなか雰囲気いいじゃない」
「そう言ってもらえてよかったです」
二人はと先に注文した生ビールと枝豆の付け出しが来ると、
「じゃ、とりあえず乾杯」
と言ってビールグラスを重ねた。
ユキノはそのビールを一気に飲み干すと
「あー、美味しい。仕事上がりの一杯は最高ね」
「おー、行きますね」
「行くわよ。久しぶりなんだから。おかわり」
ユキノはお店の人に声をかけて
「安岡さんは飲まないの?」
と、俺に聞いた。
「あんまり強くはないので、少しずつやりますね」
「あ、そうなんだ。ごめんね。でも私、今日は飲みたい気分なの」
「なんか、仕事であったんですか?」
「え、何にもないわよ。どうして?」
「いや、ちょっと前に病棟で呼ばれた時、師長さんと難しい顔で話をされていたから、大丈夫なのかなって」
「……ああ、あれね、全然大丈夫。ちょっとスタッフの配置のことで師長さんと意見が食い違ったのよ。よくあるの。そんなの全然平気」
「そうなんですね。なら、良かった」
俺はビールを一口飲んだ。 そこへ二杯目の生ビールが出てきた。ユキノはそれも一気に飲み干した。
「主任さん、大丈夫ですか?」
「主任さんはやめてよ。仕事じゃないんだから」
「じゃ、松岡さん」
「固っ苦しいわね、ユキノでいいわよ」
「じゃ、今日だけユキノさん」
と俺は笑ってみせた。
「じゃあ、私は崇さんって呼ぶわね」
「え、崇さんってあんまり言われないから恥ずかしいですよ。それなら崇って呼び捨てにされた方がいい」
「んー、ま、いいわ。その代わり、私のこともユキノって呼んでよね。それより、崇、毎日コンビニ弁当なの?」
「お、崇って、いきなりですか」
(って最初から呼び捨てされるの高校時代のみゆき以来だな)
俺はそう思ったが、そのことは口には出さず、笑いながら、
「ハイ、コンビニ、多いですね。後は外食かな。仕事も不規則になっちゃうんでどうしてもそうなりますね」
「誰か作ってくれる恋人いないの?」
「そんなのいないですよ」
「えー、ほんと?ほんとはいるんじゃないの?」
「いないよ。俺には君だけだよ」
「え?」
「え?」
(俺、何言ってるんだろ)
「今のどういうこと?」
とユキノが訊いてきた。
「すみません、主任さん、じゃなかったユキノ……さんが、昔、好きだった子とおんなじこと、言ったんで、その時に答えた言葉をつい条件反射みたいに言ってしまいました。ごめんなさい」
「おんなじことって?」
「だから、『好きな子、ほんとはいるんじゃないの?』って言葉」
「その子もそう訊いたの?」
「ハイ。で、俺、めっちゃ、その子のこと好きだったけど、失恋するのが怖かったから、冗談に聞こえるだろうなって思って、『俺には君だけだよ』って言ったんです」
「それで?」
「え、それで?」
「それでその子とうまくいったの?」
「いや、ダメでした。あの子も俺のこと好きだったのかもしれないと今なら思えるんですけど、その頃は全くなんにも見えてなくて。結局、ほんとに告白することもなく、終わってしまいました」
「その子、絶対、崇のこと、好きよ」
「え、どうしてそんなこと言い切れるんですか?そんなの本人にしかわからないじゃないですか」
「言い切れるわよ」
「だからどうして」
「私がそうだからよ」
「え?」
「だから、『ほんとは好きな人いるんじゃないの?』と崇に訊いた私がそうだからよ」
「え、いや、それって……」
とユキノは、さらに追加で出てきたビールをぐっと飲み、
「病棟でモニターのチェックしてくれてる時からいいなと思ってたのよ」
「え、そうなんですか?」
「うん、若い看護師が装置のトラブルで結構キツいこと言っても丁寧に対応してくれるし、いつだったかなぁ、患者さんが急変した時、救急のドクターと一緒に除細動器、持ってきたことあったでしょ?」
「ああ、あの時、主任さん、いらっしゃいましたね。あ、ユキノさん……、ユキノ、いましたね」
俺がドギマギしながらそう言うと、
「あの時、テキパキと準備してドクターに指示してるあなた、かっこよかったわよ」
「いや、ほんとはドクターから指示もらわないといけないんですけど、若手の慣れてない先生だったので、患者さんが助からないといけないと思って、ちょっと出しゃばっちゃいました」
「ううん、おかげで患者さんも助かったし、ほんと、よかった。今さらだけど、ありがとうね」
「いや、そんな風に言ってもらえて光栄です」
と、ユキノはもう一口、ビールを飲んで、
「で?」
「で?……とは?」
「で、どうなのよ。私は崇が好きだって言ったのよ。あなたはどう思ってるの?」
俺は急にまた胸が高鳴った。
「もちろん、俺にはユキノだけだよ」
「それ、ごまかしてるんじゃないわよね?」
俺は慌てて、
「ごまかしてないです。俺もずっと主任さん、ユキノのこと、いいなって思ってました」
「ほんと?良かったぁ。私、今日、あなたに会うのすごく楽しみだったの。でも恋愛なんてできるタイプじゃないと思ってたし、自分からこんなこと言うなんて思ってなかったから、自分で何言ってるんだろうって思ってドキドキしちゃった。あー恥ズ」
「そうなんですか?」
「そうなの!」
「うれしいです」
「じゃ、ハイ」
と、ユキノは右手を出して、
「え?何?」
戸惑う俺に、
「握手しよ」
「握手?」
「いいから握手しよ」
と強引に俺の右手を握って、
「これからよろしくね」
とその日、一番の笑顔を俺に見せてくれた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺も真面目に答えた。
ユキノは笑って、
「何をお願いするの?」
と訊いてきた。
「あ、いや、だから、えっと……」
「崇、そういうところ、純だよね。そこがカワイイ」
俺はユキノの完全に弄ばれていた。 でも、それは俺にとって本当に心地よい状態だった。
「ふみ町」で会計を済ませた俺はユキノに、
「ちょっとトイレ」
といって男子用トイレに入った。ユキノも、
「私もいっとこ」
といって女子用のトイレに消えた。 トイレで用を足し、お手洗いで手を洗っているとスマホが鳴った。
見ると飲食加盟店ポイントに「ふみ町」のポイントが足されていた。
そこにまた特別アイテム「Dreamin’」の文字を見つけた俺は、何気に押してみた。




