File.13 やるべきこととやりたいこと
八月十七日、アレンらの所属する大西洋第四プラント基地はちょっとした混乱に陥っていた。
詳しい時刻は未確認であるものの、北緯四十四度線付近に設定した第一防衛線上で大規模な戦闘が発生。 ジャミングの強度が先日から上昇していたため、前線では警戒態勢が敷かれていたが圧倒的な戦力差によって、瞬く間に陥落、突破されてしまった。
夜が明けるか明けないかという時間に叩き起こされたアレンは、やけに広くなった居住プラントの甲板を一人歩く。海の向こうから三分の二くらい顔を見せた太陽が、空に淡いグラデーションを作っていた。
グラナダの前線司令部が重い腰を上げ、この基地の通常部隊は軒並み向こうに回されることになり、今はスノースピア隊でプラントを独り占めというわけだ。
貴重な睡眠時間を奪われた挙句、待機を命じられた他の第三世代機パイロットは悪態をつきながら各々の部屋に戻っていったが、アレンはそうしなかった。
眼下でプラントの脚部に打ち付ける波の音や、自分の足音が普段の数割増しでよく聞こえる。
世界が自分一人だけになったらこんな感覚だろうか。
敵も味方もいなくなった世界で自分は何をするだろう。
理由なんかなくとも飛んでいるかもしれない。
だったら、人が居なくなってもクレイバードは残しておいてほしいな、整備も自分だけじゃできないからブレントも付属で。
我ながら子供っぽい妄想だ、とアレンは鼻で笑った。
現実は敵と味方で溢れているし、明日にでも敵を殺しに行って、味方が殺されて帰ってくる。
水平線から太陽が完全に這い上がったのを目の当たりにした時、アレンは甲板の端に佇むマイクの姿を視界の隅に捉えた。
アキとの一件を目撃してしまっていたので距離を取ろうと反対方向に歩き始めたが、なぜか見つかってしまったらしく、背後から呼び掛けられる。
「随分と早起きなんですね」
波と風の音にかき消されないよう、高くも低くもない声を張り上げているマイクの方へアレンは仕方なく向かって行った。
「記録官殿こそ、こんな時間に何を?」
数メートル離れて横に並んだアレンに、マイクは手に持ったファイルを掲げて見せた。
「記録するのが仕事ですからね。急な出撃にも対応しますよ」
アレン達はそれっきり話すことも無くなって黙りこくっていたが、一際大きな波の砕ける音を合図にマイクが口を開いた。
「君の白い髪は日に照らされると綺麗に輝きますね。その色は元からですか?」
藪から棒に髪の色を褒めてくるとは、気持ちの悪い男だ。とはいえ階級は上だからアレンは素直に答える。
「昔は黒でしたよ。パイロットになってから白髪が混じるようになったから、ヘクターに言われて全部白く染めました」
みっともないから一色にしろ、ということで白にしたのだが、普通に考えれば黒色に染めればいい話だろう。しかし結果的に言えば、それ以後黒い髪が生えてくることは無かったのだがら正解だった。
「なるほど。実に人間離れした印象を抱かせますから、私は面白いと思いますよ」
横顔に笑みを浮かべながら話すマイク。掴みどころが無いことこの上ない。
このまま不毛なやりとりに終始するのだけは勘弁だったアレンは、思い切って尋ねてみる。
「オズワルド少佐は、この戦争が終わったら、この先何をしますか?」
アレンが織り交ぜた聞き覚えのあるフレーズに、マイクはぴくりと反応する。一瞬アレンに向けてきた目にはいつもと違う色が宿されていた。
「私は仕事をやるだけですよ」
「軍務記録官を?」
「やるべきことを、ですね。一つの役割に固執すれば足元をすくわれますから」
適当にはぐらかされてしまい、狙った回答は得られなかった。しかし、話を切り上げて去ろうとするアレンに、マイクはヒントらしきものを残す。
「君も自分の将来を考えておいた方が良いですよ。しばらく敵はいなくなりますから」
「ユーラシア自体が消えるわけじゃないでしょ」
「ええ、それは正しい。模範解答です」
成立しているかも危うい意味不明な問答を終えたマイクは踵を返して司令プラントの方へと歩いていった。
誰にとっての模範解答なのかを明言しなかったことに真意があるのだろう。本国に対して反逆的な思想を持つマイクのことだ。望む答えはおおよそ想像がつく。
マイクを否定するつもりなどない、だが政府に逆らうことの意味は分かっている。たぶん彼自身もそれを知っていたからアキのことを拒んだのだ。
アレンは大きなあくびをすると自分の部屋に戻ることにした。朝食まではまだ時間がある。
アレンは個人的に居心地の悪い食堂でいつものメニュー〈朝食バージョン〉――トーストにバター、パッキングされたサラダとスパムを三切れ、それと水――をトレーに載せて、外に出ようとしたところをカンナに呼び止められた。
