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64話 本当

「ほら、できた」


 一分もしないうちに美和子は鍵を開け、雫が何度捻っても開かなかった扉は開け放たれた。 


「うわーやっぱりきったなーい。コケ生えてるー!」


 さえかの言う通り、屋上はひどく廃れていた。

 コンクリートの隙間からは雑草がちらほら生えているし、鳩の糞はどこを見ても視界に入るほど落ちているし、日当たりの悪い所はコケが居心地よさそうにたくさんある。


 ドア越しに見ていて、ある程度の免疫は付いていたつもりだったが、間近で見るのではまるで違うもののように感じられた。


 ――そして勿論、そこに拓実はいるはずもなかった。


 それはそうだ。こんなところにいたら逆にびっくりしてしまう。

 バカだなあ、と心の中で自分を笑い飛ばすも、やはりどこか落ち込んでしなう自分がいた。


「で、雫ちゃん。なんで屋上に来たかったの?」

「そ、それは――なんとなく、かな」


 いつの間にか美和子は雫の隣に来ていて、はしゃぎまわるさえかを微笑ましそうに眺めていた。


「なんとなく――そうは見えないけどなー。まあ、話したくなったら言ってね」

「うん、その……ごめん」

「そんな謝らなくていいよー。じゃあ、さえか呼んで帰ろうか」


 それ以上は何も聞かず、美和子は「帰るよー」とさえかに声を掛ける。

 美和子の声に気付き、さえかは全速力でこちらに駆けてきた。

「あー楽しかった! また、今度来よう、ね……」


 さえかは突然走るスピードを緩め、やがて立ち止まってしまう。

 不思議に思い、さえかの視線の先――雫たち二人の後ろにあるドアに目を向けると、そこには生徒指導の渡辺先生が仁王立ちしていた。


「お前ら、ここは立ち入り禁止だぞ。どうやって鍵を開けたんだ」

「立ち入り禁止の場所に入ったのは謝ります先生。でも、鍵は開いてましたよ」


 立ち入り禁止区域に侵入したことは紛れもない事実で、ごまかせないと美和子は判断したのか、もう一つのピッキングの方だけを隠し通すことにしたらしい。


「そんなはずはない。本当か東雲」

「えっ、あ、本当、です」


 雫は先生の睨み付けるような視線に圧倒されながらも、なんとか美和子の言葉に口裏を合わせる。

 

「そうか、まあお前たち二人がいうなら間違いないか。わかった、次からは鍵が開いてたら勝手に入らずにすぐ報告するんだぞ」


 雫は別段問題を起こすこともなく、学校生活を送っているし、美和子も学級委員を引き受けていると言っていた。

 教師の間では割と評判の良い方なのだろう。そのお陰で怒られることは免れそうだ。


「「「はい!」」」


 階段を降りていく先生の背中に声を揃えて返事をすると、途端に安堵が込み上げてくる。


「危なかったねー」

「う、うん」

「あはは、ヒヤッとしたよー」


 先生に聞こえないよう、小声でそう言い合っていると勝手に口元が緩んでしまう。


「あ、雫ちゃんやっと笑ったね」

「え、そう、かな?」

「うん、いつもの笑顔は、『本当』じゃない笑顔。だけど今は自然に出た本当の笑顔って感じがする。気のせいだったらごめんね」


 美和子に言われ思い返すと、確かにここ最近、無理に笑っていたことが多かった気がする。周りの雰囲気に合わせ、頑張って笑うことが大半を占めていた気がする。

 だけど今笑っていたのは、笑おうと思って笑ったんじゃなく、気付いたら笑っていた。


「その、ありがとうね……美和子」

「お礼なんてそんないいよ、雫」


 勇気を振り絞り、下の名前で呼んだ雫に合わせ、美和子も呼び捨てで呼んでくれた。

 もしかしたら美和子は学級委員という地位もあって、普段から暗い様子の雫を心配してこうやって声を掛けてくれたのかもしれない。


「あれー、しーちゃん顔赤いよー?」

「そんなこと、ないよ……さ、さえか」

「わー! しーちゃん名前で呼んでくれた! やったやった!」

「さえか暴れないでよ、もうー」


 二人に抱きついてきたさえかに身を委ね、しばらくは、何とも言えない高揚した気持ちに浸り、ただただ笑い合っていた。


「よし、じゃあそろそろ教室戻る? 時間もそんなにないし」

「う、うん」


 腕時計で時間を確認すると、もうすぐ昼休みも終わり間近だった。

 最後に名残惜しそうに屋上に目を向けてから、雫は二人の後ろに付いて階段を降りようと踵を返した。

 と、その時、誰かが階段を昇ってくる音がした

 

「あ、先生。どうしたんですか」

「いや、鍵取りに行ってたんだよ。誰も入らないようにな」


 やってきたのは、渡辺先生。

 もしかして嘘がバレたのではと心配していたが、声色からしてこの心配は杞憂のようで、本当に開けっ放しになっている鍵を施錠しに来ただけのようだった。


 すれちがいざまに会釈をして、雫は事なきを得たことに再び安堵する。が、先生の次の発言で、雫は背筋を凍らせた。


「おい、このヘアピン、か? もしかしてこれで鍵開けたりとかしてないよな?」


 さっきさえかに抱きつかれた拍子に美和子のポケットから落ちてしまったのだろう。

先生はヘアピン本来の用途を成さない、まっすぐに広げられたヘアピンを三人に掲げ、曇った顔でそう質問してきた。


「え、えーっとですね……」


 流石の美和子も動揺し、返答に困っている様子だ。雫は先ほど同様声を出すことも忘れただただ他人事のようにその光景を眺めている。


「違います! それは美和子のヘアピンじゃないです!」


 このさえかの発言を聞いた時、雫は恥ずかしながら「よく言った!」と感心してしまった。

 だが、その後すぐにさえかの返答が墓穴を掘っていたことに気付いた。


「『三島のヘアピンか』なんて俺は聞いてないぞ澤口。三島、これはお前ので間違いないな。これで閉まっていた鍵を開けたんだな?」

「はい……」


 力なく美和子が答えると同時に、昼休みを知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。


「よし、お前ら今から職員室な」


 先生のとびきりの笑顔は心の底から笑っていない、『本当』じゃない笑顔だと、雫にでさえ容易にわかった。



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