61話 足音
なに、ムキになってんだろう、私……。
雫は、どこを目指すでもなく、ただひたすらに廊下を歩く自分に問いかけた。
もしかしたら、怒った雫を拓実が追いかけてきているかもしれない――そんな淡い期待を抱き、後ろを振り向こうとする自分をなんとか自制する。
しかし、振り向かずとも拓実がそこにいないということは、雫にはとうにわかっていた。
窓を鏡代わりにして後ろを盗み見たり、耳を澄まして拓実特有の足音を探したりと――振り向かなくても確認する方法はいくらでもある。
足音で人物を特定できるだなんて、我ながら変態じみた特技を持ったものだと自覚しているが、それほどまでに雫にとって拓実は特別な存在になっていた。
去年――拓実のいなかった一年間、登下校中に雫は何度後ろを振り返ったことだろう。
「ごめーん! 日直の仕事で遅くなったー」だなんて言い訳をこぼしながら、当たり前のように――なにごともなかったように隣にやってくる拓実を、雫は毎日毎日、今か今かと待ち構えていた。
その時になって動揺してしまわないようにと、いつも平常心を保っていた雫だが、今思えばそれはとても異常なことのように感じられる。
廊下を抜け階段を降り、踊り場に差し掛かったところで、雫はついに立ち止まり後ろをそっと振り返る。
そこにはもちろん誰の姿もない。
去年幾度となく経験した虚無感が、懐かしさを孕んで雫を支配していく。
――バカだなあ私。
教室からだいぶ離れてしまったことで、再び戻るときの億劫さに駆られながらも、今、教室に戻るなんてことはできない。
胸ポケットに忍ばせていた携帯で時刻を確認すると、昼休みはまだ半分しか経っていなかった。
仕方ない、図書室にでも行こう。
行き先を決め、再び階段を降りようとする雫の肩に、誰かの手がポンと置かれた。
「しーちゃん、一人でどこ行くのー?」
「……図書室」
がバッと音が出るくらいの速さで振り返ると、そこにはショートカットの女の子――澤口さえかの姿があった。
「あ、ごめん! もしかして拓実くんだと思った?」
「…………」
「もーだまって行かないでよーごめんてばー!」
さえかは超がつくほどにデリカシーがない。空気が読めない。
良い言い方をしてしまえば素直、という言葉が当てはまるのだろうが、今の雫には前者に上げたものの方がしっくりとくるものがあった。
雫はそっと歩くスピードを上げ、さえから距離を取ろうとする。
やつあたりであることは重々承知だが、今の雫にさえに構うほどの精神的余裕はなかった。




