オアシスでの女子会から十年後。
その日、ヨウコとユキノは神戸の街を歩いていた。
「ユキノと神戸の街歩くの、久しぶりね」
「そうね。このところ、仕事が忙しかったから」
「今日、遙ちゃんは?」
「崇がみてくれてる。『久しぶりに神戸に行くんだからゆっくりして来い』って」
「へぇ、崇さん、パパしてるんだ」
「遙も小二だから、そんなに心配してない」
「小二ってことは八歳よね? もうそんなになるのかぁ」
「そうよ。時間はあっという間に過ぎるのよ」
「はぁ、いまだに私の王子様は現れないしね」
「ヨウコは理想が高過ぎるのよ」
「だって、中途半端な妥協なんかしたくないもん」
「ま、それはそうね」
「ん? なんかユキノ、不機嫌そうね」
「え、そんなことないけど」
「いや、あるでしょ?」
「……出かける時、遙が『ママ、ゆ〜っくりしてきてね。今日はパパと二人で楽しく過ごすから。ねぇ〜パパ』って言って、崇も『うん、なんか面白いことして、美味しいもの食べようね』ってデレデレしてて……」
「あー、ヤキモチか。遙ちゃんに妬いてんだ」
「え、そ、そんなわけないでしょ」
ユキノは明らかに動揺した声で言った。
「へぇ、これは使えるな」
「『使える』って何よ」
「何かあったら、遙ちゃんと共闘体制が組めるってこと」
「ヨウコ、あんたねぇ……」
「ま、ま、今日のところは神戸を楽しみましょ。この後、オアシス行くんだし、ママや涼子ちゃんにも久しぶりに会うんだから」
「涼子ちゃんか……。彼女、まだママのところにいるのよね?」
「そうよ。時々、ママと三人で飲んでるけど、浩太さんのところへ戻る決心はついてないみたい」
「そう……。 あんた、今日、私を誘ったのは涼子ちゃんの後押しをさせるためでしょ?」
「いや、そこまでは思ってないけど、このままじゃいけない気がしてきてね。ママも『涼子がいてくれるのは嬉しいけど、このままじゃいけない』って言ってたから」
「ママ、涼子ちゃんのこと、呼び捨てにしてるのね」
「そうよ。もう本当の親子になったみたい」
「そう、それはそれでいいことだけど、う〜ん、確かにこのままは良くないわね。何が言えるのかわからないけど、とりあえず行ってみましょ」
「うん、行こう行こう!」
「あんた、何、ウキウキしてんのよ」
「だって、ユキノが動けば、何かが動くんですもの。ウキウキせずにはいられない」
「あんたねぇ……」
ユキノは深いため息をついた。
ヨウコはそんなことには一切お構いなしに、ユキノと腕を組んで、引っ張るようにオアシスへの道を急いだ。
カランコロン
ヨウコがユキノと腕を組みながら、オアシスのドアを開けた。
「いらっしゃいませ。あ、ヨウコさん!」
「涼子ちゃん、この前はありがとね。今日はユキノ連れてきた」
「ユキノさん、ご無沙汰してます」
「涼子ちゃん、元気そうね」
「はい、もうこの仕事、楽しくって。ママも優しいし。あ、ママ〜、ヨウコさんとユキノさんよ〜」
その声が届いたのか、厨房の中からママが出てきた。
「あら、ユキノさん、久しぶり。元気だった? 娘さんは?」
「旦那が見てます」
「そう、じゃ、ゆっくりできるのね」
「はい」
「涼子、五番テーブルの料理上がってるから持って行ってちょうだい。それが済んだら、しばらくヨウコさん達と話していていいわよ。もう空いてくる時間だから」
「は〜い。じゃ、ヨウコさん、ユキノさん、また後でね」
涼子は笑顔でそう言うと、厨房から慣れた手つきで料理をトレイにのせ、テーブルへと運んだ。
「さあさ、こっちのテーブルに座って」
ママにそう勧められたヨウコとユキノはカウンター前の大きなテーブル席に座った。
「ママ、あのことだけど……」
「わかってる。だからユキノさん、連れてきてくれたんでしょ」
「ママまでそんなこと言って。私はそんな力ないのよ」
「いいえ、ユキノさんには、そんな力があるの。本人が気づいてないだけ」
「買いかぶりよ。でも、少し話してみるわ」
ユキノがそう言うと、ママは安心した顔になった。
「涼子、もういいわ。こっちにきて、ヨウコさん達のお相手してちょうだい。私はウラの片付けしないといけないから」
「は〜い。でも、ママ、私が片付けするから、ママが話しててよ。ユキノさんと話すの、久しぶりでしょ」
「いいのよ。あとでゆっくり話すから、あんたはそんな気を使わないで、たまにはゆっくりしたらいいの。ユキノさん、この子、誰に似たのか全然、休まないのよ。困ったもんねぇ」
「だって、この仕事、楽しんだもの」
「なるほど……」
ユキノがボソッとつぶやいた。
ヨウコはその声を聞き逃さなかった。
「なるほどって何が?」
「こりゃ、重症だわ。涼子ちゃんも、そしてママも」
「どういうこと?」
「あの二人、完全に親子になったつもりでいる」
「いいじゃない。別に」
「いいけど、涼子ちゃんは帰らなきゃいけない場所があるんだよね?」
