第二話 父の教え 後編&大坂からの誘い
少し投稿が遅れてしまってすみません。投稿頑張ります!
「では、どういうことでございますか?」
「豊臣の金銭を使うのじゃ。」
「今の豊臣に豊富な金銭などあるのでございまするか?」
「無論だ。この金で軍備を固め、調略を行え。きっとこの金が力の源になるはずじゃ。」
「後な…」
昌幸は血を吐いた。
「父上!!しっかり!」
「もう終わりのようじゃ。皆が待っておる。源次郎、これを。」
昌幸は懐から最後の力を振り絞って書簡を取り出した。
「これはなんでございましょうか?」
「お主に役立つだろう。ここぞと言う時に使え。」
「分かり申した。」
「楽しかったぞ。源次郎。源三郎にも、よろしく頼んだ。」
「御意!」
天文16年(1611年)表裏比興の者と評された真田昌幸は、九度山にて65歳の生涯を終えた。
駿府城・本丸
「そうか、安房が死んだか。」
茶を飲むその男には、多少の笑みがこぼれていた。
慶長19年(1614年)紀伊国・九度山
「殿、殿!」
「なんじゃ、どうした内記。」
「と、と、豊臣の、使者が参られております!」
「誠か!すぐに向かう!」
「私が真田左衛門佐信繁でございます。こんな夜分遅くにどうなされた。」
「単刀直入に申し上げると、豊臣右府様からのお言葉を伝えに来た。」
「では、お願いいたします。」
「真田左衛門佐信繁、至急九度山を抜け大坂に参陣し、逆賊である徳川家康・秀忠父子の首をとるべし。」
「謹んで、お受け致します。」
「そのお言葉、上様もお喜びになることであろう。では、儂はここで失礼する。」
「すみません。一つお聞きしても宜しいでしょうか。」
「何でしょう?」
「他に勇名を馳せている方はどなたが大坂に行かれるのですか?」
「確か、土佐22万石の領主だった、長宗我部殿、豊臣恩顧の大名だった、毛利勝永殿、宇喜多家の筆頭家老だった明石全登殿、黒田如水の元で数々の戦功を挙げた後藤殿などでござる。」
「そうでございますか。ありがとうございまする。」
「そうじゃ!宇喜多八郎秀家様が入城されるそうじゃ!」
「備前宰相様が…?」
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