「アレン、たまには一緒に食べようよ!」
「……気分じゃない」
見向きもせず食堂から出ようとしたアレンに、カンナは素早く距離を詰めて首根っこを掴んできた。
「いいからいいから、こっちに来なって」
何がいいのか分からないが、抵抗は諦めて彼女に従う。腕力には自信が無い。
パイロットの大半が基地を離れてしまっているので、食堂はがらんとしていた。パイロットでこの場に居るのはアレンとカンナだけで、その他には司令部要員が数名。
隅の方のテーブルに無理矢理座らされて、向かいの席に腰を下ろしたカンナは心なしかにやついているように見える。
「な、なんだよ?」
何かの悪だくみかもしれない、とアレンは警戒しながら尋ねる。平静を装うために水を口に含もうかと一瞬思ったが、よしておいた。
「ん? いや、アキ姉がマイクさんに告白したのって本当なのか聞きたくって」
水を飲まなくて正解だ。下手したら噴き出してた。
カンナにどういう形で伝わっているのか分からないので、一旦は様子を見ることにする。
「何その話?」
とりあえずしらばっくれてみた。ただの噂程度ならこれで引き下がってくれるはずだ。が、直接アレンを問い詰めてきたということは、その可能性は低いだろう。
「知らないの? おかしいな~ブレントはアレンと一緒に見たって言ってたのに。うーん、あいつの嘘っていうのも十分あり得るか……」
カンナは腕を組んで首を傾げている。アレンは普段ほとんど嘘をつかない自分を褒めた。日頃の行いは肝心な時に役に立ってくれる。
漏洩の原因が、最初からほぼ一択であったとはいえ、ハッキリしたので後でとっちめることにしよう。そして、アレンはその前にもう少し探りを入れてみた。
「ブレントのやつは何を話してたんだ?」
「えーとね……」
ざっと聞く限り、概ねアレンが聞いた通りだったので安心した。ブレントが逃走してからのことはもちろん語られていない。面白おかしく脚色しているようなことがあれば冗談で済ませるつもりはなかったから、まだ友人でいられそうだ。
「そんなことがあったのか」
アレンはあくまで知らぬ存ぜぬを突き通す。カンナも自分の話していることがいまいち信じられなくなったらしい。
「まあ、本当か嘘か分からないけどね。あのブレントが情報源だし、アキ姉も恥ずかしがりやだから」
彼女は右手をぶんぶんと顔の前で振って、口にしたことを半ば否定していた。アレンも愛想笑いで適当に合わせる。
会話が途切れ沈黙が訪れた。かと思ったらカンナは打って変わって重々しく独白のように呟き、それを破った。
「でも、本当だとしたらアキ姉の気持ち、っていうかやりたいことは何となく分かる気がするな」
「やりたいこと?」
「うん、私もアキ姉も偶然第三世代機の適性があって、しかも給料が良かったから飛び付いたけど、正直な話、続けていくのは難しいと思う。操縦は機体に助けられてるだけでそんなに上手くないし、体力だってみんなに比べたら劣ってる」
負けず嫌いで、いつも暇さえあれば誰かと張り合ってる彼女らしくない弱音の吐露だった。
そんなカンナの姿が痛々しくて、見ていられなくて、思わずアレンは口を開く。
「弱気になるなよ。俺の知ってるカンナ姉さんは、もっと格好良くて勇敢で――」
「ありがと、でも自分のことは自分が一番分かってる。今はまだ重宝されてるけど、第三世代機に乗れる人が増えてくれば必ず用済みになる。そうなった時に、どうやって生きていけばいいかを知らないのよ、私達は。だから、誰かに頼っていくしかない」
軽々しく励ましの言葉などかけてはいけないのだと、アレンは解ってしまった。
戦い続けることを許された自分では、彼女達の思いを真に理解することはできないということを。
返す言葉を見失っているアレンに気付いたのか、カンナはぱっと笑顔を作ってみせた。
「はぁ……マイクさんはアキ姉が狙ってるし、近くに誰かいないかな~?」
じっとこちらを見つめる瞳。
「え?」
「なんてね、あんたよりはブラウン少佐の方がマシね」
「はぁ?」
さすがにあれと比べられるのは心外だ。不当に馬鹿にされたので抗議する。
「あんたじゃ、まだ十年早いのよ」
いたずらっぽく笑うカンナに、アレンは長いため息を吐いてから一緒に笑った。
いい加減朝食を食べようとアレンがトーストに手を伸ばした時、天井のスピーカーから若い男の声が響いてきた。
『司令部より伝達、スノースピア隊のパイロットは三〇分後に司令プラントへ集合せよ、繰り返す……』
繰り返しの部分は聞かずに、アレンはトーストを口の中に押し込み、素早く噛んで飲み込んだ。
「やっと仕事みたいだ」
「そうね、この戦いの間くらいは頑張らないと」