File.36 追記
長いこと思索にふけって歩いていたマイクは、気が付くと司令プラントに着いていた。
一か月前、十月五日のあの戦いから、語り尽くせぬほど膨大な変化がここを訪れた。
ヘクター・ブラウン少佐とサイラス・ギルグッド准将を中心に何名かの将校が消息を絶ち、今もパシフィックは総力を挙げて血眼になりながら探している。
准将らが行方をくらませると本国は部隊を送り込み、実力行使で基地を占領した。窮屈な生活は二週間続いたが、それだけだ。十月二十日の時点で急遽、スノースピア隊を含む全クレイバード部隊を率いて撤収。置き忘れたかのようにマイクを臨時の基地責任者に据え付けていった。
時代の波に飲まれるとはこういうことを言うのだろうか。
まず一番大きな波を引き起こしたのは、今もどこかの生き延びているヘクターであろう。
十月二十日、世界中に張り巡らされたインターネットの至る所に、とあるファイルがアップロードされた。
各国機関が五分以内に検閲・削除を開始したが、それでも数多くのコピーが作成されたことは想像に難くない。そもそも元データの所在すら掴めていないのだから何の解決にもなっていなかった。
そのファイルは、アフリカ戦争最後の一年、二〇九八年に撮影された複数の映像で構成されていた。
熱帯雨林の中にいきなり現れた無機質な建造物、そこに突入するパシフィックの特殊部隊。隊員達のヘルメットに搭載された小型カメラの映像や、突入の様子を映した空撮映像が何を意味しているのか当初は不明であった。理解した者もいたに違いないが、彼らは一様に口を噤んだのだろう。しかし、有志による検証が始まり、徐々に全貌が明らかになる。
数日に渡って匿名で投稿されたヒントもあって検証は加速し、一つの結論が浮かび上がった。
映像に映し出されていた建物は中部アフリカ・ガボンのオクロ近郊に造られた核施設であり、世界各地で火球を輝かせた元凶だ。
十年もの歳月を費やし世界を二分させたアフリカ戦争の大部分は、単純な誤解によって生じた無意味なものだったのではないか。
もはや核兵器の製造が国家の専売特許ではないということは厳然たる事実として把握されていたにも関わらず、古い発想に囚われて間違った相手と殺し合ったとは。
挙句、それを引きずってヨーロッパを戦場にするとは何事だ。
様々な不満が静かに流された。
多くの市民に拘禁や粛清のリスクを負ってまで行動に出るほどの気力は残されていなかったため現体制が転覆するようなことは起きなかったが、今回の暴露である者は憎しみを蓄え、別の者は確実に力を付けた。
ヘクターの行方を追ってパシフィックは世界中に部隊を展開している。現状、他の敵に注意する余力は無いに違いない。
想定外ではあるが予想以上に好ましい状況へと世界が動いたことに、マイクは内心とても驚いている。
反パシフィック組織に第三世代機とパイロットを引き渡し、記録データの件でヘクターとの交渉の機会を得るために大西洋第四プラント基地へ辿り着いた。どちらか一つでも重た過ぎる役目であったが結果的にはどちらも成功だ。
アレンとクリスタは組織との接触地点へと旅立っていき、記録データに関しては公表のリスクをヘクターが勝手に背負ってくれた。
しばらくはやるべきことも無い。ただ本国から怪しまれないように多少の注意を払うだけだ。
マイクは無人の司令官室に踏み入ると、足早に書類棚へと向かう。
上から二番目の棚板の裏に手を伸ばし、窪みの中にあるボタンを押した。音も立てず棚が横へスライドし、金属製の扉が現れる。
設計図面には存在しない部屋だ。ギルグッドの本国に対する反抗心、否、恐怖心から作られたシェルター的なもので、今ではマイクが有効に使わせてもらっている。
扉を開くと多少の家具や電子機器のある質素な空間が拡がり、その真ん中のベッドには黒髪の少女が一人眠っていた。
「調子はいかがですか、アキさん」
マイクが声を掛けると、アキはぼんやりと目を開け顔をもたげる。
「退屈過ぎます。ブレント以外に連れてこれる話し相手はいないんですか?」
口を尖らせる彼女にマイクは微笑を向けた。
一か月半ほど前に自ら命を絶とうとしたアキに対し、マイクは先手を取っていた。彼女が自殺を図るとすれば、彼女が最も自由になれると同時に鎖そのものでもあったクレイバードの可能性が高い。そう予想し、制御パルスの逆流が起きても仮死状態に留まるよう、メカニックの一人を買収して細工を施したのだ。
意識を取り戻したアキの説得には骨が折れたが、何とかなった。
あれほど本気で人に言葉を届けたのはいつ以来だろう。
本来はアキを組織に連れて行く算段だった。彼女なら自分の意思で付いて来てくれると信じていたからだ。
