KAHO
「安岡氏、そんなこと言うようになったんだね」
電話の向こうで笑う彼女の声は、17年前と少しも変わっていなかった。
でも、俺たちはもう、あの頃の迷い子じゃない。
KAHOちゃんと最後に演奏したあの日から17年が経った。
あの頃、将来なんてまるで見えていなかった俺が、今は京都の総合病院に勤めている。
その前に幾つか仕事もしたが、27で専門学校に入り、30で国家資格を取った。
ここで働き始めて、もう7年になる。
病棟の看護主任だったユキノと5年前に結婚し、今は3歳になる長女が一人いる。
昨夜、KAHOちゃんの電話番号が書かれた手紙を自宅で見つけた。
実はKAHOちゃんとは、最後に演奏した日から数年は連絡が取れていた。
と言っても、その頃は手紙で近況を知らせるくらいだった。
松永さんとは2年くらい付き合っていたが、結局、別れたと聞いた。
俺は大学を辞め、何個かアルバイトのような仕事をしたが、実家に帰って身内が紹介してくれた会社で働いていた。その頃、彼女から届いた手紙に、
『今度、マンションに引っ越すから何かあったらここに連絡して』
と、住所と電話番号が書いてあった。
その手紙を自分の作詞ノートに挟んだまま、ずっと忘れていた。
それが昨夜、久しぶりに何か曲作りたいと思い、昔のノートを開いたら、その手紙が出てきた。
夜も遅く、すぐに連絡するわけにもいかない。明日にしようと思ってそのまま寝た。
翌日は朝早くから緊急対応など仕事が忙しく、とても連絡する時間は、なかった。
それでも俺は手紙に書かれていた電話番号が仕事の間中、気になっていた。
いつもなら、また今度でいいやと思ってしまうのだが、どうしても気になって仕方なかった。
そして仕事終わりにとうとう耐えきれなくなって、電話をかけることにした。
(この番号、もう使われていないかもしれない)
そう思いながら、俺は電話をかけた。
・・・ 呼び出し音が数回鳴った後、
「もしもし?」
と彼女の声がした。
「KAHOちゃん? 元気? 安岡です」
「え、安岡君なの? ほんと?」
「本当に安岡ですよ」
「久しぶりじゃない。びっくりした~」
「元気そうだね」
「安岡君、今、仕事は何してるの?」
「今は医療関係の仕事しているよ」
「ウソ、疑惑の安岡氏が? だって大学だって、まともに出なかったでしょ?」
「そう、出てない。でも、そのあと、いろいろあって医療系の専門学校に行って資格をとってね。
今は京都の総合病院で働いているんだ」
「えー、それ、ほんと? ほんとにそうなら、本当に良かった。安心したわ」
「赤田さんも県立高校の美術教師になったよ」
「え、ウソ。あの頃、赤田さんも結構、遊び人だったじゃない? モラトリアム、やる時はやるんだね」
「そう、やる時はやるのがモラトリアム。というか、赤田さんが教師になった時に電話くれて、
教師になるためにこれ以上はないってところまで勉強したって話をしてくれたんだよ。
そして、安岡氏もそういうところまでやらないとダメだって言われたんだ。
それで、あの遊び人の赤田さんが教師になれるんなら、僕だって何かになってやると思ってね。
その時働いていたのが工業系の仕事だったから、『臨床工学技士』という資格を取ろうと思って、
死ぬほど勉強して専門学校に入って資格を取ったんだ。
そしたら赤田さんが喜んでくれてね。『それでこそモラトリアムだ』、なんて笑ってよ」
「へえ、安岡氏、そんなに頑張ったんだ。えらいえらい」
「えらいでしょ。 あの頃からは想像できない?」
「できない、できない」
彼女は声を弾ませて笑った。
「ところでKAHOちゃんは何か変わったことないのかい?」
「私? 私ね、‥‥結婚します」
「え、そうなの? おめでとう。良かったね」
「ありがとう。でも、今日、連絡くれて良かった。来週だったら、もう私、ここにいなかったから……。
安岡氏はいつも、私の節目に現れるね」
「それが俺らしいでしょ!」
「うん、安岡氏らしい! 本当にありがとうね」
「俺ももう、子どもいるし、元気にやってるよ」
「へえ、安岡氏、お父さんなんだ。なんか信じられない」
「まぁ、自分でも信じられないよ。
でもね、親ってね、自分でなるんじゃないんだ。子どもが俺を親にしてくれるんだ。
だから今は幸せだよ」
「‥‥安岡氏、そんなこと言うようになったんだね。
あの、『講義も受けず音楽以外、何にも見てなかった安岡氏』がちゃんとお父さんしてるんだ。
じゃあ、私も子どもができたらお母さんになれるかな?」
「なれる。心配しなくてもKAHOちゃんの子どもがKAHOちゃんをお母さんにしてくれるよ」
「そうかぁ、わかった。安岡氏の言葉を信じるよ、ありがとう」
「うん、じゃあ、ほんとにおめでとう。幸せになってね」
「安岡氏も体に気をつけて、じゃあね」
「じゃあね」
電話を切った俺は、なぜか心が熱くなるのを感じた。
迷ったけど電話してよかったな。
今度こそ――ほんとに幸せになってほしいと心から願った。
ふと、ベランダから暮れなずむ空を見上げた。
17年という歳月が、俺たちを「親」という新しいフェーズに連れてきた。
だとすると、さらに数十年が過ぎた未来、俺たちはどんな空の下にいるのだろう。
著作権なんてものがなくなるくらい遠い未来。
じいさんとばあさんになった俺たちが、どこかの丘でばったり会って、
「あの曲、ネットに流しといたよ」なんて笑い合いながら、一緒に夕陽を見れたらいいなぁ。
そんな、ありもしない未来の空想が確かな現実に変わることを、俺は、心のどこかで願っていた。
夕映え
遠く離れて暮らす毎日
あなたは見えないけれど
目を閉じれば いつもそばに居る
そう思えるだけで幸せだよ
ねぇ夕映えの空を
違う場所で見つめても
同じ想いを抱いていられるよね?
言葉はなくてもいい
何よりあなたの想いが
僕の中にあるから
忘れかけてた胸の高鳴り
こんなに感じているよ
気づけばまた考えてる
いつも同じこと そう
あなたのためにできること
心熱く生きている
どんな時も あなたと一緒に
ねぇ夕映えの空は
今日も心に輝いて
同じ想いを隣りに感じられるから
いつかふたりで肩並べて見つめよう
同じ想いをその時も抱けるよね?
言葉はなくてもいい
確かなあなたの想いが
僕の中にあるから
夕陽が沈むその前に
きっとふたりで見つめよう