「あ、そうか」
「そう、このままだとあの二人離れられなくなる。いや、もうすでに危ない」
「そうなの? 私には単に仲のいい親子にしか見えないけど」
「二人とも親子を演じてるのよ。ママは本当の娘を持ったことがないし、涼子ちゃんは実の母親の愛情をほとんど知らない。だから二人で理想の親子を演じてるの。たぶん、演じてるとも気付かずに」
「それ、ダメなの?」
「今は問題ないわ。でも、涼子ちゃんが浩太さんの元へ帰ったら、どうなる?」
「……ママ、寂しくなる」
「そうね。それだけじゃない。涼子ちゃんもママのことばかり気になって、また戻ってくるかもしれない。それじゃダメなのよ」
「そっか。でも、どうしたらいいんだろ」
「さあ?」
「さあ?って。そんな無責任な」
「言ったでしょ。私にそんな力はないって。とにかく、話してみるしかないわ」
「……そうね」
と、そこへ涼子がやってきた。
「お待たせしました。ユキノさん、本当に久しぶりですね。また飲みましょうよ」
「そうね。涼子ちゃん、見た感じ、前より明るくなったね」
「え、そうですか?」
「うん、なんかいろんなこと吹っ切れた感じに見える」
「まぁ、いつまでもウジウジ考えてても仕方ないし、ここにいればママもいるし、楽しいことばかりですから」
「本当にそう?」
「え?」
「何か、ごまかしてない?」
「何をですか?」
「自分の本当の気持ちよ」
「本当って、本当ですよ。私、嘘なんかついてません」
「じゃ、浩太さんのことは?」
「浩太のこと……?」
「ええ、あなた、浩太さんのことが好きなのよね」
「はい。でも、もういいんです」
「何がいいの?」
「もう十年も会ってないんですよ。彼だって、とっくに私のことなんか忘れてますよ」
「あなたはどうなの?」
「え?」
「あなたは彼を忘れたの?」
「……忘れ……ました」
「ウソ。今でも好きだって顔に書いてある」
「書いてませんよ。もうほっといてください。浩太のことは忘れることにしたんです」
「どうして?」
「だって、ママが……」
「ママ? ママは関係ないでしょ? 一生、ママと一緒にいるつもり?」
「ユキノさん、久しぶりに会ったのに、どうしてそんなイジワル言うんですか?」
「イジワル? イジワルに聞こえる?」
「……ごめんなさい。聞こえません。…わかってます。私、本当は浩太のところに……。でも、ママと居たいし……」
「そうだと思った。ちょっと長くここに居過ぎたのかもしれないわね」
「そうなのかなぁ……。わかんないや。私、母親の愛情がわからないから、ママといると本当の親子になれたみたいで嬉しくって」
「それと彼とは別のことよ。いい? 一回しか言わないからね。あなたが本当に居るべき場所はここでいいの?」
「それは……」
「ごめんね。キツイこと言って。でも、これはとても大事なことなのよ」
「……今日、宇治で花火、あるんですよね」
「え?」
「あ、花火って言っても数発だけなんですけど、宇治川花火大会が廃止になってから、毎年、大久保の自衛隊でこの時期に花火をあげるんですよ。ネット見てたら、今日あるって書いてあったので……」
「行きなさい」
「え?」
「その花火、見たいんでしょ? 今、14時半だから、充分、間に合う」
「え、でも、浩太がそれを見に行くとは限らない……」
「見に行くわよ。あなたのことが今でも好きなら、絶対に行く」
「もし、いなかったら?」
「そんなことは考えないの。好きな相手を信じるだけよ」
「でも、仕事が……」
「行きなさい」
不意に後ろから声がして涼子は振り返った。
「ママ……」
「行きなさい。あなた、今行かなかったら、絶対、後悔する」
「……でも」
「行きなさい、涼子。今日まで私たちの娘でいてくれてありがとう。でも、あなたの幸せはここじゃないの。それはあなたが一番よくわかってるでしょ」
「ママ……」
涼子は意を決したかのように、エプロンの首紐と腰紐をほどいて外すとママに渡した。
ママはそれを受け取ると、にっこりと笑って、大きく頷いた。
涼子は、ママに深いお辞儀をしたかと思うと、そのまま、オアシスから飛び出して行った。
見送るママの目には涙がいっぱい光っていた。
きっと、走っていく涼子も泣いているに違いない。
駅の方へ走ってゆく涼子の背中を見送るママの肩にヨウコがそっと手を置いた。
「ママ、大丈夫よ。涼子ちゃん、きっと幸せになる」
「……うん、うん、そうね。そうでなくっちゃね」
「そうよ。それにママには私がいるじゃない。私だって、ママのこと、本当のお母さんだと思ってるんだから」
「うん、ありがとね。ヨウコさん」
「ヨウコって呼んでよ。その方が嬉しい」
「ありがとう、ヨウコ」
そういうとママはヨウコに抱きついて泣き崩れた。
ママの手は、涼子の置いていったエプロンをしっかりと握りしめていた。