対してアレンは、連れて行くだけなら容易だろう。それは意志の希薄さに起因するもので、極端な話、上手く乗せれば民間人の虐殺であろうと躊躇しないはずだ。それは望むところではない。
しかしアキは心が折れ、同時期、アレンに意志の片鱗が見え始めた。身も蓋も無い言い方をすれば「代わり」である。
だが、そんな事実はおくびにも出さない、実際マイク自身もそう考えていなかった。
アキの方を一瞥し振り返ると、部屋の隅にあるデスクへと向かう。
「話し相手を連れてくることは難しいですが、もうじき用意はできますよ」
そう肩越しに言って机上のコンピューターを起動した。
基地内の情報面での安全確認に二週間を要してしまったが、もう問題ないはずだ。命に関わることだけに念には念を入れてやった。
通信機を接続し、極秘回線と繋いで相手を呼び出す。応答は一分後に来た。
『こちらアレンです。あんたですか……一か月も放置した癖にいきなり連絡してくるなんて』
一か月振りの会話だというのに何の感慨も拾えない淡々とした声だ。
「こちらにも事情があるのですよ。何はともあれ、お互い無事に済んで良かった。そちらはどんな様子でしたか?」
『どうもこうも、最初はわけが分からなかった。座標に到達したと思ったらいきなり包囲されて。まあ、すぐに解放されましたけど。今はぼちぼちってとこです』
トラブルも無く概ね上手くいっているようでマイクはほっと息を吐いた。
「何かありましたら、私の方から上には伝えておきますが」
『別に、こっちの兵隊達は荒っぽいやつが多いけど悪くはないし。ああ、食事だけは何とかならないか? 不味くはないが味付けが独特で』
「分かりました、要望は伝えておきましょう」
マイクが短く笑いながらそう言った時、通信機の向こうが少し騒がしくなる。おそらくアレンが他の誰かと話し始めたのだろう、やけに小さな音声が混じった。
『あなたが電話を使うなんて珍しいですね。誰と話しているんですか?』
『あんたにはあまり関係ないことだよ』
『あまり、って修飾が気になるんですけど、まあいいです』
アレンの鬱陶しそうな返事に、会話の相手は潔く引き下がる。その後彼はこちらを気にするように口を開いた。
『すいません、何か言ってました?』
「いえ、聞いていただけです。彼女も元気なようで安心しました。それはそうと、話して欲しい方がいるのですが、よろしいですか?」
『ああ』
マイクはこちらを興味津々で見つめていたアキに通信機を掲げて示した。
「アレンくんですよ。今は色々あってアフリカにいる私の友人のもとで保護されています」
アキにはだいたいの事情を説明してあったが、いずれバレることとはいえ、アレンとヘクターの戦いについては伏せていた。彼女が責任を感じて面倒なことになるのを避けるためだ。だから今はこんなぼかし方をするしかない。
アレンという名を聞いた彼女はぱあっと顔を輝かせた。だが、何かに思い至り、穏やかに首を横に振った。
「アレンとは話したいけど、その前にちゃんと謝らなくちゃいけないので。身勝手に色々なものを押し付けてしまったことを……」
「彼が押し付けられたと感じているとは思いませんが。アキさんがそう言うのであれば、いつか気が向いた時にしましょう」
生きている限り話す機会はいくらでもある。それにほとぼりが冷めたらアキもアレン達と合流できるはずだ。その時はまたどこかの戦場であるかもしれないが。
マイクは通信機に顔を戻し、アレンに詫びる。
「申し訳ありません。彼女が今は話すべきでない、とのことですので、また別の機会に」
『何だそりゃ。でも、分かりました。俺もそろそろ仕事があるので』
「ええ、それでは」
ぷつりと通信が切れ、マイクは大きくため息をついた。
おそらく万事上手く進んでいるのだろう。
しかし、多くの命を散らした戦争はまだこの世界に図々しく居座っている。それに、これからの戦いはもっと長く凄惨なものになるはずだ。
そんな戦いにアレンとクリスタを巻き込んだことは正しかったのか、マイクはこれまでも何度か自問した。
かつては敵同士で会った二人は、パシフィックとユーラシアという枠組みを超越し手を組んだのだ。
敵味方という枠組みから解放された彼らに、結局は「体制」という新たな敵を押し付けただけに過ぎないのではないか。そう感じてしまう。
それでも、マイクの結論はいつも変わらなかった。
まだ人間にアレンとクリスタの領域へ達する術はない。
だからこそ、彼らの力が必要なのだ。
一旦完結です
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